銀翼の宿命

demekin

第1話 第一章 薬草の丘……出会い1

第一章 薬草の丘……出会い 

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村の朝は鳥の声で始まる。その日の朝も、イナの村はさまざまな鳥の声で目を覚まし始めていた。鳥達はこの世界の太陽の光が、青と白と水色が縞模様を描く空に現れ始めると、一斉に鳴き声をあげて合唱を始める。それがイナと呼ばれる村に住む人達の起床の合図になっていた。新しい一日が間違い無く始まったという、有無を言わさぬ合図だ。多くの村人は鳥たちの合唱を聞くと目を覚まし、食事をしたり自分の仕事の準備をしたりする。しかしモリオンにとって鳥たちの合唱は、これから日課の薬草取り出かけるという合図になっていた。鳥達が鳴き出す少し前に目を覚まし寝具からはい出ると、母屋に一つしかない部屋で他の家族達が寝ている中で、身支度をして軽く朝食を取り、母屋の片隅に置いてある自分の頭陀袋を背負って薬草取りに出掛けるのだ。ポケットの沢山付いた黄土色の上着とズホンを着て、茶色い長め髪を後ろで束ねたモリオンは、その朝もいつものように丘の上にある家を飛び出し、丘の道を一目散に駆け下っていった。

 モリオンが家族と住む家から続く道は村人の家が立ち並ぶ丘の斜面を下り、下の平地に作られた畑を横切り村の外へと続いている。モリオンはその道を、薬草を入れる頭陀袋を持ってすたすたとあるいていく。まだ今は朝早い時刻なので、同じ道を歩く人はいない。夜通し仕事をしていた村人一人と、朝一番の畑仕事に取り掛かっている数人と顔を合わせただけだ。

「おはよう」

モリオンは畑に顔見知りの村人がいるのを見付けて、朝の挨拶をする。

「おはよう」

それに答えて畑仕事をしている一人か、畑の中からモリオンに手を振って返事をしてくれた。この畑を管理している高齢の女性だ。

「これから薬草取りにいくのかい」

「ええ」

女性が話しかけて来たので、モリオンは暫くこのおばあさんと話をした。

「毎日薬草の丘まで行くのは大変だねぇ。薬草を担いて帰って来るのはしんどくはないかい」

「えぇ、まぁ慣れていますから」

「そうかい。偉いねぇ。まぁ気を付けて行ってらっしゃい」

「ありがとう。じゃあ、行ってきます」

女性と立ち話を終えるとモリオンは再び目的地を目指して歩き出す。早く目的の場所に往きたいのだ。

モリオンが薬草取りをするのは、村から暫く歩いた所にある薬草の丘と呼ばれる丘だ。ここには得に多くの薬草が、全ての季節を通じて生えている。それ故に、薬草を扱う巫女や巫女の家系の少女だけが足を運ぶ場所になっていた。

 薬草の丘へと向かうモリオンは、様々な野菜が育てられている畑を通り抜け、広葉樹が生い茂る林の中へとはいっていく。この林を抜けるともうそこは、完全に村の外になる。この広葉樹の林は秋になると幼児の握りこぶしほどの固い木の実をどっさりと実らせる。それを村人達は拾い集め、磨り潰して粉を作り、その粉で主食のナッツパンを焼いていた。村人にはとても大事な林なのだが、木の実のならない今の季節は訪れる村人はほとんどいない。夜明け前の川魚漁を終えて帰って来る、川漁師たちを除いて。だが今は、その川漁師達もまだ姿を見せていない。人間はモリオンだけだ。今は人から忘れ去られたような林では、鳥の声すら聞こえてこない。しかしモリオンは、換算とした中に何者かの気配があるのを感じていた。人間でない何者かの気配だ。林の樹の影に隠れて、こちらを窺がっている。

