一ノ四 サクミ・サイゴウ

 ――さて。

 サクミは寝ぼけた頭のままではあったが、思案を巡らしていた。

 ――ともかく何か話さなくてはいけない。

 サクミがヒヨリを見つめると、彼女も見つめ返してくる。

「あの」

 サクミは閉じられた喉を無理に押し開くようにして、声を出した。

「今は、なに時代なのでしょう?」

 サクミの唐突な問いかけに、ヒヨリはきょとんとした顔で、しかし頭脳を回転させているのであろう、しばらく黙考したあとに、言った。

祥安しょうあん七年ですが」

「いえそうではなく……」

 サクミは身体を起こして、布団のうえにすわるようにして、

「なんといえばいいのか。そう、将軍様はどなたでしょう?」

「将軍……、どの将軍様でしょう?」

「征夷大将軍」

「はて、聞いたことがありません」

 サクミはとっかかりを失ったように、うなだれた。

 ヒヨリは続ける。

「大将軍様のことでしょうか。でしたら、今は、莞公様です」

「カンコウ……?」

 まるで聞いたことがない。

「他にも、鎮西将軍様や、車騎将軍様ならいらっしゃいますが」

「いえ、いいです」

 どうせ聞いたところで、サクミの知らない名前が列挙されるだけであろう。

「でしたら、天皇陛下は?」

「天皇?」

「ミカドです」

 サクミはちょっと考えるようなしぐさをまたした。

「帝は、天下におひとりですので、たしかお名前は……」

 そうだ、とサクミは思い出した。天皇陛下にお名前はなかったのだ。

 ううむ、とうなるようにして、サクミは考え込んだ。やはり、ここは日本ではないのだろうか。

「あの、救世者さま、ともかくお着がえあそばされてはいかがでしょう」

 そうですね、とサクミは立ちあがった。

 辺りをみまわすと、枕頭に着物がひとそろいおかれている。

 ふと思い出したように、サクミは言った。

「サクミです」

「は?」

「名前は、西郷咲美と言います」

「はい」

「ですので、私のことは、サクミと呼んでください。救世者などではありませんので」

「サイゴウ・サクミさま」とヒヨリはとまどい顔をしたあと、「苗字と名前が反対のようなお名前ですね」と微笑んで言う。

「え?どういうことでしょう?」サクミもとまどった。「苗字がさきで名前があとではないのですか?」

「ああ」とヒヨリは合点がいったようすで、「こちらの世界では、苗字が後になります」

 ――なんということだ。

 ややこしい話だ。まるっきり日本のような文化様式の世界なのに、そこは外国チックなのか。

「あと、服は、私が昨日着ていたものはどこでしょうか?和服は着なれていませんので」

「もうしわけありません。あのお召し物は、いま洗濯をいたしております。ですので、そちらにご用意いたしました着物にお着がえください」

 サクミはしぶしぶ着物を手にとってみた。着付けなど勉強したことがない。どうやって着ればよいのだろう。

「あの、ヒヨリさん、手伝っていただけますか?」

 サクミは、ヒヨリに手伝ってもらうというよりも、ほとんど彼女に着させてもらうようなかたちで、着物に着がえた。

 その後、トイレに連れていってもらったり、井戸端で口をすすいだりしているうちに、多少ヒヨリともうちとけだしてきた。うちとけてくると、それまで回らなかった頭も、どこかスムーズに回りだすようで、

 ――そうだ。

 とサクミは気がついた。肝心なことを聞いていなかった。

「ここはどこですか?」

「サクミ様のお屋敷です」

 自分の屋敷と聞いて、いささか驚いたが、その驚嘆はひとまずわきに置き、

「国の名前です」

「那国です」

「ナ……、こく」

 おそらく、あの有名な金印に掘られていた国とは別の国だろうとは想像できるが、

「日本では、ないのですか?」

 ダメでもともと、と思いつつたずねてみた。

 ヒヨリは今朝数度目のとまどいに入った。

 これは、今はややこしくなりそうなので、後でゆっくりと調べることにしようと、サクミは考えを変えた。

 部屋にもどると、布団はかたづけられ、かわりに朝食の用意がされていて、ひとりでもくもくと食べた。

 膳にのせられている、という以外は、ごく普通の食事で、お米のご飯に豆腐の入った味噌汁、小鉢には野菜のおひたし、それに大根の漬物がそえられていた。

 彩りが単調であったし、味付けが全体的に薄いこともあって、いささか物足りなかったものの、量は充分すぎるほどであった。

 食事をすませると、どこからかヒヨリとは別の侍女があらわれ、敷居ぎわに両手をついて言った。

「これから、ご登城いただきます。おしたくをお急ぎください」

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