プロローグ2 魔王は、幼稚園児に生まれ変わった!


 物語は、日本へ。

 時は、西暦2000年代初頭。


 子どもたちが自由に遊べる外の遊具の中に、今では珍しいジャングルジムがある幼稚園があった。


 ジャングルジムの高さはそれほど高くなかったけれど、大人の背丈よりも少し高いくらいの高さに上り、景色を眺めることができるとなると、少々腕白な幼稚園児たちからは大人気のスポットとなる。


 この日も、一人の男の子がいつものジャングルジムの上で、いつものように景色を眺めていた。


 雨が降りそうな、黒い雲が一面を覆っている、空。


 雨粒がポツリと、男の子の頬に落ちてきた。


 まだ5歳の、瑞々しい白肌は。

 空から落ちてきた雨粒をはじき返して、かすかに揺れる。

 生まれつきの赤いアイシャドウのような痣のある――――その男の子は、じぃっと暗い空を見上げていた。


 純粋な、曇りのない、5歳児の眼。


 じぃぃっと、雨が降り始めてきた黒い雲を見上げながら。


 彼は、まだ幼い紅色の唇を微かに開いて。


 こう、呟いた。


「――――――少しずつ……思い出してきた……」


 誰にも聞こえない。自分自身だけに向けられた大きさの声。

 男の子の顔には、ポツポツと雨粒が落ちはじる。

 頬が濡れ、髪が濡れ。

 クリーム色の幼稚園の作業着が雨に濡れて色が変わってきていても、その男の子は空をじいぃっと見つめ続けている。


『……【冥府の……十二使徒】……』


 雨に濡れた黒髪は、男の子のおでこに張り付いていく。


 顔中が雨でビショビショに濡れてきているのだけど、男の子は空を見上げるのをまだやめない。


『……【魔王……ハデス】……』


 何かとても重要なことらしい言葉が、頭の中を流れていく。でもそれが何なのかは、まだよくわからない。

 でも、思い出さなければならない―――――とっても大切なことなんだ。


「……なんだっけ……? 思い出せない……ッ……。何だろう、何だろう? 何だろう?」


 濡れた頭を抱え、ウンウンと唸ってしまう。

 そんな悩める5歳児が、雨の中外にいることに気が付いた保育士たちは、慌てて男の子を建物の中へと非難させる。


「こっち、こっち、早く来て。姫崎(ひめさき)葉手州(はです)くん」

「はぁーい」

「……もう、どうして雨の中、外にいたの?」

「わかんない。なんか、外にいたいなって思って……」

「ダメよ。ほら、もう、ズブ濡れじゃない」


 葉手州くんの柔らかな黒髪を、保育士さんがバスタオルで包んでくれた。

 そして、ワシャワシャッと髪を拭き。雨に濡れた水分を乾かしてくれる。


 全身びしょびしょになったので、そのまま予備の運動着や下着を取り出して、着替えもさせてくれた。


「よぉし、これでオッケー♪ 濡れた服は全部、お持ち帰りね。お家の方――――そうそう、お世話になっている、姫崎のお姉さんにお願いして、洗濯してもらってね? 葉手州くん?」

「はぁーい」

「それにしても、葉手州くんはどうして親御さんの元を離れて……東京で暮らすことになったのかしらねー。……姫崎のお姉さんがしっかりしてる人だから、ちゃんと面倒は見てもらってるみたいだけど。……どうしてかしらね、葉手州くん?」

「……オレにもわかんない、です」


 葉手州くんが、居心地が悪そうに俯いている。

 それはそうだろう。

 本人が一番、それを知りたいのだから。


『いい? 親戚の、姫崎の家の人が、葉手州のことをちゃんと面倒見てくれるからね。いい子にするのよ? ――――何か、変なこととか……変わったことがあったら、すぐに姫崎の人に言うのよ? わかった? 葉手州?』


 故郷の実家を出発する、前日。

 心配そうに一人息子である葉手州くんの荷物をまとめてくれている、母親の姿が今も鮮明に蘇ってくる。


「(どうして、ママは……オレを姫崎のお家に預けたのかなぁ……?)」


 その謎は、若干5歳・年中組さんの葉手州くんには――――難しすぎる謎だった。


◇ ◇ ◇


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