少女勇者と千年の夢

第1話

 私は勇者であるらしい。

 勿論こんなことを意味も無く自称したくはないし、勇者になりたいなんて思ったことも一度も無い。だけど何故かそのような運びになってしまった。私は、戦えもしないのに。

「こ、来ないで……」

 私の目の前には今、魔物が居て、三つもある目がじっと私を窺い、大きな牙が口から覗いている。じりじりと詰められる距離に応じて私もじりじりと後ろに下がるけれど、不意に踵が木の根に乗り上げた。冷や汗がじわりと浮かぶ。どうやら背後には木があるようだ。このまま何も考えずに下がって行けば、私のような鈍くさい人間は背を幹へぶつける前に根っこに足を取られて転ぶだろう。そうすれば一巻の終わりで、かと言って私には目の前の存在に立ち向かう力も、度胸も無い。紛れもなく勇者なのに、私は弱く、そして、少しも勇敢ではなかった。

「い……イルゼちゃーん!」

「フィオナ!」

 名を叫ぶと同時に望んだ通りの姿が現れ、絶望的と思えた脅威は一瞬で真っ二つになる。

「ごめん、遅れた! 大丈夫?」

「うう、大丈夫、ありがとう」

 目の前に立つ、私より大きな背中を見れば、安堵で泣き出しそうになった。イルゼちゃんは肩口に私を振り返ると、小さく「良かった」と言って、ほっとした顔で微笑む。彼女の動きに応じて、後ろに一纏めにしてある長い髪が揺れていた。少し離れた場所から、他の仲間が私達の無事を確認するように、名前を呼んでいる声が聞こえる。

「皆のところに戻ろっか。もう、どうしてこんなに離れちゃったの、フィオナ」

 イルゼちゃんは私の手を引いて歩く。そこまでしてもらわなくても流石に迷子になる気は無いのだけど、心配を掛けてしまったことは事実なので抵抗せずに従った。私達が戻るのを待ってくれている仲間とその周囲を見る限り、他の魔物はもう一掃されたようだ。

「に、逃げてたら、いつの間にか」

「そういう時は、お願いだからすぐに助けを呼んでね」

「うん、ごめんなさい」

 私は戦えないから、戦闘が始まってすぐに、皆の邪魔にならないようにと下がっていたはずだった。しかし怖い怖いと思っている内に下がり過ぎてしまったらしく、その隙を先程の魔物に狙われた。イルゼちゃんの指摘通り、すぐに助けを呼べば良かっただけなのに、びっくりして逃げてしまった結果、皆とは離れてしまうし、魔物は当然撒くことが出来ないし。良いところが本当に何も無い。

「フィオナ殿、怪我は無いかのう?」

「はい、ヨルさん。イルゼちゃんが来てくれたので……」

 合流してすぐに私に声を掛けてくれたのは、とんがり帽子を頭に乗せたおじいさん。本名はヨルムントさんと言うのだけど、長いから皆で『ヨルさん』とか『ヨル爺』とか呼ばせてもらっている。攻撃魔法も回復魔法も自在に扱うような凄い人であるにも関わらず、気さくで優しい人だ。

「流石イルゼは早かったね~」

「これサリア、治癒中にはじっとしていなさい」

「はーい」

 その隣で、回復魔法で治療を受けているのは、ヨルさんの孫娘であるサリアちゃん。今の戦闘で怪我をしてしまったらしい。大丈夫なのかと問えば、「ちょっと強く殴り過ぎて、砕け散った敵の破片が当たった」という物騒な経緯だったけれど、大事は無いらしい。私はほっと息を吐きつつ、身体を張って戦ってくれている皆に、やはり申し訳ない気持ちで頭を下げた。

「いつも何も出来なくて、ごめんなさい」

 魔物を倒すことは勿論、その攻撃を防ぐことも出来なくて、あまつさえ逃げることすら失敗する。どう転んでも重荷である自分の立場は、謝ることくらいで済むような問題ではないのだけど、こう言わずにはいられなかった。けれど、隣に立っていたイルゼちゃんは笑顔で私の肩を撫でる。

「気にしないの。皆で力を合わせて、最後に全部倒せたらそれでいいんだからさ」

 優しいその言葉に私は無言で弱く頷く。納得できたわけではないけれど、その優しさを無下にしたくないし、これ以上、私を励ます為の手間まで取らせたくはなかった。

「ま、嬢ちゃんは確かに何もしてねえけどな!」

 しかし全く悪気が無さそうに笑いながらそう言ったダンさんの言葉が、胸の奥に突き刺さる。ぐっと言葉に詰まる私を見て、イルゼちゃんがダンさんをじろりと睨み付けた。その表情は私に向けてくれた優しい表情とはまるで別人だ。

「余計なことを言うな!」

 怒鳴ると同時にイルゼちゃんが彼の屈強な脚を蹴り飛ばす。イルゼちゃんと比べてダンさんの身体の方がずっと大きいけれど、流石にきっちりと脛当てが装備された足で攻撃されれば痛むのだろう。彼は蹴られた場所を押さえて低く唸っていた。ただ、彼の言ったことに何の間違いも無かったことを考えれば、やりすぎだと思う。しかもまだ蹴ろうとして足を上げていたので、私は一生懸命イルゼちゃんの腕を引き、その追撃を止めた。

 何度も言うが私は『勇者』であり、私達は俗に言うところの『勇者一行』で、復活してしまった魔王の封印を果たす為にこの旅をしている。

 魔王は千年に一度、この世界に復活する。完全に消滅させる手段は無いとのことで、復活の度に勇者が選ばれて、それを倒し、封印する。そうしてこの世界は平和を保ってきた。しかし、私のような者が選ばれてしまったことは『前代未聞』だそうだ。

「フィオナ、疲れた? 少し休もうか?」

 思わず溜息を零してしまった私の顔を覗き込み、イルゼちゃんは心配そうに眉を下げる。慌てて顔を上げて、首を振った。

「ううん、私は大丈夫、皆の方が」

 私と違って、戦っているのだから。そう思ったけれど、私を振り返った皆は私以上に元気な笑顔で「平気」だと答えた。

 ――ああもう、本当、何でこんなことに。

 何度も頭に浮かぶ疑問を、飽きもせず再び浮かべた。前代未聞の戦えない勇者。勇者の紋を疑いの目で見ながら人々はこっそりそんなことを言う。聞こえてこなければ良いのだけど、そういうわけにもいかないくらい、行く先々でそう言われていた。まともに振るうことの出来ない勇者の剣は、私にはとても似合わない。こんなもの、本当に私が持っていて良いのだろうか。そもそも、臆病者でも『勇者』って呼ぶものなのかな。

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