雨の日にやってきた天使

夜色シアン

雨の日にやってきた天使

 今日は雨。それも台風の影響か、身体を打ち付ける雨粒は痛いほど協力で、激しいものだった。雷も時折、雨と雲で覆われたこの街に轟いている。幸い仕事が休みで良かったと安堵しつつ、家の中で暇と争う。


 そんな中、突如として家の鐘が鳴った。何も頼んだ覚えはないし、こんな日に家に訪ねてくる友人もいない。となれば何かの勧誘か、誰かのイタズラか、はたまたアパート特有の、家の間違いか。どちらにせよ無視しても問題はないと判断し、玄関に向かうことはしせず、居留守をすることにした。イタズラでも、こんな大雨でも、誰かが間違っているとしても無視するだけで、玄関先の人は立ち去るだろうから。


 なのにも関わらず、再び鐘が鳴る。されど断固拒否と言わんばかりな居留守。ならばと今度は鐘がけたたましく鳴り響かせてきた。おそらくは連打している。いや、おそらくではない。確実にそうだ。でなければ、鳴り終わらない状態で鳴り始めるというはた迷惑なチャイムの連打じゃないはずだから。


 だが流石にそこまでやられてはこっちが折れるしか無い。いや、折れると言うか、もはや怒りに行くようなものだが。


 仕方なく玄関に立ち、念の為ドアチェーンを引っ掛け扉を開けると、こっちの言葉よりも先に。


「あ!やっと開けてくれましたね!?酷いじゃないですか!居留守を使――」


 とてつもなく早口で文句を垂らしていたが、知らない顔。誰かは知らないが、こっちには非はない。故に思い切りドアを締め、鍵も閉める。話し相手にもならなそうな程早口なのだから、こうしたほうが諦めるだろうと踏んだのだ。


 しかし、話の途中で閉められたことに怒ったのか、はたまた閉められたと思ったのか、扉の先にいる誰かは、再びチャイムのボタンを連打してくる。締めてすぐの短時間なのだから別な人であるわけはなく、どう考えても先程の知らない誰かであることは間違いない。


 とはいえこのまま鳴らされ続けてもこっちとして迷惑極まりない。再びドアを開け、仕方なく話を聞くことにした。


「漸く開けてくれましたね!?酷いじゃないですか!喋ってる途中でドアを閉めるなんて!それに居留守!だめですよ、ちゃんと出ないと!私のように用のある方だったらどうするんですか!」


「……い、いや……そもそも君、誰?」


 ドアを開ければ、やはり知らない顔がそこにあった。さっきは咄嗟に閉めたためわからなかったが、見知らぬ誰かは女性。背は小さく柔らかそうな肌に高い声、それに育ち盛りな胸部が何よりの証拠だ。だがそれよりもこの豪雨の中傘もささず歩いてきたのか、全身が水浸し状態。彼女の服が透け……るほどの薄着でも白でもないが、ピタッと素肌にくっつき身体のラインが強調されていた。


 とはいえ、前を閉めずに着ているジャージの隙間から見えるだけだが。


「それに関しては後で話しますので……とりあえず上げてください。寒い……」


「あ、ああ……」


 状況がつかめないまま、彼女を家に上げる。流石に全身濡れて寒そうなのと、止みそうもない豪雨の中、傘もささずに帰らせるのも可愛そうだと思っただけ。決していやらしいことは考えていない。いや、正確には考えてはしまうが理性を保ちつつ、振り払っている。


「……誰かは知らないけど、一応風呂入れたから入れ。風引かれても困るし、雨止みそうもないからな」


「優しいですね~」


「入らないなら捨てるぞ」


「あぁぁぁ!入りますからっ!?」


 全く、知らない女性となにコントしてるんだかと、心底ため息しか出ないが、そもそも居留守を使って外に放置した方も罪はある。それの罪滅ぼしだと思えば、知らない人を家に上げたり、自分の服を着替えとして渡したり、ましてや風呂に入れたりはしないだろう。


 程なくして身体を温めた彼女が、風呂場から出てきた。もちろん俺の服を着て。


「流石男性ですね~。この服、私にはぶかぶかです」


「文句を言うな。仕方ないだろ、女性の服なんて無いし、一人で住んでるんだから……というか、ズボンも渡したろ」


「やだなぁ、ぶかぶかだから着れないですよ」


 そう、この部屋には俺一人しか住んでいない。故に休日はいつも一人の時間を満喫していた。友人だって今となっては殆ど来ることもない。泊まりに来ることなんてもってのほかだ。つまり着替えなんて俺一人分しか無い。なんとも当たり前のことだ。


