#3 【悲報】私、攫われました
「あっ、ノワルーナさん!」
「ああ、モモコじゃないか。お買い物かい?」
穏やかに返事をしてくれたのは、インテラムナの自警団最強と名高いノワルーナさんだ。
「はい。テオのところにチョコを買いに。ノワルーナさんは
ノワルーナさんの隣にいる、自警団の制服を着たお兄さんに会釈しながら、私は聞いてみた。
「ああ。最近、ゲミニ団の動きが何やら怪しくてね。モモコも気をつけてくれ」
「はい。ありがとうございます」
「……確か、テオの店はアロフォンシーネ通りだったな。送って行こうか」
「いえ、大丈夫です! 大通りだし、人通りも多いから。それじゃあ、お仕事頑張ってくださいね」
私はそういうと、逃げるようにその場を後にした。
もちろん、ノワルーナさんが嫌だったわけじゃない。断じて。でも、周囲の女性たちからの視線が痛かったのだ。
歳は私とちょっとしか変わらなくて、まだ若いんだけど、“閃光の騎士”とか“刹那の光剣”とか“スパーク・オブ・ジャスティス”とか色んな異名のあるとっても実力のある騎士なんだそうだ。
なんでもノワルーナさんにかかればどんな名うての剣士も瞬く間に倒されてしまうらしく、その光魔法を合わせた剣の腕は、インテラムナどころかギルドのある大都市にだって知れ渡っているらしい。
『大解剖 ノワルーナの光魔法』とか『ノワルーナの光魔法がよくわかる本』なんてものまで出版されている始末だ。こんな騎士は世界中を探してもノワルーナさんくらいだろう。
本当はもっと大きな舞台で活躍できる実力があるんだけど、ノワルーナさんは生まれ育ったこの町が好きで守りたいからって、ずっとインテラムナの自警団で働いているんだという。愛情深くて物腰の柔らかな、とっても優しい人だ。
おまけに超のつくほどのイケメンだから、女性からの人気はすごい。わざわざ遠くの町からノワルーナさんを一目見るためにやってくる女性もいるんだとか。
そんな人だから、私みたいなやつが町中で長話をするのはちょっと視線が痛いのだ。あくまで、たまたまお店でトラブルがあった時に助けて貰って、以来ときどき来てくれるお客さんでしかないんだから……。
*
「いらっしゃーい! ってなんだ、モモコか……」
「もう、毎回毎回モモコか、とはなによ!」
「へいへい。で、今日はどちらにしますかぁー」
やる気のないテオの言葉に腹を立てながらも、テオが作った彫刻みたいに綺麗なチョコに私の心は奪われてしまう。
「バレンタインのチョコは上手くいってるの?」
チョコを見ながら、それとなく私は聞いてみる。
「あ? もちろんよ! 目玉商品の発注はバッチリだぜ。色んなとこに頼んであっからよぉ、今は待ってるところなんだ。今週中には売り出してぇところだが……」
「ふぅん。随分早く売り出すんだね。ほんとに前世のバレンタインデーみたい」
節分が終わったと思ったら、コンビニにまでバレンタイン用のチョコが並んでいた前世の記憶がよみがえって、私はなんだか憂鬱な気持ちになった。
「おうよ。しかもお前、義理チョコなんてもんもあるらしいじゃねぇか! なんで言わねぇんだよ!」
「えっ……」
私は『義理チョコ』という言葉にとどめを刺されたみたいな気持ちになって、黙り込んでしまった。
「どしたモモコ?」
「いや、ううん。なんでもない。早く帰らなきゃ、奥さん心配させちゃうから。えっと、これと……それと……後はその三つちょうだい」
「ああ、そうだな。こないだはギリギリまで引き止めちまったしな。あーっと、まずこれだな」
テオはそう言いながら、丁寧な手つきでチョコを容器に入れてくれる。
私はさっさとお会計を済ませ、テオのお店を後にした。
わかってる。
まだ、義理チョコ文化が根付くと決まったわけじゃないし、そうなったからって、私はもう会社勤めじゃないし、別にそれに乗っかる必要はないことは。
でも、それでも、『義理チョコ』が象徴する前世での生活を思い出すと胸が苦しくなるんだ。会社員時代を思い出すと死にたい気持ちになるんだ。
そして、それをこの世界に持ち込んだのが他でもない私だと思うと、余計に辛いし申し訳ない気持ちにもなる。
きっと、同じ思いの転生者もたくさんいるはずだから。バレンタインデーが憂鬱だった人たちは、私だけじゃないはずだから。
