四ノ二 ふたりの時間

 サクミの心をそのまま映したような薄曇りの梅雨空は、家路についたところで、ぽつりぽつりと来はじめ、たちまち大粒の雨が地面を叩きつけるように降りだした。

 舗装されていない道路は、とたんに表層が泥に変じ、彼女の靴の裏を容赦なく汚すのだった。

 夕方で人出が多いせいもあってか、道の両側にある家々の軒下はすでに満員のすしづめ状態で、彼女は数件の家並みを通り過ぎ、やっとみつけた誰もいない軒をみつけると、飛び込むようにして入り込んだ。

 しかしすぐに、ああしまったと悔いた。

 誰もこの軒に雨宿りしていないはずだ。軒の屋根は穴だらけで、雨漏りという表現が生易しいほど、数か所から水の筋が流れ落ちていた。

 それでもサクミはその水の筋をうまくさけて、ちぢこまるようにして、雨が通り過ぎるのを待つことにした。

 ――まったくついていないわ。

 彼女はちいさくため息をついた。

 国立図書館からの帰り道であった。

 サクミは暇をみつけては、図書館へと通い、こちらの世界から、彼女がもといた世界へと帰るすべをみつけようと、蔵書を片っ端からひっぱりだして調べていた。

 まだ、こちらの文字には完全に慣れていなかったけれど、それでも、過去から現代にいたるまでの、ふたつの異世界を行き来する研究がされた書物をひもといていった。

 もうふた月ばかりの間に二十回ほど通って十冊ほどの記録を読んでいたのだが、成果はほとんどなかった。

 どの書物も一様に、帰るすべはみつからない、という内容しか書かれていない。

 興味をひかれた項目といえば、

「異世界への出入り口は、光と影の間にある」

 ということくらいだった。

 それは、こちらの世界に迷い込んだ、むこうの世界の人が記したもので、彼は、転移した場所にある光と影の間を、何年にもわたり、ひたすら行ったり来たりしたのだそうだ。

 それでもダメだった。

 ほかにも、移動速度が関係しているという説もあった。

 ある人は崖を転がり落ちてみたり、ある人は高所から湖に飛び込んでみたり、そういうことを果てしなく続け、彼らは結局、むなしくこの地で生涯を終えた。

 ――私も帰る方法が見つからず、こっちで年老いていくのかしら。

 などとサクミはひどく感傷的になっていくのであった。

 そのうち沈んだ彼女の視界にふと影がさし、水たまりをにじませる雨の波紋をながめていた目をあげた。

「うっ」

 と視線をかわしたふたりは同時にうめいた。

 雨に全身濡れて立ちすくんでいたのは、宿敵ナガト・ダイモンであった。

 柱の陰にでもなっていたのか、その軒下にいたのがサクミであるとは気がつかず走り込もうとしていたようだ。

 彼はそのまま走り去ろうとする。

 ところへ、

「いいじゃないですか」

 声をかけたのはサクミであった。

「いいじゃないですか、雨やどりすれば。こんな場所で、いきなりか弱い女の子を斬るような非道な人でもないでしょう?」

 彼は舌打ちしながらも、しぶしぶといった態で軒下に入ってきた。

 体格が大柄なせいもあって、例の大きな雨漏りを避けて立ってはいるものの、流れ落ちる水が地面に跳ねて、泥のしぶきで黒い着物の裾を汚すのであった。

 ふたりは無言のまま、たがいにあらぬ方向をみつめて、じっと時を重ねていった。

 ただ、屋根をうつ雨音のBGMだけがふたりの間に流れている。

 サクミはいささか悔いた。

 ――話すことがない……。

 これまで何度か顔をあわせていたのに、いざ普通に会話しようとすると、なにを話せばよいやら、とっかかりにする話題がまったくみつからない。

 こんな気持ちの悪い無意味な時をすごすなら、いっそのことナガトを見送ればよかったのじゃなかろうか。

 ――彼も同じ心境なのだろうか?

 ナガトは無口な性分のようだから、こんな沈黙の時間などさほど気にしていないのかもしれない。

 三十分くらいもそうしていたであろうか、

「なにをしてるの、サクミちゃん?」

 近づいてきたのは、寮の同居人にして、サクミの護衛担当ヒヨリであった。淡い黄色の傘をさして、片手には一本のサクミ用の傘を持ってきてくれている。

「ずいぶん遅いからさがしに来てみれば、なに敵となかよく雨宿りしてるのよ」

 ヒヨリは嫌味たらしく言う。

「べつになかよくってわけじゃないけど、なりゆきで……」

「ならいいんだけど」

 あきれたように言うと、彼女はサクミへ傘をさしだした。

「あ、それは彼にあげて」

 サクミが言うのへ、ナガトが、

「敵の情けはうけん」

 ぶっきらぼうに言いはなった。

「情けとかそんなのじゃないですから。風邪ひいたらどうするんですか」

「いらんと言ったらいらん」

 サクミはぷっとふくれっつらになった。

「もう、無駄に頑固なんだからっ」

「ふん」

「人の好意を無下にするもんじゃないですよ、バチがあたりますよ」

 サクミはヒヨリのもつ傘をひったくるようにとると、ナガトの足元に立てかけるのだった。

「そんなことをしても、礼は言わんぞ」

「べつに期待してません」

 べっと舌をだして、サクミはヒヨリのさす傘に入った。

「行きましょ、あんな意地っ張り、ほっときましょ」

 ふたりは相合傘で歩き出した。

 そしてサクミは心のなかでため息をついた。

 ――やっと話せたと思ったら、口喧嘩になっちゃうなんて。

 ナガトとは一生なかよくなれないのだろうか。

 それはちょっと悲しい――。

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