恋人露呈
「里保、里保!」
誰かが私の名前を叫んでいる。
聞き慣れた耳心地の良い声だ。
その声の主を誰よりも愛している。
さぁ、目を開けて。
私には愛しいあなたがいる。
「里保、僕はとても悲しいよ。」
瞳を開けると項垂れて落ち込んでいるデイビッドがいた。
「どうしたの?デイビッド、落ち込まないで。」
すぐにデイビッドのそばへと駆け寄る。
デイビッドは私達二人の愛の巣である七億円の自宅でリビングの白いソファーに腰掛けていた。私はその向かいにある同じデザインのソファーで眠り込んでしまっていたみたいだ。
慰めるように項垂れているデイビッドの背中に手を当てた。
「デイビッド、どうしたの?」
問いかけるとデイビッドは顔を上げて悲しげに私を見つめた。
「里保、僕は君を一番に愛している。」
真剣な眼差しでデイビッドが私に愛を伝える。
「えぇ、もちろん分かっているわ。私もあなたを一番に愛している。」
私の言葉にデイビッドは首を横に振って再び項垂れた。
「里保、それなら何故、君は僕を裏切ったんだ…」
「裏切った⁇一体、何のこと⁇」
デイビッドの言葉に頭の回転が追いついていない。
デイビッドを一度だけ裏切ったことがある。それは三年前のあの合コンの時だ。私にはデイビッドという大切な恋人が存在していたのにリアルな男に憧れて思わず裏切ってしまった。
バーチャルな世界よりもリアルな世界への憧れに流されてしまった結果、身も心も痛い思いをした。
裏切った私を優しく慰めて抱きしめるデイビッドにもう二度と彼を裏切らないと誓ったのにまた馬鹿なことをしてしまったのだろうか。
「はぁ…里保、もういいよ。本当は君は僕のことなど愛していないんだ。」
「そんなことない!」
デイビッドの言葉を懸命に否定する。デイビッドはそんな私に目を閉じて首を横に振る。
「君は結局、リアルな男を求めているんだ。所詮、僕は君の脳内から出てこれない無力な男さ。」
デイビッドは頭を抱えて下を向く。
やめて…やめて!落ち込まないで!
どうしてそんなことを言うの?
私はあなただけなのに…デイビッドのいない人生なんて考えられないの。
私にはデイビッドさえ存在すればいいの!
リアルな男なんていらない。
だから私から大切なデイビッドを引き離さないで‼︎
ガバッとベッドから起き上がると陽の光が視界いっぱいに広がった。
眩しさで思わず目を細める。
夢?
眠い目を擦りながら視線を落とすと今度は柔らかな掛け布団の純白が視界に映る。
「あ、おはよう。」
隣から人間の声が聞こえて私の身体は強張った。
この声を昨日の夜、散々聞いていた。
嘘だ…まさか…
シーツの感触がお尻に直で伝わってくる。起き上がった瞬間の身軽さと肩の肌寒さ…くしゃくしゃになった髪を掻き上げて、目でそれを確かめる。
裸だ。紛れもなく裸だ。
この肌色は間違いなく私の地肌だ。私の地肌に似せた私服ではない。
自分の裸体を確認すると恐る恐る横を見る。
「体調、大丈夫?」
私の隣で貴志が裸のまま煙草に火をつけている最中だった。
やってしまったぁぁぁあ‼︎‼︎‼︎
悶絶するように頭を抱えて布団に顔を埋める。
いっそこのまま気絶してしまいたい。
「あれ?もしかして覚えてない⁇一応、合意の上だったんだけど。」
貴志が何食わぬ顔で伝える。
酔って記憶のない私には言い返せる言葉が見つからない。こういった立場になった時、女は負ける。自分で自分を守らなければいけないのに私はまたしても爪が甘かった。愚かだった。
「まぁ、でも問題ないよ。ちゃんとコンドームつけてヤったし、遅かれ早かれ俺はこうなりたいと思ってたからさ。」
やってしまった、やってしまった、ヤってしまった‼︎‼︎
君は僕を裏切ったんだ…
デイビッドの言葉が脳内に児玉する。嗚呼、だから彼はあんなことを言っていたんだ…私はまたデイビッドを傷つけてしまったんだ…
「ところでさ…」
貴志の声に我に返ると顔を上げて彼を見た。
貴志は丁度、ベッドから出て立ち上がっているところで彼の生々しい息子が当たり前のようにぬっと私の視界に出現して思わず目を閉じた。
貴志の毛に覆われた貴志の息子はどこまでも美しさと皆無で私の股間の生々しさと同じだった。
デイビッドとすらそういったことを行なっていない私はデイビッドの股間を好きなだけ美化できているのに対し、事を行なってしまった貴志の股間はしっかりと人間のソレで数時間前にコレが私と結合していたとは到底考えられなかった。
普段はパンツとズボンという布地で存在を隠している貴志の息子は可愛げなく私の前に現れた。私は今、全力で彼の股間と自らの股を恨んでいる。いや、恨むべきなのは股間ではなく思考力を失くさせた脳みそが妥当かもしれない。それとも脳みそを麻痺させるアルコールか…そのアルコールを飲もうと考えた脳みそに戻るか…
「ところでさ…デイビッドって誰?」
頭を抱えて悶々としていると貴志が質問する。
現状を受け入れられていない私はしばらく彼の質問を理解するのに時間を要した。
貴志がデイビッドについて質問していると理解するのに数十秒掛かった後、勢いよく顔を上げて貴志を見る。
「…え?今、なんて言った…?」
何故、貴志がデイビッドの名前を知っているのか。
驚きで目を見開いて思わず聞き返した。
それに対して貴志は顔色一つ変えずに淡々と話す。
「いや、さっき寝言で言ってたからさ。…友達の名前?」
私は慌てて首を振る。
それから再び頭を抱えた。
寝言‼︎デイビッドの名前を貴志の隣で呟いたなんて‼︎
嗚呼、やっぱり私って大馬鹿野郎だ‼︎
地球だって私の愚かさに笑っているに違いない。
自分の浅はかさを恥じている私の側で貴志は淡々と煙草を吸いながら、
「元カレ?外国人だったんだ。」とポーカーフェイスで呟く。
いや、元カレじゃありませんから!
