第3-1話

 赤みのくすんだ茶色がベースになった鉄格とレンガ造りの正門を潜り、俺達二人は校内へ入る。時間帯がちょうど登校時のピークだということもあって、視界いっぱいが人の姿で埋まった。

 そんな彼らが作る人の流れに流されるように俺達は歩いていく。樹木が等間隔に立ち並ぶメインストリートをしばらく突き進んでいくと、目の前に巨大な建造物が現れた。

 高さ三十メートル程の木造ドームと、その正面にそびえ立つ時計塔から成るこの建物。いつもこの学校の講堂として利用されているが、国王の戴冠式などといった特別な国事行為にも利用される重要な場所だ。

 この辺りでこの流れは終点を迎える。ここからは学年などで各々行く先が違うからだ。

 俺とライアは講堂のすぐ隣にある五階建ての校舎に入り、靴を履き替える。いつもならこのまま真っ直ぐ教室へ向かうのだが、今日はやらなければいけない重要な用事があるため、そうは出来なかった。

「ライア、俺今からちょっと担任のとこに寄ってくるわ」

 教室へ向かう通路に差し掛かったライアの足を止めるように、俺は彼に声をかける。

「あ〜、そっか。そういえば昨日、連絡きてたもんね」

「まあな。めんどくさいけどやらなきゃいけないからな」

「確かにね。それなら僕は先に教室に行って待ってるよ。頑張ってきてね!」

 元気よく言ってラ イアは手を振る。別に頑張ることもないけどな、と口にせずに思いながら、俺はライアに軽く振り返し、彼の向かう方とは逆側に伸びる廊下へ出た。


 明日の朝に資料室へ来い、と昨日、就寝前に突然担任からメールで呼び出しされていた。件名や詳細は書かれていなかったが、どういう要件かは分かっていた。

「……って、資料室ってどこだよ……」

 愚痴を小さくこぼしながら俺は校内マップの掲示板を睨む。校内が広いせいか教室が多く、なかなか目当ての教室が見つからなかった。

 今いる所を含めて、この学校には校舎が七棟ある。何故かというと、校舎ごと学部が違うからだ。

 一言に魔法学校といっても、学べることは魔法だけではないし、学ぶ生徒も魔法士だけではない。

 もちろん魔法を使うのは魔法士ではあるが、彼らのサポートという名目として魔法士ではない人も魔法科学校で学ぶことができる。 魔法士の使う武具の開発や製造、修理が主に挙げられる例だ。


 そうこうして探していうちに、やっと目的の場所が見つかった。今いる場所から三つ隣の校舎の最上階の一番奥にその部屋はあった。

 早速俺はそこへ向かう。廊下に沿って進み、中庭を通り抜けて階段を昇っていくと、然程時間もかからずに着いた。

「二年C組のジャック=ナズカースドです。ハルノ先生はいらっしゃいますか?」

 ドアを数回ノックして、俺は向こう側の様子を伺う。程なくしてこれに答えるように男性の声が返ってきた。

「ああ、いるよ。入ってきて」

「失礼します」

 彼に招かれて俺は教室へ入る。

 至る所に紙類やファイルが散乱しているこの教室。その奥にあった長机の向こうに俺を呼んだ人物がいた。

「おはよう、ジャック。早かったね」

 かけている眼鏡を外しながら、青年——ハルノ先生はパイプ椅子から立ち上がる。

「早くないですよ、先生。もうあと三十数分後に朝礼が始まりますから」

「え、嘘⁈」

 俺の言葉に驚いて、彼は自身の腕時計を確認する。

「うわぁ、本当だ。事務作業に集中してたから全く気が付かなかったわ。それじゃ、そこのソファに座ってちょっと待ってて」

「は、はい」

 慌ただしい彼の雰囲気に少し釣られて俺はソファに腰を下ろした。

 その間に先生は奥の棚からポットだのティーパックだのを出してお茶を出す準備をしている。彼の実家は茶葉を育てているらしく、彼はよくその茶葉を使ってこういった面談などで生徒にお茶を出していた。

