第3話 百年前の元彼
フェル・シュティッヒとは仮初の恋人であった。
きっかけはリーザが十六歳になる頃だった。彼女の所属していた部隊の隊長に兵舎裏に呼び出され、自分の女になれと告げられた。リーザは断るとこをしなかった。それは受け入れというより諦観からである。十四の時に軍に所属したが大人の女になる歳に近づくにつれて周囲の目が変わり始めていたのに気づいていた。
今まで弾薬の入った弾の箱を運んでいても「落とすなよ」と言われなかったのが、代わりに持っていくと同じ部隊の若い男が手伝いに来るなど、明らかに自分に対する見る目が変わっていた。
遅かれ早かれこうなるのは分かっていた。ここで断れば、部隊内で軋轢が生まれ、感情に任せてリーザを(自分の手を下さなくても)殺す可能性がある。目を閉じて逡巡していたリーザは受け入れると答えようとしたその時。
「隊長。少佐から召集がかけられております」
「ちっ、大事な時に。返事はまた後でな」
白服の衛生兵からの連絡で中断されて、隊長は舌を打って兵舎裏から抜け出す。隊長の姿が見えなくなってもリーザは兵舎の壁にもたれてその場を動かずにいた。それに衛生兵が見かねて声をかけた。
「逃げないんですか」
「どうせ何かしら言い訳をしてすぐ戻ってくるわ」
「来ないですよ。だって嘘ですから」
「はぁ? あんたそれがバレたら隊長に半殺しにされるわよ」
「戦争なんて嫌なことをしているのに、また嫌なことを重ねるなんて嫌じゃないですか」
生真面目な男、上下関係重視な軍隊では上の立場でないと生きにくいだろう。ではこいつはどうだろうか。一応自分以外にも女性はいる。特に衛生兵には女性が多く配属されているし、銃後ならもっといる。それを彼に尋ねてみると。
「戦争が終わるまで恋愛はしないつもりなんです。こんなところで将来を誓うなんて吊り橋効果によるもので、一時的なものです」
本当に硬い男だ。戦争となったら理性が外れてしまう狂気の場。それも男となれば欲の開放もあるのに。
「……ねえ、あたしの彼氏になってくれない」
「え?」
これがフェル・シュティッヒとの出会いで、リーザとの恋人関係になった。もちろん本気の恋愛感情はお互い持ち合わせてなく、ほかの男がリーザに声をかけてこないようにカモフラージュする弾除けになるのがフェルの役割だ。
あの無欲のフェルがどうしてと、部隊内で象徴のような扱いになっていたリーザに出し抜かれた男たちの嫉妬のまなざしをフェルが一身に受け止めてくれたおかげで、リーザはやりやすくなった。
フェル自身も衛生兵であるため、時折リーザと同じ戦場で走ったり。時には身代わりとして使ったりとしていた。そして二人が帰ってくるとフェルに「死ねばよかったに」と嫉妬の言葉を返して歓迎してくれた。
そんな役割を担って負担にならないのかとふと疑問に思わないでもないリーザ。あるときフェルにそのことを聞いてみた。
「あんたよく耐えれるわね。周りの男どもから嫉妬されて、いじられて。別に根を上げて別れてもいいのよ」
「……そしたらリーザさんはどうなるんですか。また周りの男たちからの奪い合いの対象。望んだ結末とは真逆の結果になる。リーザさんのそばにいるだけで十分です。戦争が終わるまで、僕はいわばダムみたいなものと思ってください」
リーザ自身が言い出したことではあるのだが、それをまるで自分に課せられた使命であるかのように答えるフェルに苛立ちを覚えた。
「自分が言ったことと矛盾していること気づいてない? 不幸を正当化してごまかしている。あたしがあなたを不幸にしているみたい。もう恋人ごっこは辞めよ」
「でもそれじゃあ」
「別れましょう」
フェルと別れたその翌日に、リーザの最後の戦いとなるクルエスの戦いが勃発した。激しい砲撃戦のさなかにリーザは重傷を負い、野戦病院に担ぎ込まれた。輸血パックの入れ替えと止血のガーゼが黒く染まり入れ替えが絶え間なくされる中で、フェルがリーザの病床に駆けつけてきてくれた。