 とはいえ、上下両方渡したのにも関わらず、上しか着ていない。目の前に正座で座った彼女の着る服は確かにぶかぶかで、袖の短い半袖なのに、小柄な彼女が着れば袖は肘まであり、丈的になんとか全部隠せれている状態だ。まあ目のやり場に困ることは困るが。


「それで本題は?」


「あ、そうでした。先程は確認する暇なく、文句とお風呂をお借りしましたが……貴方は新城司さんで間違いないですよね?」


 いや、それ風呂に入る前に聞けよ。と内心つっこみながら、「……もし違うと言ったら?」と、あえて言い返す。無論どう答えても、俺は新城司で間違いはない。だが、なぜ俺の名前を知っているのかが気味悪く、ついそう返してしまった。


「いや、玄関に貴方あての郵便物あったので間違いは無いですけど」


「それならほら、同居している人のかもしれないだろ?なにも俺がその人だって決まったわけじゃ……」


「さっき一人で住んでるからと言ってましたよね。まさか、わざと自分ではないとしらを切るおつもりですか?」


 そこまで言われては流石にごまかせるわけもなく、小さくため息を付いて可愛らしく首を傾げる彼女に自分の正体を明かす。だがそこまでして俺になんのようなのか、というかどこで俺の名前を知ったのか。なんて考えてると。


「やっぱり司さんで間違いないですね!あ、私ラジエルって言います。天使です」


 なんか変なこと言ってきた。見たところ普通の女子……中学生か高校生くらいで、さっき着ていた服は私服。どう考えても、天使であるとは信じがたい。それに俺を含む殆どの人の天使のイメージは白い羽衣に黄色の輪っか、そして翼が生えていることだろう。しかし何度見ても彼女……ラジエルにはそれらの要素は一切ない。


「あ、信じてませんね。では、これで信じてもらえますか?」


 そう言ってなにか念じるような顔つきになると、突如として頭の上に黄色の輪っか。つまり天使の輪っかと、背中に小さめながら、されど全身を包み込めるのではと思わせるほどの白い翼が現れた。流石に白い羽衣は出てこなかったが、その二つだけでラジエルが天使であると証明できていた。


「ほ、本当に天使なのか……」


「最初からそう言ってます。さて、自己紹介も終わったことですし、本題を離させてもらいますね」


 自然的に愕然としてしまうが、彼女は気にすること無くここに来た理由を含め、真剣な眼差しで話し始めた。


「実は、私達天使は、人の気持や行動など、人に関することを学ぶため、一部の天使だけこうして人界に降りて修行をするんです。それぞれやり方は異なりますが、大半は私のように自ら選んだ人の元で暮らします。期限は一年。それまでの間、ここで一緒に住まわせてもらいます」


「…………え?ごめん、話が見えない」


「ですから、私は司さんと一年同居します」


 目の前にいる彼女が天使であることも驚くべきことだったが、それすらも凌駕する言葉を耳にしてしまい、もはや俺の頭は全くついて行けなかった。天使が実在していたことだけで頭が破裂しそうなのに、その天使と一年同居?それも小顔で、髪も肩に届くくらいの短な、純粋にかわいいと言える天使と?


「ち、ちなみに拒否権は?」


「ありますが、いいのですか?拒否したらこの大雨の中、私一人で外を歩かなきゃ鳴りませんし、一年間野宿生活ですよ?」


 それはもはや、拒否権は無いと言っているようなもの。拒否して女を無理やり外に放り投げた男なんて周りに知られたら、それこそ面倒なことになりかねない。ましてや、広がらなくともこの大雨。乗り切っても期間中は野宿。誰かに襲われでもしたら、俺のせいになるかもしれない。つまり断れば、実質人間として終わりを告げてしまうことになるわけで、俺の答えは一択しか無いということらしい。


「……わかった」


「ありがとうございます!」


 仕方のないこととはいえ、これから俺の理性はちゃんと保てるのか今から心配でしかなかった。ただでさえ、タイプな外見で、今のように無防備でずっといられては男として止まらなくなってしまいかねないのだから。