「ブレないですよね、坊ちゃんのあの習慣」

 今先生が淹れているお茶の香りや音に耳を澄ませていると、不意に後方から掠れた渋い誰かの声が聞こえてくる。振り返ってみると、そこに髭が濃い細身の中年男性が一人立っていた。

「あ、レオ先生。おはようございます」

 俺は挨拶をして、座りながら軽く会釈する。その男性も俺がやったことを同じように返して、俺の右方の席に座った。


 レオ先生——レオミガンケル=ルナボロチ。彼はかつて五百年前に起きた文芸復興の時期に存在した美術家である。絵画はもちろん、彫刻や建築までも手がける、いわゆる天才と呼ばれた人間だ。

 そんな彼は今、この学校の美術教師として働いる。一度人として人生を終えて、英霊となって魔法士のハルノ先生と契約を交わしてした姿で、だ。


「君も大変だね。朝早くにこんな外れにあるこの教室まで来て」

 手に持つコップに入っている紅茶を一口飲んで、レオ先生は俺に話しかけた。

「そんなことないですよ。こうやって相談に乗ってくれる時間を作ってくれているので感謝しています」

「へぇ、一昔前までは泣き虫だった君が、今では随分と大人になったね」

「そりゃそうですよ。俺だってもう大人ですから。いつまでも昔みたいにはいられないですよ」

「そうだよね。物事を経験して、それを糧に成長することができることが動物の長所であるからね」

 そう言って彼はまた紅茶を一服する。同時に俺の目の前のテーブルに、綺麗に澄んだ澄んだ薄黄色のレモンティーが入ったコップが差し出された。

「おまたせ、ジャック。君の好きないつものだよ」

「ありがとうございます」

 お礼を言って、俺はコップを手に取って口をつける。

 ほんのりと優しい甘さと爽やかさが広がり、後味にしつこいがクセになるレモンの酸味と渋味が舌の奥にこびりつく。先生が淹れるこの独特なレモンティーはいつもと変わらず美味しかった。

「それじゃ、準備も出来たことだし、そろそろ本題の話に入ろうかな」

 俺と対面した席に着き、真っ直ぐと俺を見つめてハルノ先生は言う。すると、今までの朗らかなこの場の雰囲気が一転して、緊張したものへとなった。

 ゴクリ、と俺は生唾を呑み込む。そして、覚悟を決めたように、重くハッキリと「はい」と返事した。

「では、単刀直入に聞く。この一週間で何かはあったのかい?」

 グサッ、と彼の言葉が心に刺さる。その痛みに耐えて俺は返答した。

「いいえ、進展無しです……」

「何となくそうだろうなと思ったよ。君の顔に書いてあったからさ」

「すみません……」

 申し訳なさに潰されて、俺は小さい声で呟く。

「まあまあ、そんなに落ち込まないで。別に君を責めている訳じゃないよ。けどさ、君も分かってはいると思うけど、もう来週には進級試験が迫ってきているんだよ。受験条件は英霊か精霊と契約を済ませていること。その条件を満たない者は留年、もしくは別科への異動になるんだよね。成績上位者の君がこんなことで留年とかしたら嫌でしょ」

「はい……。でも、ここからどうすればいいのか分からないんですよ」

「う〜ん、そうだね〜」と呟いて先生は少し考え込む。さっきよりも緩くはなったものの、まだ緊迫しているこの空気から逃げるように、俺は紅茶を啜った。

「そもそも君と英霊との契約方法が特殊なんだよ。契約してくださいって魔法士側が言ったら、英霊や精霊の方は二つ返事で承諾するのが普通なんだけど、この場合みたいに契約時に何かしらの条件を出してくることはあまりないんだ。しかも、その条件が……」

「英霊である彼女が、心を惹かれるような告白をすること、です」

「そうそう。そんな条件を出す英霊なんて今まで聞いたことないよ」

「はい……」

 どこか物恥ずかしくなり、俺は顔を赤らめた。

「一応、前に先生に言われた通り、本や雑誌とか見て勉強はしてるんですよ。けど、思うように上手くいかないんです。まあ、俺にも原因はあるんですけど……」

「まあそうだな。僕も先生なのだから生徒である君をサポートしていくべきなんだけれど、条件が予想外すぎて、これ以上言えることもないんだよ。強いてできることはこうやって相談に乗るか、おススメの恋愛関係の本や雑誌を勧めることくらいだね。あとは君でなんとかするくらいしかね」

