煙のおまじない

 私はもうタバコによって部屋の壁が黄ばまないようにベランダに出て、あなたが残していったタバコに火をつけた。もう夜中で肌寒いがとあるおまじないをしてみたくなったから。



 私には別れた恋人がいる。

 先日いなくなった彼の写真、コップ、プレゼントしてくれたネックレス。全部もうゴミ袋にまとめていて、残るは私の手に残るタバコだけ。


 私はタバコがとても嫌いだ。彼と付き合っていた時も、私はタバコのニオイが嫌いだったし、壁が黄ばんでしまうのでやめてと彼に何度も言った覚えがある。コップは流しにおいてとも言った。


 思い出せば彼に対して私はまるで母親のように口うるさくしていた気がする。


 まあ、別れた今では懐かしいで終わってしまう記憶なんだけれど。



 彼は不思議な人だった。子供のように遊ぶときもあれば、大人のような人を惹きつける魅力を醸し出すときもある。そんな彼は中途半端に大人になってしまっていた私から見たら、とても純粋でいい意味で極端な人だった。

 付き合った当初、彼が疲れたときにタバコを吸いながら聞かせてくれた話があった。


 それは


 「タバコはおまじないなんだ。タバコを吸った時に出る煙は妖精で僕たちのイライラも嫌な気持ちもどこかに連れて行ってくれるんだ」


 なんだそりゃと呆れたし、そんな話をされてもタバコを吸うのはやめてと笑いながら言ったものだ。

 だけど、今だけは。彼が消えてしまった今ならば、あのおまじないをやってみるのも良いだろう。ずっとこの胸に湧いている気持ちの悪い感覚も煙が連れ去ってくれるのなら…



 私の想いが本当に乗っているようにため息ほどに重くなった紫煙が綺麗な夜空を曇らせる。


 あぁなんだ、彼のおまじない。私には効果がないみたいだ。




 吐き出され、夜の冷えた空気に触れた煙はあなたを忘れたいと願う私を暗く嗤って風に乗り、どこかへと消えていった。


 煙を連れて去ったのはあなただけだった。

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