三ノ十 子供たち
優しく呼び寄せた(つもりの)アスハだったが、子供たちはなにか言葉に含まれた怒気とかいらだちのようなものを、敏感に感じとっているようで。
「姫さまおっかねえよな」
「何をされるかわからないから、あの人には逆らうんじゃない、ってかあちゃんが言ってた」
「そうだな、来いっていってるから、行かなきゃな」
「うん、何されるかわからないからね」
「ちょっと」アスハはもう感情を隠さないで、「全部聞こえているわよっ。はやく来ないと本当に怒るわよっ」
「怒るわよ、って言いながら、もう怒っているよな」
「うちの母ちゃんといっしょだな」
「はやくしなさいっ!」
「「はいっ!」」
子供たちは、綺麗に声をあわせて返事をして、はじかれたように駆け足でトーマの足元へと寄ってきた。
「あなたたち、名前は?」
「おいら、マタキチ」と、背の高いほうの、色が黒く気の強そうな目をした男の子が答えた。
「おいらはシンタ」小さいほうの、ちょと気の弱そうな、目尻の下がった男の子が名乗った。
ふたりとも十歳くらいで、つぎはぎだらけの、もとの色合いさえさだかではない色あせた木綿の着物をきている。
「あなたたち、大丈夫?ケガはない?」
「うん」
「ちょっと膝をすりむいたくらい」
「そう、よかったわ」
言ってアスハはトーマから降りて、ふたりと目線をあわせるように、片膝をついた。
「こんな裂けめに落ちてよく大けがをしなかったものね」
「うん」とマタキチが振り返って崖の先を指さして、「向こうの端っこは斜めになってて、そこをすべり落ちたんだ」
「うん、落ちたんだ」シンタが繰り返す。
「そこ、登れるんじゃないの?」
「いや、無理だった」
「うん、無理だった」
「トーマなら登れるかもしれない。いってみましょう」
アスハはふたりをトーマの背中にのせると、自分は馬は乗らずに脇に並んで、ふたりが落ちたという場所へむかって歩き出した。
「おいら、煌獣に乗るのはじめてだ」
「なんだ、マタキっちゃん遅れてるな。おいらは乗ったことがあるぜ。田んぼ耕す牛のやつ」
「そりゃ、お前の家は百姓だったからな」
「マタキチのお父さんは何をしていたの?」アスハは世間話程度に何気なく問いかけた。
「大工だった」
「そう。いま、あなたたちが通う学校を建てようっていう計画があるのよ。あなたのお父さんにも手伝ってもらわないとね」
「お、そうなんだ。とうちゃん、仕事がないもんだから、毎日小屋でごろごろして、母ちゃんから、そんなんじゃせっかくの腕がさびるぞ、ってお尻蹴られていら」
「でも、学校か」シンタはなにかため息まじりだ。
「ああ、勉強は嫌だな」
「つべこべ言うんじゃないの。学校を建ててあげるって言ってるんだから、黙って通いなさい」
「「ええ~!?」」
「勉強は必要なものよ。算学ができれば大工仕事にも農作業にも応用できるし、文字の読み書きができれば商売をするとき商人と対等に売り買いできるのよ」
「でも、勉強しなくても生きていけるし」マタキチが言う。
「バカ言わないの。人間、切羽つまった時に役に立つのは知識なのよ。学問をつんでいれば、いざというときに絶対に役に立つんだから」
「でもな、鵡に帰れなきゃ、意味ないしね。こっちじゃ何もできないし」シンタが悲観的に言う。
大丈夫、私がなんとかしてあげる、とはアスハには言えなかった。現状の自分のもつ権限では、彼らを国へ帰すことも、こちらで充分な生活をおくらせることも、確約できなかった。無責任な約束をして、のちのち彼らを失望させるわけにはいかないのだった。
やがて、断裂の行き止まりにたどりついた。
――これは無理だ。
トーマの照明で照らして、アスハはひとめで判断した。
たしかに足元から数メートルは、登れそうなくらいの角度で斜めに岩が割れたようになっているが、上のほうの三分の一くらいは、ずいぶん傾斜が急になっている。
――反対側はどうなのだろう。
断裂の反対の端は、どこまで伸びているのだろう。
ひょっとすると、湖にまで伸びていないだろうか。そうすれば、泳いででも抜け出せるのだが、それは、アスハの希望的な想像にすぎない。
そう考えを巡らしている時、地響きのような音とともに、地面がわずかに揺れた。振動で、石が上から数個おちてきて、乾いた音をたてて底をころがった。
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