妄想炸裂

 ボタッと音がした。

私は短く、あっと声を漏らす。

サーッと血の気が引いていくのがわかった。

床に叩き落とされた苺ショートケーキは体が横に倒れてトッピングの大粒苺が生クリームから離れて転がっていった。

地面にへばりついたと同時に苺が離れたショートケーキはまるでお姫様を失ったお城のようだ。

可愛い苺が乗るには独立しないといけない。

「大変申し訳ございません。」

地べたで無惨な姿になったショートケーキの側で私は頭を下げる。それこそ頭が地面につくぐらいの勢いで。

私の目の前には地べたに落ちた苺ショートケーキを背伸びして切ない顔で見つめる小学生くらいの女の子が立っていた。そしてその隣で呆れ顔のお母さんが立っている。

これが最後の一つのショートケーキだった。

「みなちゃん、ショートケーキ食べれないって。他に何がいい?」

黒髪ロングヘアのお母さんが女の子の腕を揺らして尋ねた。

「みな、苺ショートが良かった…」

女の子は切ない表情で地面に落ちた苺ショートを見つめたまま呟いた。黒髪のロングヘアを二つに結っている。お母さんは彼女の髪を優しく撫でながら、

「しょうがないわねぇ…」と呟くと私を見て、

「今日はキャンセルにします。」と言って女の子の手を引きながらショーケースに離れていき、そのまま店を出て行った。

頭を下げたまま二人を見送った私はそのまま床にしゃがみ込み、地べたに寂しく倒れた苺ショートをティシュペーパーで拾い上げる。

やってしまった。

仕事でミスを重ねるたびに自信を失う。

慣れて上達して上手くいって、ちょっとずつ積み上げられる自信は些細なミスでも脆く揺らぎ、大きなミスでいとも簡単に崩れ落ちる。そうなると再び自信の構築を時間かけて行わなければならない。

私の自信ほど脆く危ういものは他にあるだろうか。

それが恐くて私はいつも彼からの癒しを求めている。

デイビッド。

いつも不安で自信のない私を唯一、慰めてくれる存在。

だけどそれを壊された。

いや、正しくは壊してしまったのだ。自らの手で壊してしまった。

馬鹿だな、私。

今日のミスの起因はそれだ。

プライベートの動揺が二日経った今でも引きずっている。

仕事とプライベート。人間は絶妙なバランスを保って生きている。私はプライベートを失うとこんなにも脆いのか。

「里保ちゃん、それって…おばけってこと⁇」

 二日前の貴志の声が脳裏に蘇る。

違う!そういうことじゃない。

寿司屋からの帰り道だったあの時、私は貴志から出された疑問を思わず心の中でそう叫んだ。

「そうじゃないの。」

デイビッドは私にしか見えないという私の言葉を貴志は理解していない。そりゃそうだ。まさか寝言で言っていた外国人の男が架空の妄想彼氏だなんて、誰が予想つくだろうか。

「じゃあ、見えないって一体…」

貴志は手を顎に当てて真剣に考え出した。

そろそろ私から答えを出さないといけない。

貴志が私の腕を引っ張って誘う現実世界へ足掻いていないで顔を出さなければならない。

大丈夫だ。どうせ一瞬だ。すぐに戻れる。

「デイビッドは実在しないの。私の脳内で勝手に妄想で出来た彼氏。だからデイビッドは今でも私の中で生きているの。」

答えを冷静に正確に述べると中々イタい回答が生まれた。自分の言葉を脳内で噛み砕くと現実世界の私でもおかしいやつだと思う。それが他人なら尚更のことだ。

貴志は私の言葉を冷静に聞いていた。

私が言い終わると少しの間、黙り込んでいた。

まるで私の言葉を懸命に理解しようとしているロボットみたいだ。それから少しの沈黙の後、顎に当てていた手を離すと静かに呟いた。

「マジか…」

マジだ。

大変大真面目。

そう返す代わりに貴志の目を見て頷く。

貴志は呆然と私を見ていた。そりゃそうだ。

貴志の反応は正しくて、その正しさがより一層、私のイタみを引き立たせる。

「そっか…」

貴志はそう呟くと右手で頭を抑えながら再び悩んだ顔になった。

そのままフリーズして数分後、私の目を見た彼は私に、

「ちょっと考えさせてくれない?」と提案したのだった。

私はそれに頷くしかない。私が振ったのにまるで振られたかのようなこの展開。致し方ない。デイビッドなのだから。懸命に自分を納得させる。

「自分の中で整理がついたら連絡させて欲しい。」

あの夜、貴志がそう言って既に二日。

彼からの連絡は一向に来る気配がなかった。

床に落ちた苺ショートケーキはティッシュの中に包まれてゴミ箱の中へと落ちてゆく。まるで私のようだった。今も昔も私は変わらずに誰かから拾われる瞬間を待っている。だけど誰も拾うことはない。やっと拾われたと思ったら拾った人間は私をゴミのように簡単に捨てていく。私は行き場を失ったまま自分で自分を慰めている。それはイタいことなのだろうか?

