再度連絡

 貴志から連絡が来たのは翌日のことだった。

お昼休憩に入った私はバックヤードでスマホを開くとラインが一件入っていることに気づく。

 久しぶり!今日か明日、会える時間あるかな?

来たな。貴志からのラインの文章を何度も往復して読むと私は一度画面を閉じて深呼吸をする。

それから再びラインを開くと返信した。

 久しぶり!今日は早番だから5時にはあがりだよ。そのあとだったら空いてるよ!

貴志に返信すると画面を閉じた私は頭の中でデイビッドを浮かべた。

傷ついたデイビッドの顔、優しいデイビッドの姿、誰よりもカッコいい彼の容姿、眩しい笑顔…それらを頭に浮かべながら何度も何度も小さく頷いた。

こんな素敵なイケメンよりもリアルな男を信じて愛するなど到底、考えられない。私は貴志と会ったらもう会うことはないとそれとなく彼に示すのだ。そしてそのあとは何があっても連絡を取らない、会わないのだ。

決意を固めたタイミングで貴志からラインの返信が来た。

 そっか!じゃあ、6時に駅前で待ち合わせはどう?

私も彼のラインに即座に返信する。

 うん。わかった!

嗚呼、前置きなく訪れる出逢いよ。

私とデイビッドには常に試練が与えられる。

現実という名の誘惑。私は己の愚かさでいつもデイビッドを傷つけてきた。もうこれ以上、彼を傷つけない。絶対に!

スマホを鞄にしまってお昼ご飯を食べようとしていた矢先、今度は着信のバイブ音が振動した。再び鞄からスマホを取り出し、画面を見ると着信画面に見慣れた名前が表示される。その名前を見るとどうでもいい反面、嬉しさと安堵感が溢れる。

画面を開いて電話に出た。

「もしもし、お母さん?」

気怠げな声で母を呼ぶ。母はそんな私にはっきりとした口調で応える。

「もしもし。今、会社?」

「うん、そうだけど…何かあったの?」

「いや、別に何もないけれど元気にしているの?」

「うん。元気だよ。」

「あら、そうなの。彼氏出来た?」

唐突な母の言葉に動揺してぎくりとする。

「出来てないよ…どうして?」

「いや、別になんとなくよ。彼氏が出来ていそうな気がしたんだけど気のせいだったのね。」

電話越しで苦笑している母が容易に想像出来た。

「出来てないよ〜全く!」

声の張りと勢いで決着をつけようとする。

お母さん、私は彼氏が出来ていないわけではないのです。

私には頭の中に十四歳の頃から愛を育んでいる素晴らしき彼氏がいるのです。

彼の姿を実際に見せることは出来ないけれど私は彼と長いこと非日常的な恋をしてきました。

私と彼はいくつもの生涯を乗り越えて未だに愛し合っているのです。

「うん?なになに?…わかった。…お父さんが替わってって言ってるから替わるわね。」

電話越しの母がそう言うとガサゴソと音が鳴って今度は父の声が聞こえる。

「もしもし、里保か⁉︎」

さっきまで母と喋っていた人間が私以外の誰だと思っていたのかと聞きたくなるほど威勢よく私かどうか確認する声を上げる父。

「うん、私だよ。」

笑顔で応える私に父はえらく動揺した声を出す。

「お前、彼氏出来たのか⁉︎」

父の言葉と動揺ぶりに思わず吹き出す。

「全然、出来てないから。お母さんにもそう言ったよ〜。」

電話越しで瞳孔が開いている父の姿が容易に想像出来た。

父は私の言葉に安堵したように、そうか…と言って思い出したように、あ!と声を上げた。

「いいか、里保。彼氏が出来たとしても日本語が喋れない外国人はダメだからな!父さん、外国に住むのは許さないからな‼︎せめてお姉ちゃんみたいに日本で働いている人と結婚しなさい。外国はダメだ。病気になったら気軽に日本に帰れないからな⁉︎」

携帯越しで熱のこもった声を上げる父に私はいつも通り適当な相槌を打ってみせる。古さと現実的な意見を持つ私の父は十六歳のときにリビングで居眠りしていた私がデイビッドの名前を寝言で言っていたのを聞いたことを未だに気にしていた。

母はデイビッドを好きな芸能人か何かかと思っていてまさか脳内で創り上げたバーチャル彼氏だとは思っていない。それに私はデイビッドの存在を今まで家族の誰にも言わずにひた隠しにしていたため私の家族は私が日常をバーチャル彼氏で満たしていることを知らない。その為、父は未だにデイビッドを実在する男だと思っていて、いつか彼が私と一緒に目の前に現れるのではないかと怯えていた。

馬鹿だな…デイビッドなんて存在しないのに…

馬鹿だ。どんなに愛したって家族に紹介なんて出来やしない。

母がデイビッドを見て、かっこいいわぁ〜と甲高い声を上げる様子も、写真を一緒に撮りたくてスマホを開く姉も、その様子を不貞腐れた顔で眺める父も、困った顔で私に苦笑するデイビッドも、そばで笑う私も、いくら想像したってどんなに望んだって叶いやしない。

妄想だけで終わる。

妄想通りにいかないこの現実世界に置いてそれは幸せなことでもあり、悲しいことでもあった。

私はいつまでこの妄想を続けるの?

