四ノ二十五 しばし休憩

 校舎と学生寮にはさまれた中庭にもどったアスハは、顔をあげてヴァイアンをふりあおいだ。

 ところへ、ヴァイアンの手がぐっと姫の目の前までのびてくる。

 驚くアスハを尻目に、巨大な手のひらに立っていたシオンが、ひょいとトーマの背に飛び乗ってきた。

「ちょっと、またっ?いい加減にしなさいっ」

「まあそうおっしゃらずに。ヴァイアンの肩の上だと、揺れがすごくって酔ってしまいそうですので」

「しらないわよ」

 シオンは、ここに逃げてきたときと同じように、また姫の後ろから手綱と鐙を奪い取った。

 トーマのうえでいちゃいちゃとしている二人を、ヴァイアンのコクピットから眺めつつ、サクミはちょっとうらやましそうである。

 ――ふたりにひきかえ私はなんだ。

 などと頬をふくらませるのだ。

 肩にじゃれついているのが子狐とはどういうことだ。せめてマコモが自分と同じくらいの歳だったら。人間と狐族の恋なんてちょっとロマンチックなのじゃなかろうか。いやいや普通の人間で充分だ。私もいつか誰かとあんなことをしてみたい――。

 などと緊迫した状況などおかまいなしに、妄想にふけっているのであった。

「ちょっと、サクミ、聞こえて!?」

 サクミの想念をむりやり引き裂いて、アスハの声がとどいた。

「な、なんです?」

「なに動揺してるの、この重大局面にボケっと他ごと考えてるんじゃないわよ」

「べ、別にうらやましくなんかありませんっ」

「なにが、うらやましいですって?」

「な、なんでもないですうっ」

「まったくワケのわかんない人ね。いい、サクミ?これから北に向かいます」

「え、北へ?」

 と驚いたのはサクミとシオン、同時であった。

 シオンはすぐに反論する。

「しかし、北には城があります。今ごろはもう、城内全域、莞軍の兵であふれかえっているはずです」

「そうよ、だから城を抜けて王都を脱出するのよ」

「そんな無茶な」

「そんな無茶な、と反乱軍の将兵たちも考えているはずよ」

「たしかに、敵の虚はつけますが」

「このままただ黙念と、しっぽをまいて退散したとあっては、アスハ・イルマの名がすたります。一矢むくいなくっては気がすまないわ。あなただってそうでしょう?」

「はあ」とシオンはまだ納得できないようすである。

 ヴァイアンのコクピットでは、サクミは頭をかかえて、首をふっていた。言いだした以上、いくらシオンが言葉をつくして説得したとしても、あのわがまま姫さまが、前言をひるがえすはずがない。もはや、那城突破作戦は決定したも同然であった。

 シオンも、内心でそう考えたのであろう。ふっとため息をひとつついて、

「でしたら、ひとつだけ約束してください」

 アスハの耳に息をふきかけるように、甘ったるい声音でいった。

「なに?」くすぐったそうに、アスハはちょっと横をむく。

「いいですか、脱出に専念してください。それ以外のことは考えないこと」

「というと?」

「けっして、王様を救出しようなどとは、お考えにならないでください」

 アスハはちょっと押し黙って、なにか考えたようであった。おそらくずっと以前から、隙があるのなら、ついでに父を救出しようというくらいの、ある程度の計画を立てていたものであろう。それともうひとつ、彼女には喉に刺さった魚の骨のような、放っておけない、気がかりなもの・・があったのだが……。

「わかったわ」

 苦々しげにアスハは答えた。

「でしたら、もう、この作戦にたいして否やは申しません」

 と言ったシオンの言葉にうなずいて、アスハはまたヴァイアンを見上げた。

「サクミ、いったんヴァイアンを収納して」

「なんでですか?」困ったような声音でサクミが答えた。

「隠密行動よ。それに大通りまでは広い道がないわ。ヴァイアンでは動きづらいでしょう。それくらい知恵をまわしなさい」

「え、でも、この子、出したり引っ込めたりを続けて繰り返すの、嫌がるんですよねえ」

「知らないわよ、そんな機械人形のわがまま」

「まあ、いいじゃありませんか」とシオンがサクミに助け船をだした。「どうせ、我々の動向なぞ、すぐに敵に察知されてしまいますでしょうし、ヴァイアンがいてくれたほうが、相手に対しての威嚇になりますよ」

「ふん、まあいいわ。勝手になさい」

 と姫様、ここは素直にひきさがった。さほど重要な事案だとは考えていなかったようだ。

「いくわよ」

 投げ捨てるように言って、アスハはあごをしゃくった。応じてシオンがトーマの手綱をたたく。

「はあい」

 間延びした返事をして、サクミはふたりのあとを追ってヴァイアンを歩かせはじめた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る