#1 【ごめんなさい】悲しいお知らせがあります

 ――これは、夢?


 そこは、どこかの学校の校舎裏。

 男子生徒と女子生徒が二人きり……。なんだか二人とも緊張してるみたい……。

「あっ、あのっ!」

 顔を赤らめた可愛らしい女の子が、両手を後ろに隠して、勇気を振り絞るように声を張り上げた。

 こんなベタな展開ほんとにあるのか知らないけど、これってもしかして、告白?

「今日、バレンタインデーでしょ?」

「おっ? うっ、うん……」

「だから……、その……えっと……。私と、つき合ってください!」

 一生懸命さいっぱいの女の子の告白。なんだか全然知らない子なのに、応援したくなる。

「……おっ、俺も。俺も、つき合って欲しかった」

「……!」

 女の子の顔が、ぱぁっと明るい笑顔になる。

 やったね! その可愛い笑顔に、私までなんだか嬉しくなる。

「よかった……。私、私ね。今日のために、頑張ってチョコ作って来たの!」

 そう言って彼女は、背後に隠していたチョコを男の子に向ける。

「私の、私の……、私の手作りのチョコレートランス! その胸で食らうがいい!」

 女の子は突然、手にした長い得物で男の子の胸を突いた。

「……」

 うずくまる男の子。唖然となる私。

「もう終わり? 楽しみにしてたんだけどなぁ、君との突き合い……。これでお――っ?!」

 女の子の言葉がそこで止まる。

 その手にした長物、チョコレートランスの切っ先、それがドロドロに溶けてなくなっていたのだ。

「悪いな。そのチョコレートがウマすぎたもんだから、俺の魂が熱くなりすぎて、その切っ先、食っちまった」

 男の子は立ち上がりながらそう言った。

「ふぅん、やるじゃん」

 女の子はそう言うと、可愛らしいぷるっとした唇の隙間に素早くチョコレートランスの先端を通らせる。

 すると、その切っ先は再び鋭利な刃へと変貌していた。

「この一瞬で、歯を使って研いだのか……」

「うん。せっかくの君とのお突き合い、刃こぼれなんかで終わっちゃったらもったいないでしょ? この日のために、いーーーーーーっぱい練習したんだから。私のこと、満足させてよね?」

 女の子の小悪魔な微笑みに、男の子は不敵な笑みで応える。

 そんな男の子に、女の子は問う。

「で、君の武器は? なにで私と突き合ってくれるの?」

「俺の武器は、コイツだ」

 男の子は空っぽの両手を示してから、右拳で左手の平を打ち、両の拳を握って構える。

「……まさか、素手でやる気?」

「ああ。この身一つで突き合うが俺の流儀! 食らえ、俺の正拳突き!」


 ――って付き合い切れるかァ!


 私、モモコは大きな声を張り上げて飛び起きた。

 窓から差し込む日差しでうっすらと明るい、小さな私の部屋。

 ここはウンブリアン地方のインテラムナという町にある、“陽気なジョニーの酒場”の二階だ。私はここで、住み込みで働かせて貰っている。

 ベッド二つ分くらいの小さな部屋だけど、今世こんせでは私物なんてほとんどないし、何より家賃がタダでまかない付きなのが美味しい。

 トイレはお店のと共同だし、お風呂は歩いて十五分の公衆大浴場まで行かなきゃだし、薄れつつある前世の暮らしと比べたらお世辞にもいい暮らしとは言えないけれど、それでも今の方が充実しているように思える。

 ブラック企業で性格の悪い上司たちと朝から晩まで働いて、ネット配信だけを心の支えに生きていた前世とは大違いだ。今は毎日が充実してる。

「朝から元気だねぇー、モモコちゃんはー! そろそろご飯できるよー!」

 階下から奥さんの大きな声が聞こえる。

「ごっ、ごめんなさい奥さん!」

 私も声を張り上げて答えると、急いで着替えてお店に下りた。

 お客さんがまだ入っていない酒場ではちょうど、奥さんがブランチのためのウンブリアン・オムレツを焼き上げたところだった。

「……おはよう」

「おはようございます!」

 ぼそっと挨拶をしてくれたのは、ここのマスターのジョニーさん。いつもポーカーフェイスでほとんど喋らないから、何を考えてるのかイマイチわからないけれど、たぶんとってもいい人だ。

