連想貴志

 私は子供の時から恋愛ドラマの真似事をするのが好きだった。

お姉ちゃんやお母さんに向かって恋愛ドラマのヒロインが言いそうな台詞を吐くたびにお母さんは笑って、お姉ちゃんは呆れていた。

そんな当時の幼いお姉ちゃんの呆れる素振りもアニメのようにオーバーリアクションでまるで何かの役に入り込んで演技をしているようだった。

子供の頃、ドラマやアニメの世界のキャラクター達は個性的で魅力的で憧れの存在だった。

小学生の時、年下男子にアプローチされるアラサー女子の真似をしてテストの点数が悪かった時、

「やっちゃった〜あちゃー!」と自分の頭を軽く叩いたことがある。

もちろん、それは誰もいない自分の部屋でこっそりと行った。

私にとってドラマやアニメのキャラクター達は現実味がなくていつになっても憧れの存在だった。中学生になると母の影響で海外ドラマにハマった。毎週平日の昼間にやっていたアメリカの恋愛ドラマを夏休み中は母と素麺を啜りながら熱心に観ていた。

私はそのドラマに出てくるジョンという大学生が好きだった。ジョンは金髪で青い目をした白人でイケメンだが、女遊びが激しく主人公を惑わす魔性の男だった。その代わり、それだけ多くの女性を魅了する力を持っていて引く手数多の存在だった。

「ジョンがもっと一途だったらよかったのに…」

顔はタイプだけど女にだらしないジョンは私にとっては惜しいものがあった。

一方のマイケルは違った。

主人公のアルバイト先の社長息子であるマイケルはそこまでイケメンではないし肉体も中肉中背だが、主人公を一途に想いながらロマンチックで熱烈にアプローチを重ねた。

何度、主人公がジョンに傾いてもマイケルは諦めずに主人公を想い続けた。

「お母さんはジョンよりマイケルだね!マイケルなら浮気の心配はないし、将来性があるからね‼︎」

「え〜私はジョンがいいなぁ。結婚するならマイケルだけどぉ、やっぱり彼氏はイケメンがいいなぁ。みんなに自慢できるし!」

近所のスーパーで280円だったミニバームクーヘンの袋詰めを開けながら姉が意見を述べた。午前中に部活を終えた姉は制服姿のまま椅子に座っていた。

私達は居間でお菓子を食べ漁りながら自分たちとは一生縁のない海外ドラマの世界に浸っていた。

その瞬間はどこまでも平凡で退屈で幸福だった。

「ジョンの顔でマイケルの性格だったら良かったのに。」

画面を見つめながら私が呟くと姉は甲高い声で笑った。

「え〜!それって超欲張りじゃん‼︎そりゃ誰だってそんな男を理想としているわよ‼︎ねぇ?お母さん!」

姉の言葉にバームクーヘンを頬張る母が首を縦に振る。

「誰だってトキメキを求めているわよ。でもそれと同時に安定も求めているけど、そんな理想通りにいかないのよ〜。」

どこまでも不安のない恋愛をしたい。

でもそれと同時にみんなが羨むような彼氏が欲しい。

モテモテでお金があってどこまでも私に甘い男。

デートは常にリードしてサプライズしてほしい。

安定と刺激。相反するものを両方とも手に入れたい。それが現実で叶わないのならせめて頭の中で…

私のつまらない毎日に色をつけて欲しい。私自身ではなく、誰かが色をつけて欲しい。

「大丈夫だよ、里保!僕がいるよ〜‼︎」

いつもそう言って手を差し伸べてくれた。

ハグしてくれた。額にキスをしてくれた。

私の理想通りに動く唯一無二の存在、デイビッド…


 あ〜ぁ、仕事しんどっ。

24日のクリスマスイブの多忙さは毎年経験していても忘れてしまうのだから私の脳みそは実に都合良く出来ている。

押し寄せるお客さんの波と途切れることのない列に神経はすり減り、普段の三倍は並べられているカットケーキたちを見ていると目がおかしくなっていき5時間休む暇なく動いていると思考力すら低下してきていつもなら難なく話せる業務会話が自分で何を言っているのか理解できなくなっていく。

疲労とは実に恐ろしい。疲労がない状態なら難なくこなせる業務も疲労が重なっていると動きが鈍くなっていくし頭の回転力も落ちていく。

これは私の思考に問題があるのかもしれないけど、お腹が空いた状態で休む暇なく体と頭を動かし続けるといつもよりも馬鹿な私になった気になる。

滅茶苦茶バカになる。

去っていくお客さんに、いらっしゃいませ〜!とか言っちゃうし、モンブラン二つですね?以上でよろしいですか⁇の後にすぐまたモンブラン二つですね?と繰り返し聞いていて、あれ、これ同じことさっき言ったな〜。とか思った頃には手遅れで、そんなことよりも早くお会計して列を捌かないといけない。

