第24話 私は誰

「リゼ。まだ出られないのか。飯買ってきたからちゃんと食べろな」


 ドアの向こうからビニール袋が地面に置かれる音が聞こえる。リーザはバルドの好意に返答せず無言のままベッドの中に沈んでいた。その中で彼女は繰り返し「私は誰」と自問自答していた。


 GWGの後、百年ぶりに再会したフェルにリーザではないと告げられた。そんなはずはない、記憶違いだ。きっと百年も脳みそだけになった時間が立ちすぎて、ボケているのだろうとリーザは自分が覚えているフェルとの出会いから最後までを洗いざらい吐き出した。


「父は衛生兵ではありません。戦争開始時から志願兵として参戦しています。公式資料にも父の名に記載があります。戦時中にリーザ様と恋仲になったと聞き及んでいたのですが」


 息子のビルにまで記憶違いを指摘された。しかも公式文書まであるとなれば、自分 の主張の説得力がなくなる。だが恋人との出会いと別れまで全く記憶が一致していないとなると、自分は何者なのか。

 フェルは顔はリーザによく似ていると答えた。


 では自分はリーザのコスプレイヤー? 違う、私はリーザ・ブリュンヒルド。『黒豹』と呼ばれ恐れられた傭兵。そのはず……なんだ。


 アイデンティティが揺らぎ、自分がわからなくなり数日間部屋に引き凝ってしまった。地下の店に顔を出さなくなって以降、毎日バルドがご飯を届けに来ているが、それも手に付けてない。冷蔵庫に入れてある水だけで過ごしていた。戦時中は泥水だけで生き延びていた。きれいな水を飲めるだけ、あの時よりは裕福……


 何をやっているんだ私は。私はリーザじゃない。

 戦時中の記憶も、銃の扱いも、本当に私の記憶なのか? 全部偽の記憶じゃないの。

 第一、水だけの生活をしているなんて私のせいじゃない。自分で追い詰めて、まだ裕福だなんて、愚かで惨め過ぎる。


 携帯が鳴った。

 画面には知らない番号が映っている。電話に出る気力もなく、放置していると電話は向こうから切られた。そして切られた電話の画面にはニナとステラリアからのメッセージボックスが溜まっているのが映っていた。どれも既読をつけてない、それを心配してメッセージが増える。それの繰り返し。

 二人とも迷惑をかけてごめん。でも、自分が自分でないなんてどう答えたらいいの。リゼも嘘、リーザも嘘。私は一体、誰なの……


「バルドここの鍵あるよね。早く開けて」

「いやでも、本人の心の問題に触れることだから」

「数日部屋から出てないんでしょ! 体に異常きたすって。早く!」

「お、おう」


 ドアの向こうから、バルドとニナの声が聞こえる。するとカギがかけられていたドアが開き、ニナが入ってきた。灯りをつけていない部屋にドアから入ってくる灯りが一気に差し込んで、暗闇で慣れていた目が眩む。その隙を突いたのか、被っていた布団をニナが引っぺがすと、口にゼリーパックの容器が突っ込まれた。


「はいこれ食べて、というか飲んで」

「むぐ、別にいらない」

「食べてないんでしょ。食べないと死ぬよ。食べなさい!」


 ニナの手を押し返そうとするが、栄養不足で力が入らず押し返された。そのままニナがゼリーパックのお尻の部分を押しつぶして、中のゼリーを流し込む。


「なんでメッセ返してくれなかったの。GWGの後で何があったの」

「あんたには関係ない」

「関係なくても、何があったか連絡入れてくれないとこっちが心配で夜も眠れなかったの」

「なんでそんな心配する必要があるの」

だから」

「友達ね……で、その友達に今まで嘘をついていたら、心配してくれるの? あたし、ずっと噓ついてきた。生まれも、経歴も、全部。自己嫌悪なんてわかなかった。常套手段で慣れているから。どう? これでも心配してくれる」


 常套手段ってのも嘘だ。偽装工作もリーザ・ブリュンヒルドのやったことで、自分がしていたわけではない。全く自分が誰かわからないというのに、結局リーザに頼る。私はとんでもない嘘つきだ。


「嘘じゃない。私とリゼさんとGWGでしたことは本物。助けてくれたことも、戦ったことも」

「嘘だって言ってるだろ! いい加減にしろ。ごっこ遊びで友達気取りってか。あたしは、あたしが誰なのかわからない! 偉い学者でも医者でもないにあたしの素性を助けられるっての」

「できない。でも偉い学者や医者だったらってことでしょリゼさん。私の伯父さんデリカシーないけど、研究のために優秀な医者とコネあるんだよ。ほら、引き籠っていたら何も解決できなかったのに道筋見えた」


 フッと言い負かしたとドヤ顔で仁王立ちして、こりゃ負けだとはその場で腰を落とした。

 戦場でない場所で初めての負け。いや結構負けているな。GWGでも友達でも私は負けっぱなし。最強の傭兵『黒豹』がこんなに弱いはずがない、あたしは『』だ。


 再び携帯が鳴る。数日間手を付けてなかった端末をようやく拾い上げて、電話を取る。


『リーザ様』


 かけてきたのはビル・シュティッヒだ。どこからこの番号をと逡巡するが、一国の大国の大統領なら個人情報などお手の物か。


「違う私は」

『仮に違っても私には貴方様をリーザ様とお呼びするほかありません。それともご友人から呼ばせていますリゼ様とお呼びいたしましょうか』

「もしもし」


 いつの間にかニナが携帯を取り上げると、電話越しの相手に威圧的な態度で臨んでいた。


「どこの誰か知りませんが、私はリゼさんの友達です。GWGの後で何を吹き込んだかしりませんが、彼女数日塞ぎこんでたんですよ。なんで分かるって? リゼさんの友達登録しているの私以外あと二人しかいないからです。悪気がなかったとか悪意がないとかの問題じゃない。ショックを受けるなんて簡単に想像できるでしょう、その辺のアフターフォローがないと女にモテないんだから」


 まったく言いたい放題言って、自分だって好きな男との経験すらない癖して。まあ後で電話の相手がこの国の大統領だって教えてお返ししてやろう。ニナが後々、顔がしわくちゃの紙のように潰れる様を思い浮かべながら「あたしの言いたいこと代弁してくれてありがと」と携帯を奪い返す。


『リゼ様、一度貴方様がお目覚めになった場所を調査したく思います。お目覚めになった廃病院にご案内いただけませんか』

「廃病院?」

『ええ、我が国の調査機関が百年も調査しても、リーザの影も形も見つからなかった。もちろんリーザと名乗る豪胆な不届き者も。しかし今回のGWGでの戦い方や動き方、そして口調。戦時中にわずかに残されていた映像資料からAIで算出した結果九十九パーセントの確率でリーザ・ブリュンヒルドであるとの結論がでました。どんなパフォーマーでも最大値で八十なのです』

「つまりどういうこと」

『貴方様がお帰りになった後、父がこうお答えになられました。「顔は私が記憶にあるリーザとは確かに違うが、で再会できてれば間違っていただろうほどに」と』

「だから結論を先に言って。わかりにくいったら」

『貴方様はその病院で産まれたリーザ・ブリュンヒルドのクローンである可能性があるということです。』

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