一ノ七 白月
「これは、イルマ家に伝わる宝刀での。名を
リュウドウは誇らしげに解説し、
「騎煌戦士殿、――サクミ殿、これを抜いてもらいたい」
なにげなくものを頼むように、しかし、なにか含みのある物言いをした。
「はあ……」
とサクミは、なぜ唐突にそんなことを命じられるのか、納得いかない気がしたが、ともあれ、刀を手にとった。
そして、それを目の高さまで持ち上げ、何気なく引きぬこうとした。
が――。
抜けない。
なにかコツでもあるのかと、手を持ちかえ、刀を腰にすえて抜こうとしたが、それでも抜けない。
周囲から、溜め息がもれた。
アスハなどは、あきらかに嘲弄の笑みを浮かべている。
リュウドウは昨夜見せたのと同じ落胆の表情をして、首を左右に振った。
「いや、よいのだ、サクミ殿」
と慰めるように言う。
「その刀は、いままで誰も抜いたことがない。おそらく特別な人間でなければ抜けない霊刀なのだ。もしやそなたなら、と思ったのだが……」
リュウドウが手を振ると、近侍がちかづいてきて、折敷に手をそえた。どうやら、そこに戻せということなのだろう、サクミは丁寧にそのうえに刀をおいた。即座に近侍は折敷を捧げ持って立ちあがり、部屋を出ていった。
――なんなんだ。
サクミは、羞恥と不愉快さに全身を支配された思いだった。
屋敷に戻って着物を脱ぎ、用意されていた着物をこばんでセーラー服に着がえると、サクミは玄関から飛び出した。
――ばかばかしい、やっていられるか。
憤慨を全身にみなぎらせ、門を出る。
油がからみついた髪の毛が不快だ。昨日はお風呂に入っていないし、ドライヤーもかけていない。このあいだ美容院でととのえたばかりのお気に入りのエアリーショートがだいなしだ。と、なぜだかそんな、今はどうでもよいようなことまでが腹立たしい。
見あげると、北の青い空に、三層の天守閣がそびえている。サクミはその威容を、にくにくし気ににらみつけた。
とにかく、ひとりになりたかった。とうぜん土地勘などはまるでなかったが、かまわずに歩きだす。
「どちらへ?」
その背に声がかけられた。ふりかえると、ヒヨリが立っている。
「べつに、監禁されているわけではないのでしょう?好きにさせてもらうわ」
「ええ、かまいませんが」ヒヨリは、なにげないそぶりで言う。「おともさせていただきます」
監視つきなら自由にしてもいい、ということなのだろう。
「勝手にすればいいわ」
投げつけるように言って、サクミは歩きだす。
どこに向かうかなど、まったく決めていない。武家屋敷の、白い塀が続く道を、むやみに歩いた。
いけどもいけども、武家屋敷。
同じような景色と同様に、サクミの心中でもおなじ言葉がずっとくりかえされていた。
――どうして私が。どうして、どうして。
永久に続くと思えた白い塀にはさまれた道もやがてとぎれ、掘りを渡るとそこはおそらく町人街なのであろう、くすんだ色あいの建物が多くなり、粗末な身なりの人々とすれちがうようになってきた。みな、ショートカットの髪で、涼し気な夏服セーラー服姿の、異世界人とあきらかにわかるサクミを、珍し気に、無遠慮にながめて通りすぎていく。
どれほど歩いたであろう、不意に、脚に疲労を感じた。
立ちどまる。
振り返ると、三メートルほど後ろにヒヨリがいて、その向こうに小さく天守閣が見えた。
ずいぶんの距離を、歩いたようだ。
おや、とサクミは思った。
どこかから、波の音が聞こえる。
音のする方向をさぐりながら、進んでいくと、
「海……」
波音も静かに、広大な海が視界いっぱいにあった。
生まれ育った愛知の豊橋の海岸を思い出した。水平線までなにもない海原、しっとりとして鼻の奥にまとわりつく潮のにおい。数日見ていないだけなのに、なぜだかずいぶん懐かしい。
「湖です」
サクミの感慨を平然と破壊するようなひと言が、後ろから聞こえた。
「
「そう」
とサクミは、鼻白んだように答えた。
しばらく湖をながめた。
「ねえ、ヒヨリさん」
「はい」
「ときどき、叫びだしたくなることって、ない?」
「は?」
「私はあるの。学校帰りに自転車に乗ってるときに、突然叫びだしたくなるの」
「はあ」
「でも、そんなことできないでしょ。だからね、田んぼのなかをまっすぐ通っている誰もいない道でね、全力でペダルをこぐのよ」
「…………」
サクミの頓狂な話に、ついていけなくなったとでも言いたげに、ヒヨリは沈黙する。彼女は、おそらく自転車がなにかもわかっていないだろうが、サクミはかまわずつづけた。
「気持ちいいの。全速力で自転車を走らせると、とっても気持ちいいの」
サクミは辺りを見まわした。誰もいないことを確認すると、靴を脱いで汀まで走って行って、足首だけ波にひたす。
そして――、
「ばかやろーっ!」
湖に向って、叫んだ。
ばかやろう、ばかやろう、と何度も叫んだ。声がかれるまで叫んだ。
そして、笑った。心のなかの、嫌な思いをすべてはきだすまで笑いつづけた。
涙が頬をつたって、湖面に落ちた。
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