「フレプ? フレプなのね」

モリオンには、それが何者の気配なのかがすぐにわかった。モリオンは、その気配の主をよく知っていたのだ。

「フレプ、そこに居るのね。隠れていないで出てらっしゃい」

モリオンが立ち止まって呼ぶと、気配の主は木々の間からゆっくりと姿を現した。姿を見せたのは、奇妙な大きな一羽の鳥だった。背丈は人間の大人よりも頭二つほど高く、灰色と薄茶色の混じった斑模様の羽毛に身体は、ずんぐりとしている。そして何よりも特徴的なのは、太い二本の足と先端に鼻が付いたやや長めの嘴だ。そして僅かに痕跡を残すまでに退化した翼は、とべない鳥、走鳥に共通する特徴だ。イナの村人はこの鳥をマダラウズラと呼んで家禽にし、荷運びや畑仕事の手伝いなどをさせていた。鳥の首に巻かれた帯と、そこからぶらさがっている物入れの袋が家禽の印だ。モリオンがフレプと呼んだマダラウズラも、村の家禽の一羽だ。ただし、フレプは少しばかり変わり者の家禽だった。他のマダラウズラ達と同じように荷運びなどをするものの、夜は仲間達と違って、家禽の小屋では眠らなかった。広葉樹の林全体がフレプの塒になっていた。マダラウズラの中でも特に野性味の強いマダラウズラ、それがフレプだった。そんな野性味の強いフレプだが、何故だかモリオンにはとても従順だった。モリオンか一緒に歩こうとすると大人しく後を付いていくし、鳥小屋に入れようとすればすんなりと入った。

「さあ、私と一緒に歩こうね」

モリオンは家禽の首の帯に手を掛けると、家禽と一緒に歩き出す。こうして家禽と歩くのも、モリオンの日課の一つだった。マダラウズラ連れたモリオンが薬草の丘の前まで来ると、モリオンは立ち止まって家禽の首の帯から手を離した。そして上着のポケットからナッツパンの塊を取り出すと、マダラウズラに食べさせた。

「薬草取りがすむまで、ここで暫く自由にしていなさいね」

ナッツパンを食べ終わったフレプに声を掛けると、モリオンは家禽の背中を軽く叩く。自由にして良いと言う合図だ。薬草の丘に家禽を入れないのが、村のきまりだ。自由になったフレプが広葉樹の林に向かうのを見届けると、モリオンはいつものように暫く薬草の丘と空を見上げ、母から聞いた村の歴史に思いを馳せる。何時のころからか薬草の丘の前まで来ると、母と二人きりになった時に母が語ってくれた村の歴史に思いを馳せるのが、モリオンの習慣になっていた。


母の話しによるとモリオンの先祖達は、遠い昔にモリオンがまだ見た事も無い樹海の向こうからやって来たと言う。果樹の林を通り抜け、果樹の林と隣り合う自然の林の向こうにあると言う樹海は、想像もつかないほど広く奥深い場所で、イナの近くにあるのは樹海の端っこの一部なのだそうだ。その樹海の端っこの向こうに、遙か昔には大きな町があり、イナの祖先はその町で起こった争いを避ける為に町を出て放浪の旅に出たらしい。イナの村人の祖先はその樹海の端を、そこを流れる川の流れに沿って旅を続け、イナの村がある丘陵地帯に辿り着くとそこにイナの村を作ったのだ。母からはそんな話しを他の村の歴史や言い伝えなどと共に話してくれた。しかもただ話してくれただけではない。なんと話しを聞くモリオンの意識に働きかけ、樹海を旅する先祖達の光景を見せてもくれたのだ。

 それは賢女と呼ばれるイナの村の巫女に伝わる特殊能力で、賢女達はその能力を使って、先祖達が見たものや感じた事を代々伝えていて続けている。母が見せてくれたのは、樹海を行く先祖の姿……服装は今の村人の物とは違うが村人達と同じ茶色い髪と茶色い目をした人々か巨大な樹木の間を歩く人々の姿だ。そして疲れ切った表情をして人々樹海を歩く人々光景と共に、彼らが後にしてきた町の光景が浮かんでくる。見た事も無いほど大きな建物が立ち並ぶその町は傷つき瓦礫に覆われている。かつては美しかっただろう大きな建物には穴があき、所々焼け焦げた後があった。力の強い者が弱い者を迫害したために起こったと伝えられる争いを逃れる為、人々は樹海を歩き新天地に向かう。その先頭にはくすんだ緑色のズボンの上に、灰色のフード付きのマントを羽織った若い女性の姿があった。人々はその女性に先導されながら歩き続け、樹海を流れる白い魚に似た生き物が泳ぐ川に辿り着く。そこで若い女性は姿を消すがその後も人々は、皮を泳ぐ白い生き物に導かれるように川の流れに沿って歩き、樹海となだらかな稜線の山々が連なる山地の間にあるが丘陵地帯に辿り着き、イナの先祖となったのだった。これがイナの歴史の始まりだ。しかしそれ以前の、世界にたった一つのしかなかったと言う町で先祖がどう暮らしていたのかは伝わってはいない。その町での出来事は、いっさい忘れられたかのようだ。もちろん、何故その町で大きな争いが起こったのかも解らない。ただその町で、力の強い者と弱い者との対立があったと言う事は伝えられていた。それ以上は謎のままだ。母が伝えてくれた話しに、思いをはせるのもこれで終わりた。


