一ノ六 那国王

 那国の東隣りには、ぜんという国がある。

 漸国王は、野心の強い人物で、ここ十年あまりでその版図を急激に伸張させた。

 だが、この三年ほどは、北方の強国との戦いが長期化していて、戦力を西方に振り向ける余力がほとんどなかった。

「だが、その鵡もほぼ壊滅させられた」

 と溜め息まじりにリュウドウは言った。

 そのさきの話はサクミにも予想できた。

 漸は、矛先を西方にある那に転じてくる。

 そこで那がとるべき対処法は、

「漸に降るか、対抗するか」

 であった。

 降伏するのは簡単だが、その先はどうなるか。漸の戦略のために兵力を提供するばかりか、おそらく過酷な最前線で戦わせ続けられるであろう。

 いっぽう、抗戦を選べば、

「漸の兵は屈強じゃ」

 一度の戦いで殲滅させられるおそれすらあった。

 那はこれまで何十年ものあいだ、

独立不羈どくりつふき

 の体制をつらぬいてきた。

 永世的な中立を宣言し、どの大勢力にも屈せず、国体と領土を保ち続けてきた。だが、漸はその独立精神をゆるさない。

「きゃつらは、どのような手段をもちいようとも、我らをその翼下に組み込もうと、あらゆる手段をこうじてくる」

 交渉もずいぶん重ねたが、それも行き詰まりがみえてきた。

「そこで、騎煌戦士どのにご来訪願った」

 サクミという異能力者(本当に能力を持っていたとして)がいれば、切り札として使用することができる。膠着した交渉を無理矢理にでも打破し、那に有利な方向へと進捗させることができる。

 というのが、那王リュウドウの計略であった。

 ――ばかばかしい。

 サクミは心のうちで毒づいた。

 そんなことのために、私をこの世界へ召喚したのか。私の人権はどうなる、私の意思はどこにある。こんなものは誘拐ではないか。国家ぐるみの犯罪ではないか――。

 サクミの手が、怒りで震えはじめた。

 しかし、ここでこの老国王をなじったところで、事態が好転するとは思えない。むしろ、この場で命を奪われてしまう可能性すらある。

 サクミは、瞑目した。

 そして、深く息を吸い、吐いた。

 そうやって、数回深呼吸すると、じょじょに気持ちが落ち着きをとりもどし肩の力もぬけ、ひとつの、聞いておかなくてはならない重大な問題が心に浮かびあがってきた。

「あの」

 サクミは遠慮がちに、声を出した。

「なにかな」

「私が、その、騎煌戦士というものだとして、その役目が終われば、もとの世界にもどしていただけるのでしょうか?」

 リュウドウはふいに黙した。彼だけではない、その場にいた人々すべてが、呼吸をとめたかと思えるほど、異様な静寂が広間をつつんだ。

 そしてリュウドウは顔に、憐憫の感情をまざまざと浮かべて言った。

「残念じゃが……」

 そのさきは、言わなかった。

 サクミの心情を想い言葉をつまらせたということは、この国王が悪人ではないという証拠だと解したいが、しかし、

 ――還す方法もないのに、呼び寄せたのだ。

 サクミの心が、怒りとも絶望とも言えない複雑な感情で満たされた。

「安心してもらいたい」とリュウドウは慰めるように言う。「一生、楽にくらしていけるように、充分にめんどうをみよう」

 サクミは心で苦笑した。

 ――この国が存在しつづけていたら、の話だろうに……。

「おい」

 と部屋の重苦しい空気を払拭するように、リュウドウが近侍に声をかけた。

「あれを持ってまいれ」

 近侍の若い侍が部屋をでて、しばらくして戻ってくると、その両手には、漆塗りの折敷おしきにのせられた、ひと振りの刀があった。

 仰々しく運ばれたその刀が、サクミの前におかれた。

 サクミは自然、目が吸い寄せられるように、刀をみつめた。

 白い鞘、白い柄巻、鍔と柄頭だけが金色の、見るからに不思議な、――霊刀とも思えるこしらえ。

 神々しいとでもいうのだろうか、みつめていると、その全体から、光がはなたれているような、奇妙な麗容であった。

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