三ノ二 三人のスパイ

「まったく、わびしい光景よのう」

 百姓家の庭で薪を割るナガト・ダイモンの姿をみながら、アサシノがつぶやくのだった。その声音は、からかい半分にも聞こえるが、心底から憐憫がわいて出てきたようにも聞こえるのだった。

 ナガトは、着物を諸肌脱いで引き締まった上半身に汗をみなぎらせ、斧をひたすら振り下ろしていた。

 空は青く澄んでいて、遠くに山がつらなって、トンビが上空で弧を描いていた。

 田園の脇にある、静かで穏やかな百姓家の庭に、斧が振り下ろされるたび、薪が割れるかわいた音が、心地よく響く。

 アサシノは縁側に腰をかけてだらしなく床に手をついて、青い空を背景にして飛び散る若者の汗を、まぶしそうに目を細めて眺めながら、妖艶な口びるを動かし続ける。

近衛衛士このええじ筆頭、ぜん王の信頼厚き若武者」となまめかしいため息をひとつ、「落ちれば落ちるものねえ」

 アサシノはふりむいて、ほとんど何もない、生活臭というものがまるでない居間をながめた。

 この百姓家は、ナガトが仮住まいとして使っていて、いくら武芸にしか興味のない愚直な男であっても、ここまでなにもない暮らしを、なにをどうしたらできるのか、アサシノからすると不思議でしかたがない。

「おぬし、こんなところで油を売っていていいのか」

 ナガトは手をとめて言って、脇においてあった鉄瓶からじかに水を口に流しこんだ。

「任務はまだ継続しているのだろう」

「ああ、あっちはもうよいのじゃ」アサシノはちょと飽き飽きしたとでもいうふうに空をみつめた。「あの者は、もう完全に篭絡しておるでのう。あとは、めいがくだりしだい、最後の仕上げにとりかかるだけだからの」

「気楽なものだな」

 つぶやいてナガトはまた薪割りをはじめるのだった。

 アサシノは肘を膝に置いて、掌で顎をささえて、ナガトの若い肉体を堪能するようにみつめていた。

 そのまま任務の愚痴や上役の悪口をナガトに聞かせていたが、彼は聞こえているのかいなのか、一心不乱に斧を振り続ける。

 そうしてしばらくして、

「あら、思ってたよりひどいありさまだね、これは」

 白いマントに、フードを目深にかぶった少年が、裏口の枝折戸を開けて、ふらりと庭に入ってきた。

「漸の近衛衛士も落ちれば落ちるものだね。みすぼらしいったらないね」

 以前のナガトを知っているものは、同様の感想を抱くものらしい。

 ナガトは腕をとめ、アサシノは口をとめ、そろってそちらを見た。

「なにふたりとも、その嫌そうな顔。笑って出迎えてくれてもいいんじゃないの」

 十三、四歳のこの少年は、まるで女性が男の子の声をまねているような、澄んだ声で話すのだった。

「メノウ……。なにをしにきたの、このクソガキ」

 今までさんざんナガトの邪魔をしていたのを棚にあげて、アサシノは突然の邪魔者に雑言をあびせる。

「クソガキって……、人をけなすにももうちょっと語彙力を使ってよ」メノウと呼ばれた少年があきれたように言った。「見た目と中身の年齢が同じだとは思わないでね、っていつも言ってるでしょう。その辺のはなたれ小僧といっしょにしないでよね。クソでもガキでもないの、ボクは」

 メノウは、ふたりの冷ややかな視線など意にもかいさないようすで、アサシノの隣まできて、縁側に腰をおろした。

「あんた、のほうは片付いたの?」

「うん、あらかたね。シヴァさまももういいって。だからこっちにまわってきたんだ。ふたりとも、ずいぶんてこずってるみたいだしね」

「私はてこずってなどおらんわ。てこずっているのは、あっち」

 アサシノはとがった顎のさきでナガトを指した。ナガトはそれを見向きもしないで、ふんと鼻息をひとつ。

 メノウは冷ややかに彼の顔をみて、

「勝てないんだってね。ヴァイアンとかいうの?銀色の慧煌兵けいこうへいだってね」

 年長者に対してまるで敬意をはらわぬ言いようであった。

 ナガトは、サクミの駆るヴァイアンと、もう数回戦っていた。いずれも出会いがしらのような、突発的な戦闘ではあったが、ナガトはなぜか勝利をつかめずにいた。剣術の達者であるナガトが、なぜ素人同然のサクミに勝てないのか……。

 メノウは口の端をゆがめて、

「どうせまた、正々堂々の勝負とか、正面きって戦って勝たなくては意味がない、とか頭カチカチなことを言ってるんじゃないの」

 あきれたように、大人を小馬鹿にしたように言った。

「よけいなことはするなよ」ナガトは露骨に不快さを出した。

「なんだよ、せっかく冴えた策をさずけてあげようと思っていたのに」

「それがよけいだ」

「お色気だけの年増女に、武力だけの侍。そんなふたりの頭脳となるべき天才少年がわざわざ万慈湖まんじこを渡ってやってきたんだ」

 ナガトとアサシノが、むっとしてメノウをにらんだ。

「だまされたと思って、黙ってボクの言う通りにするんだね。勝たせてあげるからさ」

 フードの奥から、冷たい光を宿した瞳が、ナガトを見つめていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る