暫く足を止めで母の話しを思い出した後、モリオンは再び歩きだし、薬草の丘に向かって行った。薬草の丘に入るとモリオンは、少しずつ薬草を摘みながら丘の斜面を登って行く。足元にどんな薬草が生えているのかを確かめながら、本当に少しずつ摘み取っていく。季節は春の初めと言ったところで、朝のこの時間では、まだ肌寒さが残っている。しかし薬草の丘では、もう既に沢山の薬草が、あちこちに姿を現していた。ヒシグサ、オオスギナ、ヒワダノソウ……。モリオンはそれらの薬草がどのような場所にはえているのかを、薬草取りの名人でもある母からみっちりと教え込まれていた。幼い時から母について薬草取りをしていたので、背負っている頭侘袋を一杯にするなど、簡単な事だった。薬草を摘みながら丘の上へと登って行き、頂上に着いた時にはもう頭侘袋を薬草でいっぱいにしていた。これで今日使うだけの薬草は、十分すぎるほどつみとれた。しかしモリオンはさらに薬草を摘み続け、上着のポケットにもいれてゆく。そして上着のポケットも全ていっぱいなってやっと、モリオンは薬草摘みの手を止めた。もう十分、薬草を集められたし、これ以上は摘み過ぎだ。モリオンは屈めていた腰を伸ばし、立ち上がって深呼吸をした。顔を上げると、この世界特有の空が目に入る。丘のから見ると、村の背後に見える山々の連なりの上に、濃い藍色と薄い水色の二つの色が混じり合った空が広がり、その中を幾つもの白い筋状の雲が微妙な縞模様を描いている。そしてその空に浮かんでいるのは、やや小さめの黄色い太陽とさまざまな大きさの、アゲイトと呼ばれるこの世界の姉妹である四つの月……一見すると華やかな空だが、今は何かが足りない。その理由はすぐに解った。この世界の空の主である、ピティスと呼ばれる天体の姿が無いのだ。この世界の空に君臨するが故に、イナの村人の信仰の対象となっているピィテスは、まだ地平線の下に隠れている。五つあるこの世界の月の二かの、一つの月と共に。

「でも、すぐにピティスは昇って来るわね。前触れの月、ラジュライがもう空に出でいるから」

ピティスの前に必ず現れる月を確認したモリオンは、母から教わった知識を使ってピティスの昇る時刻を推し量る。ピティスが昇る頃には、モリオンは家に帰るつもりでいた。それまでにはまだ時間がある。薬草摘みを終え丘の上でのんびり出来る時間が……。モリオンは頭侘袋を肩から降ろしてゆっくりと草の上に座り、改めて空を見る。空はさっきとまったく変わっていない。ただ四、五羽の鳥が飛んでいるのを除いては。今空を飛んでいるのは灰色の羽毛に覆われ、翼には銀色の斑点ある、ホシノムクドリと呼ばれる鳥だ。

「おーい、おーい」

鳥達の姿を見付けると、モリオンは鳥達に向かって手を振る。

[さぁ、おいで、おいで]

手を振りながらモリオンは、鳥達を自分の元に呼び寄せようと試みる。空にいる鳥達に心を向け、鳥達がこちらに来る光景を思い描く。すると鳥達は方向を変え、モリオンの頭上目指して飛んで来る。モリオンが心の中で行った呼び掛けが、空を飛ぶ鳥達に通じたらしい。モリオンの頭上に来ると、鳥達はゆっくりと旋回飛行を始めた。

「こっち、こっち」

さらにモリオンは頭の上でくるくる回り続ける鳥達に、今度は声を掛け続ける。この鳥達を、目の前の地面に着地させようと言うのだ。

「此処よ、此処……」

辛抱強く声を掛け続けるモリオン答え、鳥達はゆっくりと旋回しながら地上に舞い降りて来た。モリオンの心が、鳥達に通じたのだ。人間の赤ん坊ほどの大きさがあるが、この世界の基準では小鳥のホシノムクドリたちは、次付きとモリオンの前に舞い降りると、食べ物をねだる声で鳴き始めた。

「良い子、良い子」

モリオンは地面に並んだ鳥一羽一羽に話し掛けながら、上着のポケットからナッパンを取り出して、鳥達に投げ与える。地面に散らばったナッツパンのかけらを前に鳥達は翼をばたつかせ、我先にパンを啄もうとして大騒ぎを始めた。

