三の三 謎の転校生
男子部の一年に転校生がきたという。
ヒヨリは、昼の休み時間になると中庭に出、植木にもたれるようにして男子学舎を観察してみた。
この学校には、他国からの留学生が多い。
それは、この那国が、百年近く戦争を経験しておらず、文化的に成熟し、領民全体の学力も高いので、自然、
その転校生の履歴はすでに調べた。
――他国に逃れてきたのに気楽なものだ。
ということだった。
先日、アスハやサクミたちと、難民たちの炊き出しの手伝いにいった。
彼らはみな、食うや食わずの、まずしい暮らしをしいられていた。
なのに、国が滅んで亡命しても士族は以前とさして変わらない暮らしをしている。
しかも、自分たちの同胞の苦難に手をさしのべることすらしない。
唾棄したいほどの不快さを胸の奥におしこみ、ヒヨリは転校生をさがす。
周りにはほかの女生徒たちも、転校生をひと目見ようと集まっていて、芋の子を洗うような混雑ぶりだった。
サクミやアスハの姿もみかけた。
「けっこう格好いいらしいよ」「え、可愛い子だって聞いたわ」「学問はそうとうできるらしいわ」「鵡国から命からがら逃げてきたらしいね」「お気の毒ね」
そんな生徒たちの会話が入り混じっていたが、そのうち男子学舎にほど近い一角から、ああ、とか、おお、とか、感嘆ともとれるようなため息の声が聞こえてきた。
ヒヨリはそちらをみやる。
数人の生徒に囲まれるようにして、背の比較的低い、華奢な感じのする男子が廊下を歩いていくのが、窓の向こうに見えた。
「あっ」
ヒヨリは思わず声を出してしまった。
――なぜあいつがここにいる。
彼女の目にはあきらかに憎悪の色が浮かんでいた。普段、感情をほとんど表に出さないヒヨリにはまったく珍しい。
忘れようにもけっして忘れることなどできない、その顔。
ヒヨリの里を漸国に売り、里の者たちに塗炭の苦しみをあたえ、みずからは地位を得て悠々と暮らしている、憎むべき男の、その息子。
「メノウ」
ヒヨリの口から、我知らずつぶやきが漏れ出たのだった。
放課後。
ヒヨリは後をつけた。
紺の小袖に縞の袴をはいたメノウの、まったく警戒もせず歩いていく後ろを、なにげないふうにヒヨリはついていった。
彼は、寮には入らず自宅から通ってきていて、鵡からの亡命一族という体裁上、あまり人目を引くような、派手な行動は慎んでいるのだろう、従者もつれず、ひとりで歩いて帰宅していくのだった。
彼の住所ももう調べていて、城にほど近い武家町の一角に屋敷はある。
校門を出て、町屋の連なる下町を過ぎ、堀を渡って武家屋敷の角を曲がって薄暗い路地にはいったときだった。
追跡のプロである
まずい、と思った刹那だった。背後から、
「ひさしぶり、ヒヨリ」
女のような優しい声がささやいた。
「よく、私の顔を覚えていたわね」
ヒヨリは振り返らずに、言った。
「君だけじゃあないんだよ、里の住人全員の顔をしっかり覚えているよ」メノウはヒヨリの耳に息を吹きかけるように、くすりと笑った。「僕、頭がいいからね」
ヒヨリは、腰の懐剣を抜きざまに、くるりと振り返る。
メノウが飛びのく。
「おいおい、こんなところで人を刺すと騒ぎになるじゃないか。そうしたら、君の任務も遂行できなくなるだろう。ちょっとは考えてから行動しなよ」
彼の、娘のような顔が、にっといやらしくゆがむ。
ヒヨリの、懐剣を持つ手が、こきざみに震えていた。
「じゃあ、いずれまたお会いしよう」
言ってメノウは踵を返し、堂々と道を歩いて去っていく。
ヒヨリの全身から、どっと冷や汗が噴き出した。
後ろにつかれた瞬間、殺されていても不思議ではなかった。
切歯してその細い後ろ姿を見送るしかなかった。
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