 しかしそんなことを知らないラジエルは、凄く嬉しそうな笑顔を浮かべている。俺は不安でしか無いのに。そう思いつつ小さくため息をつくと、さっきから気になっていたことを聞く。


「そう言えば、どうして俺の名前を?」


「さあーなんででしょうねー」


「いや、誤魔化さなくていいから!」


「ふふっさっきのお返しです」


 こいつ、意外と性格悪いな!?敬語だしてっきり真面目だとばかり思ってたが……意地悪をするとは、意外のギャップが凄いがそれよりもやり返されたことが悔しい。なんて思ってると。


「さてと、それじゃあ、ちょっと冷蔵庫失礼しますね」


「冷蔵庫!?」


「はい。こう見えて私料理が得意なもので、お風呂のお礼とこれからよろしくの意味を兼ねて、なにか振る舞えたらなと……って、卵だけですか……一体どんな食生活を……?」


「べ、別にいいだろ……というか、振る舞えたらって言うけど、俺のだぞ?」


 一人暮らしならではの小さめの冷蔵庫を勝手に漁る彼女。とはいえ、その中に卵しか無いことは俺もわかっていたこと。いつもは、コンビニの弁当やカップ麺で済ませるから、それが当たり前である。卵だけの現状にわなわなと焦りの顔を浮かべる彼女。俺を心配する顔なのか、それとも食材の少なさに驚愕しているのか。彼女の気持ちは全くわからないが、ともかく驚いているのは確かであった。


 だが、彼女はすぐに卵を二つ取り出し、調理を始めた。一応調味料は揃ってはいるから余計に手際よくさせ、たった数分でオムレツが出来上がっていた。


「今日はこれしか作れませんけど、明日買い出しに行ってきますので」


「あ、ああ……」


「どうかしましたか?」


「いや、実感が湧かなくて……いただきます」


 口に運ばれた玉子の塊は、程よく柔らかく、まるで溶けかけのアイスでも食べているかのように蕩け、口内には玉子の甘さが広がっていた。玉子だけでここまで美味しくすることは俺には不可能。独り身な俺にとってなんともありがたいものだ。


 ――それからというもの結局、なんで俺の名前を知っているのか教えてくれることはなく、時が流れてゆく。


 周りには妹ということで通し、一緒に買物もするように。暇なときはあちこち散歩に出たり、観光地に出向いたり。秋には紅葉狩りなど、時期によった行事に参加した。おかげで冬にはラジエルのことを、一人の天使の女性ではなく義理の兄妹として扱っていた。


 ラジエルも俺に合わせてなのか、はたまた俺と同様に義理の兄妹として生活するのになれたのか、最近では俺のことをお兄ちゃんと呼ぶようになった。血が繋がっていないとはいえ、今の関係でそう呼ばれるのはなんか恥ずかしくてたまらない。


 待つことも急ぐこともなく、一定のペースで時間は刻まれているが、早くも半年が過ぎ季節は春。雪も溶け、桜が舞う暖かな季節となった。


「……もう春か。ラジエルは夏になったら帰るんだよな」


「そうだよ?なに、今更」


「いや、時間の流れがあっという間でな。後ちょっとしかいないんだって思うと、寂しいなって」


「え、なになに、お兄ちゃんから寂しいとか初めて聞いたんだけど」


「まぁ、お前が来るまでずっと一人だったからな。そのときは慣れてたんだよ」


 その日は丁度仕事が休みで、ぼーっとしてたらなんとなく口から出た言葉。もう三ヶ月あるかないかくらいで、刻一刻と期間が迫っているのを嫌でも実感してしまったのだ。去年は寂しいなんて絶対に思わないほど、慣れてしまった一人生活。なのに彼女が来てから楽しい日々が毎日のように続いて、今ではラジエルは大事な家族の一人。そりゃあ寂しくなる。


「そうなんだ。まあ、あの時も一人暮らしって言ってたし。そりゃあそうか」


「覚えてやがったか」


「まあ……それじゃあさ。次の休みの前の日。桜公園行こうよ」


「まあ花見の時期だから、いいとは思うが休みの前は、仕事だぞ?せめて休みの日じゃないと――」


「いや、花見もあるけど話したいことあるから。夜に行きたいの。夜の桜も綺麗だからね」



 話したいこと?今になって話したいことなんて見当もつくはずもなく。さらに、夜ならと仕事帰りで疲れてるはずの日に花見をする約束を交わしてしまう。


 でもまあ、残り僅かだし思い出を作るのもいいことだと思うから、特に否定することはなく、あっという間に約束の日まで時間が流れた。


 念の為、シートやらなんやら一式を安く手に入れ、ラジエルと一緒に桜公園に赴いた。だが、彼女はセッティングを手伝わず、そのまま木の根本のところまで歩く。


「言い出しっぺだろ~。そっち行ってないで手伝え~」と緩く言葉を吐き、ラジエルを引き戻そうとするが、聞くことはなく、されどゆっくりと口を開き、「先に話したいこと話します」といってある物語を語り始めた。


