三ノ十六 これから(第三章完)

 ほっとひと息ついた時だった。

 アスハの、その吐息に反応したように、トーマが光につつまれた。

 数瞬後、もとのサイズにもどった愛馬の上に、アスハはまたがっていた。

「おっとっとっと!」

 サクミは、まったく予期していなかったのだろう、ヴァイアンが無様に数歩よろめいた。

「もう、小さくなるなら、さきに言ってくださいよ!」

 怒ってサクミは地上に降りた。

 そうしてヴァイアンを白月にもどす。

 アスハはまったくそっぽを向いていた。

 怒られたって知ったことではない。

 アスハの意思をはなれてトーマがやったことだった。

 大きくなったのも、小さくなったのも。

 アスハは愛馬の首を、そっとなでた。

 トーマは気持ちよさげに首をふってその愛情のしぐさにこたえた。

 そこへ、難民居住地のほうから、大勢の人々が雪崩をうっておしよせてきた。

 怒涛が十数メートルの間近にせまった時、

「とまれっ!」

 アスハが大喝した。

 あわてて足をとめる人々。

 勢いあまって前の人の後頭部に鼻を打ちつける人や、将棋倒しになりかける人たち、後ろからおされて転ぶ先頭のおじさん。

「おい、なんか機嫌悪いぞ」

「姫様、なんで怒ってるんだ」

「ここはやっぱ胴上げでシメだろう」

「ノリが悪いよな」

「庶民のノリを知らないんだ」

「上品すぎるんだ」

「マジメなんだ、マジメ」

 そんなことを、彼らは口々に言うのだった。

 そういう放言にアスハはまったく頓着しないように、

「あなたがたの厚謝の意はありがたくうけとります」

 莞爾と微笑んでいうのだった。

「必要以上の祝儀はいりません」

 そこへ、さきほどのふたりのわらべ、マタキチとシンタが申し訳なさそうな表情を浮かべて寄ってきた。

 そして、ぺこりと頭をさげて言う。

「姫様、ごめんなさい」

「助けていただいて、ありがとうございました」

 すでに親たちから叱られ、諭されたのだろう、えらく神妙な態度をして言った。

 アスハはまた微笑んで、こくりとうなずいた。

「無事でよかった。だが、今日は、親御からたっぷりと説教されるのだな」

「「はあい」」

「では、姫は疲れた。もう帰ろう」

 トーマを歩かせるのへ、さらに数人の難民が近づいてきた。

「姫様」

 老婆が礼儀正しくお辞儀をして言った。

「どうぞ、しばらくお身をお休めなさってくださいまし」

 となりの老爺が続けて、

「先日より小さな畑で育てておりました瓜が、やっと食べれるまでに実を育たせました。姫様のお口汚しとは存じますが、ぜひひとくちなりとも」

 懇願するように言うし、まわりの男女も丁寧に頭をさげるし、

「では、あなたたちの好意に甘えるとしましょう」

 アスハは馬を降りたのだった。

 群衆にかこまれて、いつも炊き出しをしている広場に来て、粗末な座布団を敷いた長椅子にサクミといっしょに腰かけた。

 しばらくして、お茶や切り分けられたみずみずしい瓜ののった皿が出され、それらを手に、アスハは難民たちをながめた。

 彼らはもう宴会か祭りかというくらいに、ざわめいていて、談笑する者たちや、唄ったり踊り始める人たち、どこからか酒を持ってきて飲みだす者たちもいた。

 ――彼らは、なにか娯楽が必要だったのだ。

 とアスハは思った。

 なんでもいいから口実をつくって、こうして騒いで、日ごろの憂さを晴らしたかったのだ――。

「この度はお役に立てず、愚生、恥じいるばかりです」

 耳元で、ふいに声がした。

 姿の見えなかったユウリンが、いつの間にかかたわらに立っていた。

「姫様のご勇力、感服いたしました」

 アスハは難民たちをみつめたまま、

 ――よくもまあぬけぬけと。

 心の中で冷笑した。

「うん、まあよい」

 アスハは鷹揚に言った。

「次の働きに期待する」

 はっ、とかしこまって、ユウリンはさがっていった。

 彼と入れ替わるように、今度は(怖いもの知らずの)子供たちが寄ってきて、アスハの脚にまとわりつくようにしたり、とある女の子は寄り添うように座ったりしている。

 数日まともに体を洗っていないような子供たちで、垢と油が浮いたような顔をしていたのだが、彼女は嫌がるふうでもなく、頭をなでたり、声をかけたりあやしたり、膝にのせてやったり。

 そんなアスハや彼女を取り巻く難民たちをみながら、ユウリンは少し冷や汗が流れるのを感じていた。

 ――この姫は、庶民の心をつかんでいる。

 わがままで高慢な言動からはまるで測ることができない、人心を惹きつける魅力のようなものを持っている。しかも、彼女自身が、まったくその才能に気づいていないのだった。

 ――思っていたよりも、ずっと出来物かもしれない。

 彼の心の奥底に、なにか小さな揺らぎが生まれていた。

 アスハはやがて、難民たちに無理矢理手を引かれ、踊りの輪のなかにくわわっていた。

 難民たちのうたげは、日が暮れるまで続いたのだった。

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