第7話 蘇る、死の感覚


「(い、勢いで飛びだしてきちゃって……地縛霊の前に出ちゃってるけど、幼稚園児のオレに一体何ができるっていうんだ……!!)」


 とりあえず、足元に転がっていたゴルフクラブを持ち上げてみた。

 金属製でそれなりに強度はありそうだけど、持ち上げてみてわかったことは、5歳児にとっては非常に重い代物ということ。

 そもそも、5歳児には会社にゴルフクラブがある理由が意味不明である。


「こ、こ、こっち来るな地縛霊ッ! 来たらこの棒で頭叩くぞ! あのお札で爆発させるぞ! 怖いだろ? 怖いだろ? 怖かったらこっちに来るな! どっか消えてしまえ!」


 小さな葉手州くんがいくら仁王立ちしたとしても。

 手に、ゴルフクラブを握って振り上げて構えていたとしても。


 ずぅんと、見上げるほど巨大に見える大人の男の地縛霊は、脅しにビビッて歩みを止めるなんてことはしないらしい。


 全然止まりそうにない地縛霊に、葉手州くんは涙目になってゴルフクラブを振り回す。


「ギャ―――ッ!! こ、子ども相手に大人が何やってるんだ! こっちは幼稚園児だぞ! 5歳児だぞ! 地縛霊でもなんでも、大人はそういうコトしちゃダメなんだぞ!」

「……だから、葉手州くんは逃げなさいってば! 私がなんとか、するからっ!」


 泣き叫びながら、ゴルフクラブを振り回す。

 葉手州くんのその様子を、芽愛が少しあきれた表情で眺めている。

 でも芽愛も、まだ殴られた腹痛に動けない姉の側を離れられない。


「(やっぱりオレが何とかするしかないんだ! この2人を守るんだ! 幼稚園児だって5歳児だって関係なくて、この地縛霊をどうにかしなきゃ、皆殺されてしまうんだ―――ッ!!!)」


 ブン! ブンッ! ブンッ!!


 5歳児の細腕からは、割と頑張っている感が伝わるくらいの速さ。

 必死に振り回す葉手州くんのゴルフクラブだが、近づいてきた地縛霊の腕が、それを叩き落としてしまう。


 ゴンッ! カラカラカラン。


 あっけなく床に転がるゴルフクラブ。

 涙目になって、ガクガクと震える両足を押さえることもできなくて。


 見上げる地縛霊が、もう目の前に迫ってきたとき。

 葉手州くんは―――奥歯をカチカチと鳴らしながら、ハッキリと自覚した。


 死ぬ――――。

 死んでしまう――――――!


 この感触。

 チリチリとした肌を刺すような緊張感。

 喉がカラカラに乾いて、時間がゆっくりと過ぎるような感覚は。


「(……あれ? ……これって、どこかで感じたことがある? ――――オレ、死ぬのは初めてなのに?)」


 走馬灯のように時間がゆっくりと流れ始める中。

 葉手州くんは、目の前に思い浮かべられることに対して……「何か」を思い出し始めてきた。


『ズッシャアアアアアアッ!


 痛みは、無かった。


 苦痛も、不思議と無かった。


 視界が、真っ白に染まり。


 体と精神が分離して……ゆっくりと、天に向かって浮き上がっていく感触がする。


 やがて、朧気になっていく……自らの身体の感覚。


 どこまでが自分の手で、どこまでが自分の足なのか。


 体は?


 顔は?


 髪は?


 ……そもそも、オレ様は誰だ……?』


 蘇ってくる、魂の中に刻まれているかのような―――――記憶。


 そう。

 幻とか幻想とか、錯角とか夢とか。

 そういうモノじゃない。


 葉手州くんは……いや、ハデスはしっかりと理解することができる。


「(これは、現実)」


 両手の拳を握り締める。力が入る。

 感覚を研ぎ澄ましてみる。周囲の様子がわかってくる。


 そして、自分のことも……わかってくる。


「(これは……経験したこと。オレの……オレ様の――――――記憶!!)」


 時間がゆっくりと流れていた中、5歳児の小さな耳には若い女性の悲鳴が響き渡っている。


「葉手州くん―――ッ! 逃げて! 逃げて! キミまでやられてしまうっ! お姉ちゃんも大丈夫そうだから! 私が戦うから! お願いだから、逃げてッ!!」


 聞こえてきているのは、芽愛の悲鳴だ。

 地縛霊に追い詰められて、そのまま……仁王立ちをしている葉手州くんに向けられている。


「お願い……葉手州くんっ!! 逃げてッ!! 危ないッ!」


 グルアアアアアッ!!!


 ひときわ大きな芽愛の悲鳴がしたかと思うと、葉手州くんの小さな体は空中に飛び上がっていた。

 地縛霊が大きく足を振りかぶって、葉手州くんの腹を蹴り上げたのだ。


「キャアアアアアアアアアアァァァッ!!!!」


 目の前で、小さな子どもが容赦なく蹴り上げられた。

 その衝撃的な光景に、芽愛は耐えられなかった。


 床の上に悶え苦しんでいる姉の身体の上に、妹の芽愛の身体が横たわる。

 信じていた姉が倒れ、守るべき小さな弟のような5歳児が思いきり蹴り上げられる。


 これまでの霊には通用していた【唱え言葉】も【破魔】の札も破られてしまい、もう、どうすることもできない。


 その状況に、まだ13歳の中学1年生の子どもが――――耐えられなかったのだろう。


「……ヒィ……ッ!!!」


 小さな悲鳴をあげて、芽愛は気絶した。


 その瞬間。

 蹴り上げられ、空中に飛び上がった―――葉手州くんの小さな体に、異変が起きた。


◇ ◇ ◇


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