 苦笑いに近い困った笑みを浮かべるアルノ先生。その表情を見るのがどこか辛くなり、俺は彼の顔から目を逸らしてしまった。


 この様子を見かねて、早々に先生は話の話題を変えてくれた。

「まあいいや、次に内容について聞かせて。昨日が確か英霊との交渉日だったよね。何をどうやったかを教えて」

「あ、えっと、いつも通りの場所で彼女に会って、少し会話してから本題に入りました。事前に先生の本を参考にして用意したいくつかのプランを試したんですが、どれもダメでした……」

「そうなのか。ああいう系は彼女に合わなかったってことかな。あとで別のジャンルのものを用意するから勉強してみて」

 胸ポケットに入っていたメモ帳を取り出し、手早にペンを走らせながらハルノ先生は喋る。そんな彼の邪魔をしないように俺は声をかけた。

「あの、先生。ちょっと良いですか?」

「うん?なんだい?」

「何となく前から気になっていたんですが、なんで先生ってそんなに恋愛ものに通じているっていうか、詳しいんですか?」

 ピタッ、とペンが止まる。そして、代わりに俯いていた先生の顔がこちらに向けて上がってきた。

「何でって、そんなの決まってるよ。だからさ」

 真剣な表情をしながら、重みの感じられるトーンで彼は言う。隣でレオ先生が呆れたような笑みを浮かべながら、小さく首を振っていた。

 どういうことなのかを理解できず、俺は顔に疑問符を浮かべる。昔から周りの女の子達からモテモテだった彼が、このジャンルに興味を持っているとは思わなかったからだ。

「え?はい?」

「だから、好きなんだよ。恋愛漫画とか小説とかドラマといったのがね」

「え、だって、あの頃の先生って恋愛に興味がなかったような気がするんですが……」

 そんな俺を見かねて、隣にいたレオ先生が補説してくれた。

「君がいなくなって少し経った後から坊ちゃんがこういうのにのめり込み始めたから、君が知らなくて当然だよ」

「そ、そうなんですね」と、大方理解が出来て納得する俺。それを見て、ハルノ先生は再び話を続けた。

「まあでも、こうして君が驚くことは当たり前だと思うよ。周りの人にはあまり言っていないからねけど、誰にだって趣味ってものはあるでしょ?」

「一応俺にも趣味くらいはありますけど」

「そうそう。例えばスポーツをしたり見たり、絵を描くことや骨董品の収集だったり。僕の場合はそれが、恋愛漫画やドラマを楽しむってことだけさ。読んだり見たりしていると、まるで実際に体験しているかにようなドキドキキュンキュンな気分を味わえたり、非現実的に近い物語内で起こる出来事を夢見ながら日々を過ごすことで、生きる活力を見出せたり。恋愛ものっていうのは、日々の日常生活を豊かにしてくれているって僕は思うんだ。とはいえ、こういったことを無駄なものだと勝手に決めつけ、その無駄に時間をかける人を愚者だと言う人もいる。しかし、それは決して違う。今までの人生で身につけた知識や経験というのは、絶対にどこかで役に立つようになっているって僕は信じている。 現に僕が創作物で培ってきたこの恋愛知識は多少君の役に立っているしね」

 最後に優しい笑みを添えてハルノ先生は締めくくった。

 途中から、何かの講義を聴きに来ているのだっけ?と錯覚する程に長く熱い、彼の趣味についての話。

 正直、フィクションで養われたその力はリアルに通じるのかという疑わしい所はあったのだが、それ以上にもともと先生への信頼感や今の話で伝わってきた彼の熱意でどことなく安堵することができた。

 だからといって、今まで揺り籠のように俺を揺さぶり続けた負の要素が綺麗さっぱり吹っ切れてはいない。

 とてつもない不安と焦り。

 この二種の微風が、仄めかすように優しく、そして執拗にじわじわと俺を誘惑していた。

 しかし、これに屈して、無防備に体を預ける気は全くない。ただどこかにあるを突破口を信じて、もうしばらく俺はハルノ先生と面談を続けた。

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