不安拒否
「夜まで時間あるから外に出て何か食べる?」
ガラス越しに映る都会の景色を眺める貴志が振り向いて尋ねた。
夜まで時間あるから
その言葉に過剰に反応する私が目を見開いて首を横に振る。
「お腹空かない?」
貴志が首を傾げて尋ねる。
「朝ごはん、いっぱい食べてきたから大丈夫‼︎貴志は?」
「俺もお腹は空いてないよ。」
貴志は少食だ。その答えが来ることを予想していた。
「じゃあ、何かして欲しいことある?」
そう言って貴志が歩き出す。
ホテルの部屋内の椅子に座る私は体を強張らせた。彼がデイビッドならば私のそばに寄って髪を撫でながらキスをするだろう。
私はそれが恐くて、でも本当は少しだけ期待している。
歩く貴志はそのまま私のそばを横切ってベッドに腰掛けた。その瞬間、あっ…と声が漏れる。
貴志の黒目が私を映す。静かな部屋内に混ざり合う私と貴志の視線。音のない刹那が危ない雰囲気を感じさせた。よく分からないけれど不安になる。
「やっぱりお腹空いた!なんか食べに行こう‼︎」
立ち上がって声を上げた私を貴志が見上げる。
「うん、いいよ。何が食べたい?」
貴志が優しく微笑む。
私は臆病だからもしもこの笑顔が嘘だったら…なんて考えて怯えている。
結局、貴志はリアルな男だから早くそう言うことをシたいだけなのかもしれない。
今日だって私の理想を体現したいわけではなく本当はセックスをしたいだけなのだ。そして私はまた飽きて捨てられる。ずっとそれの繰り返し。
私の何がイケないのだろう?
私の何が間違っているのだろう?
どうして私はみんなのように当たり前の恋愛が出来ないのだろう。
貞操を守りたかったわけではない。
セックスをしたって構わない。
でもそれだけが直結した気持ちは私の求めている愛とはかけ離れている。私はそういった人にしか想われないのだろうか。でもそんなもの想いじゃない。
「あのさ…」
俯いていた顔を上げて貴志を見る。
「うん。何?」
外に出るために上着を着ていた貴志が優しく応えた。
その優しい声が私をますます疑わせて不安にさせる。
素直に言ってしまいなよ。
もう一人の私が囁くがその言葉は耳から通り抜けていく。
「なんでもない。中華が食べたいな。」
私が微笑むと貴志も微笑んだ。
「よし、高いやつ食べよう。」
貴志の言葉が私の胸をチクチクと痛めつける。
理想の貴志が私を痛くする。
「大丈夫?」
貴志の言葉にハッとなって振り返る。
「何が?」
窓ガラスに寄りかかってすっかり暗くなった街並みをぼんやりと眺めていた。
「今日はなんだかいつもよりも元気がない気がした。」
コートを脱ぐと貴志らしくないテロテロのワインレッドシャツが現れる。それを見るたびにげんなりする。
「体調悪い?」
貴志が私のそばに寄る。
近よる貴志から薔薇の香水の匂いがする。
「来ないで!」
思わず出てしまった叫び声。
貴志の身体が止まって目を見開いた。呆然としている貴志の前で私は頭を抱える。
嗚呼、違う、違う!
自分の言葉に、貴志の反応に、傷ついてどうしようもなくなる。
自分の不安な気持ちを言葉として正確に表すことが出来ない。思いは何一つ伝わらない。誰かに伝えることを怠ってきた私にはそのスキルが備わっていない。
「帰ろうか。」
前方から聞こえた貴志の言葉に反応して顔を上げる。
「今日はもう帰ろう。」
貴志がそう言って私から背を向けた。
そしてついさっき脱いだばかりのコートを再び羽織り始める。
「貴志くん…」
私は貴志の背中を見つめていた。貴志は振り返って私を見ることはなかった。淡々と帰り支度をして、私は貴志に導かれるままタクシーに乗った。
「またね。」
乗車する私に貴志が笑顔で手を振る。
行きの時のように私と同じタクシーには乗らないようだ。扉が閉められても貴志から目を離すことが出来なかった。笑顔で手を振り続ける貴志の目がなんだか少し寂しそうに見えた。
コンクリートの上で聖母のように手を振る貴志を扉の閉まったタクシーは無慈悲に横切る。
私がそうさせてしまった。
貴志を傷つけた。
そう思うと心臓が痛くなる。頭も痛くなる。
同時に恐くなった。もしかして私達、これで終わり?