そして、もしもバレンタインデーがこの世界でも広がってしまえば、バレンタインデーに苦しむ人たちがきっと、この世界にも生まれてしまうから……。
わかってる。
テオに悪気はないんだ。
テオだって必死なんだ。
テオは孤児院育ちだ。そんなテオが、この異世界でチョコレート専門店なんてマニアックなお店を開いて、あんな大通りに店舗を構えられるようになるまでに相当な努力があったことは想像に難くない。
そのお店を続けていくためには、どうしたって売り上げが、お金が必要だ。大きな儲けを出すために、バレンタインデーは格好のイベントだと思う。
しかも、テオは売り上げの多くを、自分が育った孤児院の子供たちのために寄与している。テオが稼げなくて困るのは、テオだけじゃない。
だから、なおさらバレンタインデーを使って稼ぎたいに決まってるんだ。
わかってる。
わかってるんだ……。
それでも、私は――、
「あっ! ごめんなさい」
頭の中がごちゃごちゃして、思考がぐるぐるしてたから、私は前から人が近づいてきていたのに気がつかず、危うくぶつかるところだった。
「お嬢ちゃんが、モモコちゃんかい?」
「えっ、そうですけど……」
答えてから、しまったと思った。
目の前の五人組の男たちは、私を
「ごめんなさい。私、急いでるんで」
「ちょっと待てよ!」
「あんた、アルフォンシーネ通りのチョコレート屋、テオって奴と知り合いだな?」
「あの店のことで話があるんだが……」
「お嬢ちゃんが来てくれないと、あの店。明日には潰れちゃってるかもよ?」
「ヘヘヘヘヘ……」
品のない笑みを浮かべる男たちの手には、武器が握られている。
「……」
路地に入ってしまっていて、人通りは全然ない。
私は、逃げることを諦めた。
*
がやがやと賑わう“ジョニーの陽気な酒場”では、マスターの奥さんが珍しく狼狽していた。
「ああ、よかったノワルーナさん。アンタが来てくれて助かったよ。知ってるだろ、うちのモモコ。あの子が帰って来ないんだよ」
「モモコが……」
「ああ。店の方は手伝いの子たちが来てくれてなんとか回ってるけどね。そんなことはどうでもいいんだよ。あの子が心配で私ゃぁ、オムレツも満足に焼けないんだ! 確かに最近ちょっと元気がなかったけどね。仕事をサボって急にいなくなるような子じゃないんだよ、あの子は! アンタも知ってるだろ? もう日が暮れてからずいぶん経つんだよ?」
「落ち着いてください、奥さん。どこか心当たりは――」
ノワルーナがそう言ったか言い終わらないかの内に、酒場に一人の少年が駆け込んできた。
「ノワルーナさん?!」
「君は……」
「先輩にお世話になってるショウと言います! あの、オオカミのモンスターをテイムして来たんで、この子たちに先輩の、じゃなくて! モモコ、さんの……、匂いを辿って貰おうと思って!」
「……そうだな。それはいい考えだ」
自警団としては、一般の市民の帰りが遅いからといって、すぐに大規模な捜索に乗り出すわけにはいかなかった。
特にモモコは年頃の女性だ。客観的に見れば、魔がさして仕事をサボり遊び歩いている可能性も充分にある。もちろん悪い男に襲われた可能性も高いが、どちらも日常茶飯事のこの世界で、町娘一人の帰りが少し遅いくらいで、大規模な捜索をすぐに行うことは普通ではなかったのだ。
その上、彼女は自警団トップのノワルーナの知り合いだ。下手に動けば、後々職権乱用だなんだと問題になりかねなかった。特にノワルーナは女性ファンが多い。女性関連のスキャンダルになれば、自警団の信頼問題にまで発展しかねなかった。自警団最強のノワルーナの問題は、自警団内のいざこざの引き金にだってなりかねない。そうなれば、インテラムナの町の危機にさえ繋がる。
それでも、ノワルーナは最終的に、そのような理由でモモコを見捨てるような男ではなかった。しかし、今わずかな躊躇がそこにあったのも事実である。
「ありがとう、ショウ。行こう」
「よろしく頼んだよ! 二人とも……!」
心配そうに声を張り上げる奥さんに、ショウは精一杯の強がりで笑ってみせた。
「はい! 先輩は僕が必ず助けてきます!」
「ノワルーナさん、実は……」
酒場の外に出ると、ショウは声を潜めて言った。
「なっ、ノワルーナじゃねぇか! おい、ショウ、てめぇ!