幸せで満たされる反面、虚しさで涙が出そうになる時がある。自分を可愛がる為だけに存在しているデイビッドを不憫に思う時もある。

デイビッドのお陰で救われているのに私は私の妄想に少し飽きてきている。もっと欲深くなってきている。 

私はどこまでもわがままな女だ。

自分に何度も嫌気がさしながら今日も明日もきっと私にはデイビッドが手放せないないに違いない。

「たまには顔見せに帰ってきなさい。」

母はいつも電話越しでこの言葉を言う。

仕事と家の往復で実家に帰る余裕が今の私にはないのだ。

「うん、わかった。じゃぁね。」

いつもと同じように適当に流して電話を切った。

店の置き時計を見ると休憩時間が既に二十分以上過ぎていた。

鞄からコンビニで買ったパンを二つ出す。

今日のお昼はジャムパンとコロッケパンだ。

一人暮らしをする高卒の販売員に贅沢なんて出来ない。お金を削れるものは削らないと。

自炊をすればもっと良いのかもしれないけれど怠惰な私には仕事と家事を両立出来る力は残っていない。生きるために仕事をして洗濯をして節約することで精一杯だ。私の心はそれだけでストレスが膨れ上がっていてデイビッドがいないと生きていけないのだから、それ以上をこなすことなど出来ない。

人にはそれぞれが抱えられるストレスの重さが異なっていて私には一人暮らしと仕事のストレスだけで既に重量オーバーとなっている。誰かの為にとか、誰かを愛するとか、誰かと想い合うとか、そんな余裕はない。

都合の良い妄想彼氏一人で十分だ。

そして今日、久々の生身の男の現実を思い知ってデイビッドの元へ還るのだ。本当に愛する男の元へ還るのだ。

宣誓!

我は柏木貴志と今日、会うことを最後に二度と連絡を取らないこと、デイビッドを真剣に愛することを誓います!

手を上げて声を出す私の前でデイビッドが嬉しそうに笑顔を見せて立っている。彼の綺麗なサーモンピンクの唇の隙間から真っ白な歯が光っていた。

私は彼の美しいマリンブルーの瞳に誓って頷く。

するとデイビッドも天使のような笑みを浮かべた。

思わずごくりと唾を飲み込む。

天使だ…デイビッドは天使だ。

彼を裏切ってはいけない‼︎

宣誓!

彼の美しい瞳に誓ったからには裏切りは厳禁だ!



「この間ぶりだね。」

 待ち合わせ場所で合流した私と貴志は駅前の通りを肩を並べて歩いた。

「そうだね。」

いつ、貴志に脈がないことを示せばいいのか分からない恋愛初心者の私は頭の中がぐるぐるとまわっていた。

「この間、あれから大丈夫だった?」

「え⁉︎何が⁉︎」

貴志から発せられた、この間というワードに激しく動揺する。

「いや、仕事間に合ったのなら良いんだけどさ…」

貴志は至って冷静に私の言葉のボールを受け止める。

私は冷静に投げる貴志のボールに怯えて過剰に跳ね返すハムスターのような気持ちになっていた。このまま回し車に向かって逃げてしまいたい。あるいはひまわりの種が貯蓄されている部屋に篭ってしまいたいような気分だ。

「何か食べたいものある?」

貴志に聞かれて首を横に振る。

「ううん。なんでもいいよ。」

本当になんでもよかった。パスタとラーメン以外なら。

「じゃあ、寿司はどう?たまに行くお店があるんだけど。」

貴志の言葉に笑顔で頷いた。

寿司は好きだ。それに今日の気分にも適していた。

私は貴志のあとをついていく。

道中、私の半歩前を歩く貴志の背中を見つめた。

貴志は特別イケメンではないし、特別オシャレではないけれど背丈と後ろ姿は不快な気持ちを1ミリも感じさせなかった。

生身の男だけど貴志と肩を並べて歩くことは私に何一つ違和感を感じさせなかった。

「このお店だけど、どう?」

歩みを止めた貴志が私に顔を向ける。

私と彼の前には年季の入った横開きドアと寿司と書かれた紺色の暖簾が掛かった玄関が映っていた。

普段、私が一人だったら絶対に入らない外観だ。

私はいつも回転寿司かチェーン店のファーストフードやファミレスにしか行かない。こういった外観のお店に一人で行く勇気がないのだ。

流石一人で水族館に行く男だ。

「うん、いいよ。」

私が笑顔で頷くと貴志は嬉しそうに笑った。

それから私達は肩を並べて暖簾をくぐった。

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