「ほらほら、ゆっくりと食べなさい」

モリオンはパンを与えながら鳥達に話し掛け続け、鳥達と楽しい時間を過ごす。これはモリオンの秘密の時間だった。イナの村人は、鳥をひどく嫌っている。家禽にしているマダラウズラにすら、心を許していないところがある。野鳥と仲良くしているのを村人にみつがったら、大騒ぎになるだろう。でもここ薬草の丘は、巫女と将来巫女になる可能性のある少女しか立ち入れない場所だ。そして今のところ薬草の丘に入るのを許されているのは、モリオンと正式な巫女であるモリオンの母、そして成人して次の巫女に決まっている姉の三人だけで、実際に薬草の丘に入るのは今のところモリオンだけだ。母と姉はほとんど薬草の丘には行かなくなってしたし、マダラウズラのような家禽も、薬草の丘には入れてはいけない決まりがあった。この神聖な丘での薬草摘みは村の巫女である賢女の一族の女性それも主にまだ成人前の娘がする仕事だ。賢女は娘達が採って来た薬草を使い、治療や儀式を行うだけだ。だから薬草摘みの時は、成人していないただ一人の賢女の娘であるモリオンはいつも一人ぼっちだ。しかしモリオンは何よりも、この一人ぼっちの時間を楽しんでいた。ここでは村人の目を気にすること無く、好きな野鳥達にパンをやれる……それが楽しかった。それにしても、何故村人は鳥をこんなに嫌うのだろうか? これはモリオンには、どうしても理解出来ない事だった。村には昔、飛べない鳥に乗ってやって来た人間達が村を襲ったという言い伝えがある。だがそれだけで、鳥と言う鳥全てを嫌うものだろうか? そもそも言い伝え通り出来事は本当にあったのだろうか?もっと他に、村人が鳥を嫌う理由があるのでは? モリオンは一度そんな疑問を母に尋ねてみたのだが、満足のいく答えは聞けなかった。

「モリオン、それはいずれ解るようになるでしょう。楽しみにしてなさい。」

母がそう言うばかりなので、モリオンはとうとうこれ以上尋ねるのをやめてしまったのだ。

「ほらほら、慌てないで。まだパンはあるから」

パンを与え始めて暫くすると鳥達は次々と数を増やし、ついにモリオンは鳥の群れに囲まれた。そしてその鳥達の中の一羽が、モリオンの肩に飛び乗って来る。

「ほら、よし…よし…」

モリオンは鳥の重みによろけそうになりながら、鳥の羽毛を撫でてやる。そっと撫で続けていると、鳥は気持ちがよくなったのが、モリオンの方で蹲った。鳥がうごかなくなったのを感じると、モリオンはそっと鳥を肩から地面に降ろした。そして地面で目を開けきょとんとする鳥の前に、ナッツパンを差し出した。

「さあ、お食べ」

モリオンが促すと、その鳥は大人しくモリオンの手から直接パンを啄んで見せた。それを見たほかの鳥達は、パンを食べる鳥のまわりに集まり、モリオンの手からパンをもらおうとして翼をばたつかせる。

モリオンは鳥達にパンを与えながら、と取りになった自分を想像していた。想像しながらじぁぶんの意識を鳥達に向け、鳥の意識とふれあわせた。するとモリオンの意識に鳥の意識が入り込み、鳥とモリオンの心は一体となった。モリオンの意識にホシノムクドリの意識が入り込むと、モリオンはその鳥の意識をしっかりと掴み取り、完全に意識を鳥と一緒にした。意識を鳥と同じくしたモリオンの心は空高く舞い上がり、イナの村のある丘陵地帯の上を漂う。これから先は、モリオンにとっては完全に創造の世界だ。

鳥になったモリオンの心は、丘陵地帯からその先の森へと飛ぶ。この森の様子は、森の中の川で仕事をする川漁師からよく話してもらっていた。モリオンの心はその森を飛び過ぎると、さらにその先の樹海へと飛んで行く。モリオンがここからはもう、ほとんどのイナの村人の見た事のない世界だ。玉に樹海に入った村人がいても、その村人が樹海の話しをする事は無い。樹海の様子は、想像するしかなかった。そしてモリオンは樹海の様子を想像するのが好きだった……。しかし樹海はとてつもなく広い。いくら樹海の様子を想像しても、モリオンの意識は樹海の中には入れずにいる。この日の意識の旅も、樹海の一歩手前で終わり、モリオンの意識はいきなり人間に戻った。突然ホシノムクドリ達が飛び去ってしまい、その羽音がモリオンの意識を現実に引き戻したのだ。地面にちらばったパン屑が残っている。

「どうしたの?」

空想から目覚めたモリオンは、あわてて周囲を見回す。空を見ると、ホシムクドリ達が空の彼方に飛び去るのが見える。そして小さくなっていくホシノムクトリに代わって、まったく別の鳥の姿が見えた。

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