そう声を荒げたのは、チョコレート屋のテオだった。
「殺される?」
「ちょっと、テオさん! 声が大きいですよ! ノワルーナさんは先輩の知り合いだか」
「御託はいい! てめぇもモモコを助けてぇんだな?! なら連れてってやる。てめぇがいれば百人力なのも事実だ。これを見ろ」
そう言ってテオは、一枚の紙をノワルーナに見せた。
「……これは」
*
「てめぇがモモコかぁ」
突然入ってきた大男の怒気をはらんだ声に、私は縮み上がった。
どうやら私はあのゲミニ団に捕まってしまったらしいんだけど、幸いまだなにもされていない。目隠しされて乱暴に腕を掴んで引っ張ってこられたけど、大人しく言う通りにしてたからか、だいぶ歩かされたくらいで済んでいた。でも……。
「安心しろ。すぐにお前をどうこうするつもりはねぇ……」
ヒゲ面の大男は私の目を見ようとはせず、せわしなく視線を動かしながら言った。
「テメェはテオとかいう野郎をおびき出すためのエサだ。あの野郎……。バレンタインをやるとか言いやがってんだってなぁ? ァア?!」
私は恐怖で身を縮めつつ、大男の言葉が引っかかって聞いてみた。
「あっ、あの……。あなたもバレンタイン、嫌いなんですか?」
「ァア? ……悪いかァ!」
大男は鼓膜が破れるんじゃないかってくらい大きな声で怒鳴って、私が入れられていた牢屋の一部を粉々に粉砕した。素手であの威力、何かのスキルだろうか? それよりもこの人、あの口ぶり、やっぱり転生者なんだろうか……。
私は恐怖で若干震えながら、勇気を振り絞って言ってみる。
「……私も、私もです!」
「ぁあ?」
「私もバレンタインなんて大っ嫌い。大っ嫌いです! チクショー! バレンタインの馬鹿野郎!」
一度言ってみたら、私の中に押し込まれていたもやもやが噴き出すみたいに止まらなくなって、恐いのも忘れて叫んでしまった。
「あんなイベントなくなればいいのに! なくてよかったのに! テオのヤツ! 大体ムカつくのよアイツ! いつもいつもなんだお前かって! 揚げ句、アイツのせいで私攫われてるじゃない! ああ、もう! バレンタインなんか中止よ中止! なくなっちゃえ!」
「おっ、おう……」
大男はあっけにとられた様子で私を見下ろしている。
でも、なんだろう。叫んでちょっと落ち着いたら、今度は急に泣きたくなってきた。恐いし、余計に……。
「ごめんなさい。でも、私のせいなんです。私がバレンタインとか言っちゃったから……。ごめんなさい……」
ああ、だめだ。私の心はもう限界だ。色々重なって……。
私は泣き出してしまった。
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