デイビッドは現在進行形の彼氏ですから‼︎とは流石に言うことが出来ずに黙ったまま素っ裸で頭を抱えている。これではロダンの考える人に鼻で笑われるだろう。
「じゃあ、俺、先に仕事行くから。」
そう言って貴志が私にラブホテル代を多めに渡してきた。
貴志の差し出したお金を無言で受け取る。
次々と訪れたショッキングな現実に私の脳みそはフリーズしていた。
現状にパニックに陥っている私に対して貴志は当たり前のように私との初セックスを日常の一部へと消化させている。
貴志の股間を受け入れたはずなのに、その記憶がないセックスに私は狼狽えていた。
それでも訪れる朝。家で見るのと同じ太陽がおはようしている。何があっても淡々と時計の針は進んでいき出勤時間が刻一刻と迫ってきていた。
「また連絡する。」
服に着替えた貴志が私に向かって手を振る。
え?これってセフレ決定ってこと…?
扉を開けて去っていく貴志をポカンと口を開けたまま見ることしか出来なかった。
いや、セフレとか無理‼︎
どんなに爪が甘い私でもセフレにはなりたくない‼︎
僕は君を一番に愛している。
デイビッドの言葉が蘇る。
そうだ!私にはデイビッドがいる‼︎
セフレになんかなるものか‼︎‼︎
こんなにリッチでゴージャスな彼が私を一番に愛しているのにリアルな地味男子に都合よく股を使用されるべきではない。
遅かれ早かれ俺はこうなりたいと思ってたからさ。
今度はさっきの貴志の言葉が脳内に児玉した。
違う、違う、違う‼︎
そう言う匂わせ発言する奴は詐欺師なんだから騙されちゃダメだ‼︎‼︎
期待しないように落ち込まないように脳内の私が叫ぶ。
遅かれ早かれこうなりたいと思ってた?
どうせ都合よく女の股間を利用したかっただけよ!
あんたのハートじゃなくて裸体を求めているのよ‼︎
そうだ。男なんてみんな女の裸体を求めているだけだ。
自分にはない膨らんだ乳と自分にはない穴が欲しいだけだ。
だからかつてヤリ捨てされた。
だから現在、セフレになりかけている。
自分を強く持て。
リアルな男を信用するな。
リアルな男を愛するな!
携帯のアラーム音が突然、鳴り響いた。
仕事に行く準備を始めなければならない時間を知らせる騒音。
私の日常も貴志と同じくらいリズムが乱れていない。
ベッドから降りると床に散らばった自らの服を拾い上げる。
ベッド近くのゴミ箱に目をやると使用済みのコンドームが確かに入っていた。
嗚呼…
英語だったら、oh…というため息を漏らして下着を身につける。その瞬間、思い出したように声を上げる。
「あ、シャワー浴びないと!」
足を通していたパンツを脱いでシャワールームに駆け込む。
その際、脱ぎ捨てられたボロボロになったベージュのパンツを見て自分がこの下着姿を貴志に見せて事に及んだことを理解するとさらに恥ずかしくなった。
シャワールームの冷たい床を足裏に感じながら温かいシャワーを浴びると身体が洗われていく感じがする。
シャワーの温水を顔から浴びながら私は頭の中で思い出さないようにしても浮かぶ貴志とデイビッドの顔を交互に思い出しながら胸の奥がズキズキと痛むのを実感していた。
こんなんじゃ私、一生幸せになれない。
自分の涙がシャワーの温水に混ざって流れていく。
私の涙はそのまま私の身体を伝って排水溝へと流されていく。
悲観したかと思えば今度は仕事に遅刻しないか時間を気にしていた。
悲しみと同時に迫り来る出勤時間と闘っていた。
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