寿司告白
「こちら金目鯛の握りです。」
カウンター席に座る私と貴志の前に薄ピンク色の白身にキラキラ光る赤いグラデーションがかった金目鯛の寿司が置かれた。
貴志は金目鯛の寿司を見るや嬉々とした声を上げ、
「いや〜、ここの切り込みがいつ見ても美しい…」と大将の包丁さばきに偉く感動しているようだった。
寿司を食べながら私は貴志に、
「金目鯛って春みたいな色だね。」と頓珍漢なことを言った。
貴志は私の言葉に引くわけでもなく理解できなくて無視するわけでもなく冷静な声で、
「白身の部分がほんのりピンク色だからかな。でも実物はもっと赤みが強くて金魚みたいなんだよ。」と返した。
私は貴志にそう言われて金目鯛の顔を見てみたくなったのでスマホで金目鯛の姿を画像検索した。
画像検索で現れた金目鯛は赤と白のグラデーションの鱗が光っていて大きな瞳がついていた。捌かれる前の金目鯛は黒目が大きくて、これなら黒目を大きく見せるためのコンタクトは必要ないなと感じた。
私は裸眼だけど職場の麻亜矢がよくそのコンタクトを使用していた。
「黒目が大きくなるだけで印象ってだいぶ変わるんですよ!私の友達もこのカラコンよくつけてるんです〜。」
以前、そう言ってビフォーアフターを見せてくれた麻亜矢を思い出す。確かに黒目を大きくした後とする前では印象が変わっていた。何故だか分からないが黒目が大きくなった方が化粧をしているかのように見えた。
どちらがいいのか私には分からない。
ただ黒目を大きくすれば垢抜ける代わりにメイク後のような人工的な顔になり、黒目を大きくしなければナチュラルな代わりに素朴な顔に見えた。
「金目鯛ってなんか…アイドルみたいな顔しているね。」
大きな瞳に数万人の手を振る観客を映してマイクを両手に持って歌う金目鯛の姿が脳裏に浮かんだ。
私の呟きに貴志は、
「発想が斬新だね‼︎」と感心した声を上げた。
ガラスケース内には色とりどりの新鮮な寿司ネタが並んでいてまるで煌めく宝石が並ぶディスプレイショーケースのようだ。
貴志はそこに並ぶ魚の切り身たちをジュエリーを見つめる少女のようにうっとりと眺めていた。
彼は大将が出す寿司一つ一つの断面図に感嘆する声を上げた。
私は美味しければなんでもよかったので彼の横でお構いなしにすぐに寿司を口に入れていた。
「お腹いっぱい?」
満腹感を覚えた頃、貴志が尋ねてきたので頷いた。
「俺も結構、満腹だ。」
私と貴志は満腹のメーターが似ているみたいだ。
貴志がお勘定をした。その隣で棒立ちしている私はこういった時、財布を見せて払う仕草を見せた方がいいと言っていた美里の言葉を思い出して財布を出そうかと思ったがその直後に、何も言わずに払ってくれているのだから相手の気持ちを尊重して後から礼を言って煙草を買ってあげればいいと言う店長の言葉を思い出して桜色の鞄からわずかに財布が頭を覗かせている状態のままフリーズしてしまった。その間に貴志は淡々とお勘定を済まして私に目をやるとフリーズする私を気に留めていない様子で、
「出ようか。」と扉に向かった。
とりあえずその背中について行く。
扉を抜けると冷たい風が頬に当たって冬の寒さを実感する。
「寒〜い。」
私が声を上げると天を仰ぎ見る貴志が短く、そうだね。と返した。
そのまま二人で店を離れて当てもなく歩いてみたが、互いの足先は無意識に待ち合わせ場所だった駅へと向かっていた。
今日はホテルに行かない。だって素面だし。
訳の分からない言い訳を自分の中に並べる。
私は素面だから頭の中で冷静にデイビッドの顔を思い浮かべることが出来た。
コートの隙間に冷たい風が入らないように両手をポケットに入れたまま歩いていた。貴志も寒いのか鼻先がほんのりピンク色になっている。
「あのさ…」
口火を切ったのは貴志だった。
二人で待ち合わせて肩を並べて歩いた駅通りに辿り着いて再び行った道を一緒に戻って行く。
「うん、なに?」
返事をすると貴志が足を止めた。それに合わせて私の足が止まる。
あ、来る。来る!