普段は静かな店内に密集するお客さんを見ていると、あれ?この地域ってこんなに人口いたっけ?ってか、うちの店の利用客ってこんなにいたっけ⁇と不思議な気持ちになる。

閑散期と繁忙期の集客数が違いすぎて、この人たちはどこから来たのだろう?とさえ思う。

どこから来たのか分からない、もしかしたら異星から来たのかもしれないお客さんを兎に角、効率よく捌くことだけに専念して夕方四時、お昼休憩に入った私は椅子に座ると椅子を発明した人に心から感謝する。椅子をつくった人は人間に安息を与えることの重要さに気づいていたのかもしれない。

椅子に座った私はコンビニのおにぎりをかじりながらスマホの通知画面を確認する。

通知画面に映ったのはお姉ちゃんからのメッセージとツイッターのおすすめアカウントのお知らせのみだった。

貴志も今頃、忙しいんだろうな…

でも貴志は鮮魚コーナーだから年末年始よりかはそんなに忙しくないのかな。それとも正社員だから他の部門の応援業務とかもあるのかな…

あの日以来、通知のない貴志からのメッセージに私はたまに泣きそうになる。

でも私から連絡したって今はきっと忙しいだろうし…

貴志の名前の映るメッセージボタンを押そうとしたが忙しく動き回って私の相手どころじゃない貴志を想像したら無視されるのが恐くなってアプリを閉じた。

貴志がもう既に今までのことを無かったことにしていたら…

私のマイナス思考は今までの傷ついた経験からこれ以上、傷つくのを恐れて過剰に発動している。

行動すれば傷つくけれど行動しなければ今のまま傷を最小限に抑えることができる。

でもそれ以上に会いたい気持ちがあるから私はまた机の上でおにぎりを片手に頭を抱えて悩んでいる。

夕方まで途切れることなく並んでいた列は夜になってようやく落ち着いてきた。

二十時、毎年恒例の閉店間際に来るお客さんの接客を終えるとそこから連日続いている終わりのない残業を心を無にして行い、二十三時に退勤して家に着いた私はベッドに倒れ込んだまま眠りに就いた。

そうそう、この感じ。

毎年訪れるこの足腰の痛みと疲労感は何故か繁忙期を過ぎると忘れてしまい、再び訪れた時に思い出す。

一旦、私を眠らせて…

疲れ切った体をパジャマに着替える余裕もなく布団に滑り込ませた私はそのまま夢の旅に出る。

明日の朝も早いからお風呂に入らなければならない。

でもそれ以上に身体が休息を求めていた。

僅かな時間、眠りに就いた私は夢を見た。

夢の中で私はスーパーで買った寿司を食べていてイカの寿司を見つめながら、このイカは貴志が切ったものなのかな、なんて考えていた。

絹のように白くて薄いイカの肌は美しく、このイカが海中で幻想的な光を放っているのかと思うと神秘的な食べ物に思えた。

私は魚に関して無知だから光るイカと光らないイカの違いが分からない。

これを貴志に聞けば答えてくれるだろうか。

それは私と貴志を繋ぐ口実になるだろうか。

連日の激務で疲労困憊の貴志にこんなくだらない連絡をしたら彼は呆れるだろうか。

じゃあ、何を口実にしたらいいの?

何を口実にしたら貴志はまた私に会ってくれる?

何を言ったら貴志は振り向いてくれる?


 ハッと目を覚ますとベッドに入って二時間が経過していた。

布団から慌てて出た私はお風呂に入る準備を始める。

お湯を溜めている間、私はまた通知のないスマホ画面をじっと見つめていた。

すぐそこで浴室からお湯を溜める音が響く中、ライン画面の貴志の二文字を見つめる。

嗚呼、恐い。

傷つくのが恐い。

でも寂しい、会いたい。

せめて声だけでもいいから聞きたいだなんて私は脳みそが麻痺してしまっている。

脳みそが麻痺して恋をしてしまっている。

私が恐れていた恋愛の二文字が頭の中を支配して貴志で満たしている。

その二文字は私を焦らせて判断力を鈍らせる。そのくせマイナス思考で恐怖心が煽ってくる。

とんでもない感情だ。

恋なんてするもんじゃない。

頭がおかしくなる。

全員、馬鹿になる。

たかがボタン一つ、だけどそれが押せない。

貴志の文字と下に映る通話ボタンを見つめながら、そのボタンに触れることに怯えている。

怯えるくらいなら触れなければいい話なのに私の指は戻るボタンに見向きもせず、通話ボタンの前で指を置こうか躊躇っていた。

置いてしまえば最後、このスマホは貴志と私を繋いでしまう。

それが恐くて、同時にそれを求めている。

通話ボタンにゆっくりと指を置くと私の緊張なんて無視するかのようにスマホのコール音が無情に鳴り響いた。

無慈悲だ。世の中の通話ボタンは迅速に対応しすぎている。

まるで事務的な機械だ。

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