「……昔……もう十年ほど前になりますかね。ある一人の少女が道で泣いてました。どこに行ったらいいかわからなくて。そこに親もいなければ家の帰り道もわからない。人がよく通る場所なのに、不思議と少女とすれ違う人々は誰も声をかけようとはしませんでした。でも少ししてある男の人がその娘に声をかけました。『どうした?迷子か?』と。それを聞いた少女は泣きながらも小さく頷きました。すると男は、その娘を連れて交番に。誘拐犯と間違われたその男は必死に警察に説明して、無事その娘は保護されました」


 突然始まった昔話。いつも元気いっぱいだった彼女からは悲しそうな声が発せられ、前の口調で物語が綴られる。だが、その物語は何故か俺が知る印象強かった出来事によく似ていた。確かに昔、俺は一人の少女を交番まで届け、なぜか誘拐犯と勘違いされたが、後々その行いを褒めてくれる人が出てきた出来事。さすがに誘拐犯の濡衣を着せられたのだ、忘れもしない。


 とはいえそれが俺である確証はないが。それでもどうして今その話をするのかを聞かなければならない気がした。


「……実は、帰る日が予定よりも早くなりまして……昨日、急に連絡があり、明日にはもう帰らないといけないんです」


「そ、それとこれと何が関係して……」


「本当……鈍いですね貴方って人は……あのときは助けてくださりありがとうございました」


 息を思わず飲み込んでしまうほど、俺は驚いていた。出勤途中で偶然助けた少女が天使で、お礼を言いに来ていたことに。しかし、当の俺は、今こうして言われるまでなんも気づいてやれなかった。


 だが、驚きはそれだけではない。ラジエルが天界とやらに帰る日が急遽明日に変更されたこと。ちゃんと人のことを勉強させれたのか不安でしかない。それに半年は過ぎたとはいえ、思い出も数多くってほどではない。まだ日本を知ってもらいたい。なのに。


「……帰るってのは、拒めないものなのか……?まだ三ヶ月はあるん――」


「無理ですね。先生……天使の先生が決めたことですし。それを破ると、もれなく司さんが死にます」


「なにその理不尽!……とはいえ、死ぬのは嫌だから結局は無理なのか……」


「はい……なので、今日は最後の思い出にしたいなって思いまして、私のことを話しました」


 突然のことだし、急すぎるからこそこうして言うのはとても勇気が必要だったはずだ。でなければ、彼女の目尻に涙が貯まることも、無理した笑顔を作ることも無いのだから。


「しんみりさせてごめんなさい。でも伝えなきゃと思って……」


「仕方ないことだ。気にすんな。それよりも言ってくれてありがとう……さてと、そんじゃ今日は最高の思い出にしてやるよ!今日は寝かさないぜ?」


「うわ、お兄ちゃんがキザに」


 ――二人だけの真夜中花見。光なんてほのかに照らす月明かり一つだけ。だが、それで十分だった。今だけは俺たちだけの桜。月明かりに照らされた桜を眺め、軽食も腹に入れ、その日は終わりを告げた。


 翌日。目が覚めるともう既にラジエルの姿は無く、机には感謝の気持ちを綴られた一枚の手紙。そして紫色の花と一枚の羽が置いてあった。羽は白く、ひと目でラジエルのものだとわかるが、花は流石にわからない。小さな葉が複数咲いており素人目では、紫陽花あじさいにしか見えなかった。


 後日、調べると紫陽花ではなく、紫苑しおんという花らしい。花言葉は。その他にも意味はあるが、この二つの意味を知った途端、胸がぐっと締め付けられるような感じがして、不思議と涙が溢れかえる。


 また一人になった寂しさと、虚無感に襲われたのだ。これには流石に男の俺でも、子供のように声を出して、何度も何度も涙がこぼれ落ちた。

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