貴志が何を言おうとしているのか私にでも分かった。
足を止めて私を見る貴志の瞳が、表情が、絶妙な間が貴志の言いたい言葉を発する前から私に伝わる。
「……俺たち、試しに付き合ってみない?」
提案というかたちで貴志が述べる。
私が一番、頷きやすいかたちの告白だ。
そうやって言われるとうっかり、うん。と言ってしまいそうになる。
うん、わかった。
この二つ返事で貴志と私はいとも容易く恋人条例が結ばれる。それは私が望むことでもあり、望まないことだ。
ダメだ、ダメだよ。
駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だあ‼︎‼︎‼︎
「ごめん!」
心を鬼にして頭を下げる。貴志の顔が見えないくらいまで頭を上げて目を瞑る。
ごめん、ごめん。
里保……
私の名前を呼んで微笑むデイビッドが脳裏に映った。
そうだ。これで良かったんだ。
私にはデイビッドがいるのだから。
顔を上げるのが恐かった。
顔を上げたら貴志がどんな表情をしているのか見るのが恐い。
「顔上げなよ。里保ちゃんが謝るようなことじゃないんだから。」
貴志の優しい声が聞こえて余計に悲しくなってくる。
ズキズキと胸が痛い。泣いちゃ駄目だ。私が胸を痛めるのはおかしいんだから。
ゆっくりと顔を上げると私を見つめる貴志と目が合った。貴志は少しだけ残念そうな顔をしていた。
「やっぱり、デイビッドが忘れられないの?」
心配そうに私を見る貴志が尋ねた。
突然、彼から出たデイビッドの名前に私はまたしても激しく動揺する。
「…え?…あ、いや…うん。」
だから違うの〜!デイビッドは元カレじゃなくて今カレなの〜‼︎
頭の中の私は意味もなく叫んで暴れている。そのせいで私はまた動揺して瞳が揺れていた。
「デイビッドとはいつまで付き合っていたの?」
核心をつくような質問を飛ばす貴志に私の動揺は激しさを増して不自然な冷静さが生まれる。
「え?いつ⁇」
偉く動揺している。
私は今、激しく動揺している。
誰か私を操ってこの場を乗り切る出まかせを出してくれ!
「うーん?いつだったっけ?」
いつもなにもまだ続いているんだよ‼︎
妄想彼氏なんだから‼︎
脳内の私が頭を抱えてフリーズしている。
「すごく好きだったのに忘れちゃった?それとも辛くて言えないとか?」
そう!そう言うことにしよう‼︎
私はとりあえずその言葉に何度も小刻みに首を縦に振った。まるで赤べこのようだ。
「そっか…そんなに好きだったのか…」
参ったとばかりに貴志が頭を抱える。
脳内の私も同じように頭を抱えているが見せている表情はまるで違う。
彼は落ち込んでいる感じ、私は切羽詰まっている感じだ。
「そのデイビッドって男はさ、何人だったの?」
うわぁ!あんまり深く聞かないでよ‼︎
爪の甘い私はいつボロが出るかわからない。
とてつもない恐怖だ。
「あ〜、多分、アメリカかイギリスかな…」
苦し紛れの回答だ。こういった質問に備えて設定は詳細にすべきだった。ただの妄想だから全部が都合よく成り立っていて現実味がない。
「多分⁉︎国籍もわからない関係だったの?…じゃあ、デイビッドの年齢は?」
そこも聞かないでくれ!
デイビッドは年齢不詳のハリウッドスターなのだから‼︎でもそんなこと正直に言ったら嘘だってバレてしまう。
嘘じゃないけれど嘘になってしまう‼︎‼︎
「年齢も知らなかったの⁉︎そんなやつと一体どこで出会ったの⁉︎そいつヤバいやつだよ。絶対おかしいって!」
私に訴えかける貴志の目は私を妄想世界から引き戻そうとしているように見えた。
脳内で現実逃避している私の腕を引っ張る貴志。
違う、違うの‼︎
私を現実に引き戻さないで‼︎
「俺、こんなんじゃ引けないよ。そのデイビッドって男、怪しいよ‼︎」
嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼‼︎‼︎‼︎
「違うの‼︎」
私は叫んだ。
貴志はそんな私をキョトンとした顔で見ていた。
「デイビッドは…」
いざ、言葉で表そうとすると緊張した。
口の中に溜まった唾液をごくりと飲み込む。
貴志は私の言葉を待っているとでも言うように真剣な眼差しで私を見つめる。
嗚呼、恐い。
言いたくないよ、言いたくない。
だって言ってしまったらイタい女だって思われる。
貴志がどんなにそれを口に出さないようにしてもきっと無意識に顔に出る。私はそれを理解してイタみをチャージして生きている自らを実感しなければならない。
でも、どうしようもない。どうにもならない。
私にはデイビッドがいないと生きていけないんだから。
デイビッドと妄想恋愛することだけが幸せなんだから。
「貴志くん、デイビッドはね、私にしか見えないの。」
心臓の音は意外と落ち着いていた。
言葉にしようと思った瞬間、達観したのかもしれない。
「えっ、それってどういうこと…?」
貴志が珍しく動揺を見せる。
黒目が揺れて困惑する貴志は初めて見る姿だった。
デイビッド…私の愛しいバーチャル彼氏。
私を唯一ありのままで愛してくれる大切な人。
「里保ちゃん、それって…おばけってこと⁇」
私の瞳を覗き込むように貴志が不安げに尋ねた。
彼の言葉は私を拍子抜けさせて緊張を解き放つ。
違う!そういう意味じゃない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます