一ノ四 サクミ・サイゴウ
――さて。
サクミは寝ぼけた頭のままではあったが、思案を巡らしていた。
――ともかく何か話さなくてはいけない。
サクミがヒヨリを見つめると、彼女も見つめ返してくる。
「あの」
サクミは閉じられた喉を無理に押し開くようにして、声を出した。
「今は、なに時代なのでしょう?」
サクミの唐突な問いかけに、ヒヨリはきょとんとした顔で、しかし頭脳を回転させているのであろう、しばらく黙考したあとに、言った。
「
「いえそうではなく……」
サクミは身体を起こして、布団のうえにすわるようにして、
「なんといえばいいのか。そう、将軍様はどなたでしょう?」
「将軍……、どの将軍様でしょう?」
「征夷大将軍」
「はて、聞いたことがありません」
サクミはとっかかりを失ったように、うなだれた。
ヒヨリは続ける。
「大将軍様のことでしょうか。でしたら、今は、莞公様です」
「カンコウ……?」
まるで聞いたことがない。
「他にも、鎮西将軍様や、車騎将軍様ならいらっしゃいますが」
「いえ、いいです」
どうせ聞いたところで、サクミの知らない名前が列挙されるだけであろう。
「でしたら、天皇陛下は?」
「天皇?」
「ミカドです」
サクミはちょっと考えるようなしぐさをまたした。
「帝は、天下におひとりですので、たしかお名前は……」
そうだ、とサクミは思い出した。天皇陛下にお名前はなかったのだ。
ううむ、とうなるようにして、サクミは考え込んだ。やはり、ここは日本ではないのだろうか。
「あの、救世者さま、ともかくお着がえあそばされてはいかがでしょう」
そうですね、とサクミは立ちあがった。
辺りをみまわすと、枕頭に着物がひとそろいおかれている。
ふと思い出したように、サクミは言った。
「サクミです」
「は?」
「名前は、西郷咲美と言います」
「はい」
「ですので、私のことは、サクミと呼んでください。救世者などではありませんので」
「サイゴウ・サクミさま」とヒヨリはとまどい顔をしたあと、「苗字と名前が反対のようなお名前ですね」と微笑んで言う。
「え?どういうことでしょう?」サクミもとまどった。「苗字がさきで名前があとではないのですか?」
「ああ」とヒヨリは合点がいったようすで、「こちらの世界では、苗字が後になります」
――なんということだ。
ややこしい話だ。まるっきり日本のような文化様式の世界なのに、そこは外国チックなのか。
「あと、服は、私が昨日着ていたものはどこでしょうか?和服は着なれていませんので」
「もうしわけありません。あのお召し物は、いま洗濯をいたしております。ですので、そちらにご用意いたしました着物にお着がえください」
サクミはしぶしぶ着物を手にとってみた。着付けなど勉強したことがない。どうやって着ればよいのだろう。
「あの、ヒヨリさん、手伝っていただけますか?」
サクミは、ヒヨリに手伝ってもらうというよりも、ほとんど彼女に着させてもらうようなかたちで、着物に着がえた。
その後、
――そうだ。
とサクミは気がついた。肝心なことを聞いていなかった。
「ここはどこですか?」
「サクミ様のお屋敷です」
自分の屋敷と聞いて、いささか驚いたが、その驚嘆はひとまずわきに置き、
「国の名前です」
「那国です」
「ナ……、こく」
おそらく、あの有名な金印に掘られていた
「日本では、ないのですか?」
ダメでもともと、と思いつつたずねてみた。
ヒヨリは今朝数度目のとまどいに入った。
これは、今はややこしくなりそうなので、後でゆっくりと調べることにしようと、サクミは考えを変えた。
部屋にもどると、布団はかたづけられ、かわりに朝食の用意がされていて、ひとりでもくもくと食べた。
膳にのせられている、という以外は、ごく普通の食事で、お米のご飯に豆腐の入った味噌汁、小鉢には野菜のおひたし、それに大根の漬物がそえられていた。
彩りが単調であったし、味付けが全体的に薄いこともあって、いささか物足りなかったものの、量は充分すぎるほどであった。
食事をすませると、どこからかヒヨリとは別の侍女があらわれ、敷居ぎわに両手をついて言った。
「これから、ご登城いただきます。おしたくをお急ぎください」
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