この別れは永遠の別れだったのだろうか。
私を脈なしと判断した貴志はもう二度と連絡をしてこないのだろうか。
私を諦めた貴志は別の脈ありな人を新たに見つけて私の時のように一緒にご飯を食べて魚を見て愛の告白をするのだろうか。
車内で俯いていた私はフッと笑いが込み上げる。それから顔を上げて車窓の景色を眺めると首都高の夜がいくつものライトで照らされていた。
車窓を流れ行くライトの灯りを見つめていると段々と視界がぼやけていき、灯りの境目がわからなくなっていく。涙を流しながら呟いた。
「あ〜ぁ、イタいな…」
「24日にケーキを予約したいんですけど。」
視線の先に小さな男の子を連れた若いお母さんが店のパンフレットを持って立っている。
「はい!24日にご予約ですね。ご希望のケーキはお決まりですか?」
店に並べられたパンフレットの表紙は赤色の背景に金色の文字でメリークリスマスと書かれている。
今年もまたこの日が近づいていた。
仕事終わりに街中を歩けばどこもかしこもツリーが飾られ、カラフルにライトアップされている。
雑貨屋に行けばスノードームやサンタモチーフの雑貨が並び、世間はクリスマスを楽しみにしていることを知らされる。それはケーキ屋であるうちの店も例外なくそうで、ここ最近はクリスマスケーキの予約をしにくるお客さんが多い。
あと数日でクリスマスイブになる。
ケーキ屋のクリスマスシーズンは多忙だ。
その多忙さが毎年、私の体に疲労感を与えると同時に心に安堵感を与えていた。
別に一人でもどうってことはない。
仕事は忙しいし、相手がいなくてもデイビッドがいるから…
いや、もういない。
過去形の話だ。
デイビッドに別れを告げられたあの日から私の前にデイビッドは現れなくなった。
いくらデイビッドのことを考えようとしてもデイビッドが笑顔で私を迎え入れて抱き寄せてくれることはなかった。
消えてしまった。デイビッドが完全に消えてしまった。
私はこの先どうやって生きればいいのだろうか。
最近はデイビッドがいなくなったせいで頭が痛いし夜中に突然、涙が出るようになった。本当にどうかしている。
携帯電話を握らないと眠れなくなった。毎日、休憩時間と仕事終わりにスマホの通知をチェックしている。
毎日チェックしても通知がない。
通知の相手がお姉ちゃんだと分かるたびに落胆している。
何のために?私、そんなにスマホに夢中な人間だったっけ?
「高宮さん、最近、例の彼氏とどうなんですか?」
仕事終わりにスマホの通知を確認する私に口元を緩ませた麻亜矢がロッカー横で私を見る。
慌ててスマホの電源を切ると真っ暗になった画面を握りしめて麻亜矢に笑いかけた。
「あ〜どうかな。今はお互い忙しいから…」
私の言葉に麻亜矢が納得したように首を縦に振る。
「確かにもうすぐでクリスマスイブですもんね〜。世間は恋人や家族と過ごす楽しい夜〜なんて言ってますけどこっちは休む暇なく動き回って残業して帰るわけですから世の中がみんな同じように過ごしてるなんて思わせるようなイメージは勘弁してほしいですよね〜」
「川部さん、珍しく毒舌〜!」
私が茶化すと麻亜矢が渋い顔で首を横に振る。
「いやいや、だって高宮さんだって本当は残業なしで彼氏さんに会いたいでしょう?彼氏さんが無理でも高宮さんにはもう一人、長年側にいる彼氏がいますもんね〜。」
麻亜矢が私の顔を見ながら笑っている。
ブラウスのボタンを外す私の手がもつれて上手く外せなくなっていた。
こんなこと、いつもなら難なく出来るのに。
「ははっ。やめてよ〜そんな二股みたいに言って…」
上手く笑えているだろうか。
苦しい時、仕事中でもたまに不安になるときがある。
「え〜!そんな風に思ってないですよ!私だってアイドルに夢中だけど普通に彼氏欲しいですし!…てか、ぶっちゃけ高宮さんは今のところどっちの方が好きなんですか⁇やっぱり理想の脳内彼氏?それとも現実の彼氏さんですか⁇」
麻亜矢が楽しそうにこっちを見ている。
私もその笑顔に応えなければいけない気がした。
どっちの方が好きなんですか⁇
ブラウスのボタンがようやく全て外せた。
シャツを脱ぎながら麻亜矢への回答を考える。
私がより好きなほうは…
恋愛をすればいい。僕以外の人と。
突然、デイビッドと最期に会った日に言われた言葉が頭の中で響いた。
目頭が熱くなっていく。
「高宮さん?」
麻亜矢に名前を呼ばれて彼女の目を見つめた。
「リアルの方はまだ上手くいくとは限らないからね。選べないな。」
誤魔化しの嘘に麻亜矢が、「そうですよね〜私ももし彼氏が出来ても推しと彼氏は選べないです〜!」と笑った。
私のデイビッドは推しとはまた違った特殊な存在であるため、同調できなかったが取り敢えず笑いながら頷くことでその場を乗り切った。
デイビッドは私にとってストレスの捌け口であり、リアルな恋愛対象だった。
本当に?
私、本当にデイビッドと恋をしていた?
私のデイビッドに対する気持ちは恋とは異なるのではないか。
貴志に出会ったことで今、疑問を感じている。
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