「駆けつけるのが早いわね。さすが私の元恋人といった……ところかしら」
「死ぬな。死なないでくれ」
「天に祈ってなさいよ。……ここは戦場だから。死ぬか生きるかは神様の運しだい。ダメだったら不運だと思って」
「僕を不幸にする気か!」
野戦病院内に響くフェルの叫びにリーザは理解した。フェルは幸せだったのだ。そばにいるリーザといることで満たされていたのだと、嘘偽りない本音だったということを。本当に神様は意地が悪い。
幸い弾は取り出せたものの、完治するのは難しいとの判断から冷凍催眠をすることで延命を図ることになるのが決まった。そして防空壕の地下で冷凍催眠に入る直前フェルが、今まで見せなかった泣き面をさらしてリーザの手を取った。
「君を愛している」
「……あたしは戻ってくるから」
ここでリーザはフェルに恋をしていると初めて自覚した後、
***
そして百年後、愛していると本気で好きになってしまった男は自分以外との子供をつくり、その息子は大統領になった。おそらくフェルは終戦後も生き延び、それなりに高い地位を築き、ほかの女と結ばれて安穏と墓の下で眠っているのだろう。
戻ってくると伝えたはずの女に何も言わず。
これなら死んでいた方がましだ。あたしがもし死んでいたら、何十年も昔愛していた人のことを引きずったままでいたら、平和な世の中で不幸だったら意味がない。それならまだ許せた。
でもあたしは治る見込みがあるから冷凍睡眠に入っていた。でも百年の間誰も治さず、目覚めさせず。そして目覚めた時にはあたしを出迎えてくれる人はいなかった。最愛の人であるはずのフェルや親族も誰一人。
結局信じていなかったというわけ。
画面の向こうで拍手が送られる大統領の顔つきは、シワがよってはいたがフェルとよく似ていた。
大統領の姿が見えなくなって、ようやく終わったとニナとブルゴが画面をのぞき込む。
「やっと演説が終わったね」
「早く大会の説明を聞きたいですな。リゼさんも参加なされるのでしたら、ルールをご説明しますが」
だがリーザは画面から離れて頭の中ではどうやってシュティッヒ大統領に接触するかシュミレートしていた。
今から会場に侵入するのは道もわからないから不可能、じゃあ大統領官邸に侵入でもする? いや、官邸からの道順は把握できるけど時間とタイミング、それに警備の目もあるから実質不可能。公演の時などもっと不可能。
暗殺や狙撃なら特攻をするのも手ではある。恨み嫉妬でフェルの息子を殺すほどリーザは外道ではない。大統領に自分が生きていることを伝え、家族ともどもそろった上で、フェルの墓石を叩き壊す。それぐらいしないとリーザの気が済まなかった。
「それでリゼさんどうですか今夜ニナの家でお泊りされては」
「え?」
ステラリアに呼びかけられて、ふと我に帰るリーザは抜けた声を上げた。大統領に会うことに夢中になっていて、ニナやステラリアのことを忘れてしまっていた。
「先ほど、群衆雪崩に巻き込まれかけたところを救い出していただいたとニナからお聞きしたのですが。怪我もされていますし、家でちゃんと消毒していただかないと悪化させてしまいます」
近くの店で買ってぐるぐる巻きにしたガーゼを指さした。
元々今夜は寒空の下で野宿する予定だったリーザからしたら、泊まれることは願ってもないことではある。だが、家の家主であるニナより先にステラリアから提案するのは、物事の順序が異なるのではないか。
「泊まるのはニナの家でしょ。まずはニナの気持ちを先に答えてくれないと」
「いいよ。伯父さんがそう言うなら」
ニナがステラリアの顔を見ずに、ためらいもなく諾々と伯父に従った。最初に話していた明るい様子のニナの姿はなかった。
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