側から見ればイタいのだろう。逃げていると思う人もいるだろう。だけどみんなそう言うだけで何かをしてくれるわけではない。だったらイタい方が良いじゃない。その方が私は幸せだ。

私を愛してくれない誰かのために私が私を犠牲にする必要などない。

私は私を愛して、認めて、生きるというミッションをコンプリートするためにデイビッドを求める。

それはすごく賢いことではないだろうか。

脳内彼氏はリアルな人間以上に信頼における存在だ。

「里保、里保。」

ほら、今だって彼が私の名前を呼んでいる。

その優しく甘い声が私の耳をくすぶる。

私は目を閉じて全身で感じる。デイビッドという世界一の男を。

「いい匂い。」

デイビッドの身体はいつもいい匂いがする。甘くて雲の上に乗っているかのような匂いだ。

彼の胸に頬を擦り寄せる。

天蓋付きベッドの上でシルクのようにスベスベとしたデイビッドの胸にピッタリとくっ付く私をデイビッドは私の肩に手を乗せて穏やかに見つめている。

「デイビッド、私、犬飼いたいな。」

静かに呟くとデイビッドはその言葉を聞き逃さないとばかりに起き上がって私の腕を掴んだ。

「いいね!二人で飼おうよ。」

私を真っ直ぐ見つめて嬉々とした声を上げるデイビッドに私も嬉しくなった。

「里保は何犬を飼いたい?」

わくわくした表情で尋ねるデイビッド。

私はもう自分の中で決まっているのに一瞬だけ悩んだふりをする。

「うーん…そうね…ゴールデンレトリバーはどう?」

デイビッドの目を見ると彼は目を見開いてoh!と声を上げると額に手を当ててわざとらしくのけぞった。

「里保…完璧だ!どうして君はこんなにも僕と欲しいものが一緒なんだ…信じられないよ!運命としか思えない…。」

えぇ、そうね。私達は運命だわ、間違いなく。

あなたが実在していたら私達は間違いなく運命だった。

「里保、ちょっと待ってて。」

急にデイビッドが立ち上がって私をベッドに置いたまま寝室から消えて行く。私はそれを何の不安げもなく見届けた。

デイビッドは私を捨てない。

私はそれをよく理解している。

しばらくするとドアの開く音が聞こえた。

扉の方を見るとデイビッドは大きな赤い薔薇の花束を抱えて現れた。

「デイビッド!」

驚きで声を上げる。

両手いっぱいに花束を抱えたデイビッドは真っ赤な薔薇たちで小さな顔が隠れてしまっていた。

その花束を私の側に置いた。

真っ白なシーツの上に置かれた真っ赤な薔薇たちは最高にロマンチックで私の頬が同じように赤く染まる。

「こんなに沢山…」

「里保のために今日、すぐに用意してもらうように頼んだんだ。」

薔薇を見つめたまま呟くと自信満々なデイビッドの声が聞こえた。

「どうして?記念日でもないのに…」

デイビッドの顔を見つめる。

彼のビー玉のように青くクリアな瞳が私を捕らえる。

「今日は落ち込んでいるような気がしたんだ。」

嗚呼、デイビッド!

そんなことまで分かるのね。

私達はどこまでも繋がっている。

私は今、世界中の誰よりも幸福だ。

「嫌なことなんて全部、忘れさせてあげるよ。それが僕の役割だろう?」

デイビッドがベッドの上に乗る。

真っ白な天蓋付きベッドの上を私とデイビッドと真っ赤な薔薇たちが陣取っている。

私はそばに寄ってきたデイビッドに抱きついた。

温かくてゴージャスな香りのするデイビッドの身体。

デイビッドの身体は薔薇の花束と同じ香りがした。

デイビッドは抱きついたまま離れない私の頭を右手でポンポンと撫で、左手を私の背中に回している。

彼の匂いを感じながら瞳を閉じる。

そうすると私は本当の幸せ者になる。

現実世界で愛されなくても世界一愛されている幸せ者になれる。

悩みを吹っ飛ばしてくれるのは唯一無二、デイビッドと過ごすこの時間だけだ。

私にはデイビッドが必要でデイビッドも私が必要なんだ。だってデイビッドは私がいないと成り立たない存在なのだから。

現実世界の男は連絡をくれないけれどデイビッドは会いたい時に現れてくれる。

私の求めるように動いてくれる。

それを超える男などいるのだろうか?

いるはずがない。

いないよ、そんなの。

愛なんてエゴとエゴのぶつかり合いだ。

恋なんて脳みそが麻痺して生まれる錯覚だ。

錯覚が解けたら相手の嫌なところに目がいって、あっという間に離れる。

その点、私とデイビッドは永遠に離れることなどないのだからこれからも私はデイビッドを愛する方が確実に穏やかでいられる。

恋なんて脳みその麻痺だ。

無意味なんだ。

リアルなんて信じちゃいけないんだ…

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