四ノ二十七 玉璽

 那城天守閣にからみつく大蛇型慧煌獣ミズチのコクピットで、アサシノは、

「本当にアスハ姫が乗り込んできおった」

 とつぶやくところをみると、彼女もナガト同様、シヴァの予想を疑っていたものらしい。

「しかし、情けないものよのう、ナガト。ああもあっさりと倒されてしまうとは……」

 酷薄に朋輩を侮蔑して、彼女はアスハとヴァイアンの姿を目で追った。大手門を入った彼女たちはすぐに西の方角へ折れ、三の丸南西にある馬場の方向へと駈けている。

 先ほど莞公からの伝令が天守閣から顔をのぞかせ、王を捕縛したことと場内ほぼすべてを掌握したむねを報告してきた。

 もう、天守閣に居座って王の近侍や城兵たちを威嚇する必要もなくなったわけであった。

 アサシノは、天守閣にからみつかせていた、六本の脚を持つ大蛇を動かしはじめた。

 その百メートルをゆうにこえる長い巨体は、まるで重力の存在を無視するように、身体をうねらせ泳ぐように空中に浮遊しはじめた。

「アスハ姫、サクミ・サイゴウ。これまで我らの計略の邪魔をしてくれた礼を、今からたっぷりとさせてもらうぞ」


 アスハは駆ける馬上で、天守閣を見上げていた。

 ついに、大蛇型慧煌獣が動きはじめた。背筋に悪寒がはしる思いであった。

 すると前方から、アスハを呼ぶ声がする。

 声の聞こえたほうへ顔を向けると、銀杏並木の一本の木のしたに、ひとつの影が立っているのが目に入った。

「ミサキか?」

 侍女ミサキの影から、ふいに何か手のひら大のものが放り投げられ、アスハは反射的にその物体をつかんだ。

 金糸銀糸であやなされた紫色の結び袋であったが、その感触で手のなかのものを、なにとさっしたアスハは、影の前を駆け抜けざまに、

「ようやった、ミサキ!」

 ミサキは頭をさげて褒辞にこたえ、尻下がりに闇にとけて消えていった。

「それは?」

 と背中から問うシオンに、

玉璽ぎょくじ

 ぽつりとアスハは言った。

 玉璽は、王が王としての正統を証明する金の印章である。

 本来は都にいる帝より、国司を任命するときにわたされる国印――国を統治する資格を有する証明であった。それが時を経て、群雄が割拠しはじめると、その国印は、王のあかしとしての存在意義を持ち始め、やがて玉璽と呼ばれるようになった。

 ――これさえあれば……。

 とアスハは思った。

 アスハが父王の命の次に懸念していた御物であった。

 この玉璽がなければ、いくら王を名乗ったところで、それはたんなる莞公の詐称にすぎない。ひるがえって言えば、これさえあれば、領地はなくともアスハ自身が王を名乗ることすらできるのである。

 ミサキは現状の混乱のなかで、どうやったかうまくこれを手に入れ、アスハに届けてくれたのだ。

 行く手には、すでに万端準備をととのえた莞軍が大勢まちかまえている。

 こうこうと照らす篝火の光に、人々の密集する陰影が重なりあい、不気味にうごめいている。

 その上空には、巨大な大蛇がうねりながら浮遊し、アスハたちの前途を押しつぶすように、すさまじい威圧をあたえてくるのであった。


 学問所の生徒たちは、町を脱して、前方に黒々とそびえる道雲山どううんざんのふもとまであと三キロほどの地点に達していた。

 王都の西を流れる川の手前で防衛線を構えていた莞軍の一隊を突破して一キロくらいも走ったが、もう軍が配置されている気配は完全にとだえていた。

 あたりはすでに田畑がほとんどで、建っている農家から漏れる明かりが、ちらほらと見えるばかりであった。

 生徒たちよりも先駆しているライマルの背でヒヨリが振り向くと、そのあたりが王都よりも標高がいささか高くなっているせいもあって、かなたに見える平山城が、月夜のなかではっきりと望見できた。

 天守閣に巻きついていた大蛇型慧煌獣が、気がつけばうねりながら浮遊している。

 アスハ姫たちの戦線が城へと移動したようで、いますぐにも城へと駆けつけたい衝動にかられたが、ぐっと我慢して、衝動をおさえつけた。

 生徒たちの一団は、もう疲労困憊のていで、かける脚もずいぶんにぶってきている。

 ヒヨリは焦れながらも、油断せずに周囲を警戒しつつ進むのだった。

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