「さぁ、座んな。ちょうどタマゴが焼けたところだよ」

「ごめんなさい、ギリギリまで寝ちゃってて……」

 私の分のパンとホットミルクが配膳された席に着き、私は謝る。

「いいのいいの、昨日も忙しかったからねぇ。その分、夜はたんと働いて貰うからね!」

「はい! ……わぁ、美味しそう」

 オムレツから香り立つ、オリーブオイルの香りが鼻孔をくすぐる。

「さぁ、召し上がれ」

「はい! いただきます!」

 さっそくオムレツをナイフで切り、一口ほおばる。この季節に奥さんが作るオムレツには、旬の葉物野菜が入っていることが多いんだけど、絶妙なタイミングで入れ分けられたそれらは、シャキッとした食感で口の中を楽しませたかと思うと、しなっとなるまで吸った旨味をじゅわっと炸裂させたり、とても楽しい味わいになっている。

 これだけで、ちょっと固くぼそぼそとしたパンが三個も食べられてしまう。ここに来るまではいつもホットミルクで流し込んでいたパンが、嘘みたいに美味しく思えるんだ。

「モモコちゃんは本当に美味しそうに食べるねぇ。作り甲斐があるってもんだよ」

「……」

 豪快な笑顔でそう言った奥さんを、ジョニーさんが静かに見る。

「なんだいアンタ。アンタの気持ちは言われなくても少しはわかるから安心しな。少しだけだけどね」

「……」

 ジョニーさんは、微笑みさえもどこか豪快な奥さんの言葉を聞くと、また静かにオムレツを食べ始めた。なんだかほほ笑ましい夫婦だ。

 ますます食が進んでしまう。私はここに来てから少し太った、……気がする。気のせいだけどね。たぶん……。

「……あの、奥さん。オムレツ、まだ残ってたりします……?」

「あいよ。そう言うと思って、もう半人前用意してあるよ」

 奥さんは笑顔で私の空っぽのお皿をつかむと、調理場へ向かった。


     *


 食後の密いりホットミルクで一息ついた後、私は白い息を吐きながら身を縮こめて買い出しに出かけた。

 買い出しと言っても、食材のほとんどは奥さんが自分で直接選んで仕入れるので、私は主に日用品や嗜好品、ちょっとした食材を買いに行く。

「あいよ、いらっしゃい! ってなんだい、モモコか……」

「モモコかとはなによ」

 小洒落たお店には似つかわしくない、いかにも江戸っ子って感じの少年に私は言い返す。もちろん、この世界に江戸っ子なんて言葉はないけど……。

 ここは、奥さんが贔屓にしているチョコレート屋さんだ。信じられないけど、この粗野な少年がとても美味しくて見た目もお洒落なチョコレートを作るんだ。本当に信じられない。

「なんだぁ? お前、今すごい失礼なこと考えてねぇか?」

「えっ、嫌だなぁ~。そんなことないよぉー。テオったらー」

「なんだその気持ち悪い口ぶりは。腹立つ奴だなぁ。まあいい。今日は何にするんだ」

 テオに言われて、ショーケースに並ぶチョコレートを見る。この魔法による強化ガラスのショーウインドウは、異世界転生者たちが中心となって発明したものだ。こんな物があるってところからも、テオのお店の繁盛ぶりと実力がうかがえる。

「今日は何がいいかなぁ……。あっ、それ! それがいい!」

「それってどれだよ」

「それはそれでしょ?」

 なんて具合にチョコを選んで買うまでの間、一人もお客さんは入ってこなかった。テオと二人っきりだ。そういえば、最近はいつもこうな気がする。

「はぁ……」

「何よ、ため息なんかついちゃって」

「ぁあ? 最近売り上げが落ちてんだよ。なんでかなぁ、全然チョコが売れねぇんだ……。暑くなる前にもう少し稼いどきたいんだけどよぉ……」

「へー、大変だね」

「ったく、他人事ひとごとだと思ってよぉ……」

 珍しく弱気なテオの顔を見ると、優しい私はちょっとだけ可哀そうだなって気持ちになった。ちょっとだけだけどね。

「私の前世では、ちょうどこのくらいの時期が一番チョコ売れてたんだけどね。たぶんだけど……」

「あ? なんでだ?」

「バレンタインデーがあったから」

 今朝のヘンテコな夢を思い出しながら、私は何の気なしにそんなことを言った。

「ばれんたいんでぇ?」

「うん。基本的には、女性が好きな男性にチョコを渡して思いを伝える日なんだけど。まあ、それは」

「――それだ!」

「えっ?」

 私の言葉を勢いよく遮ったテオの目は、らんらんと輝いていた。

「いいじゃねぇか、ばれんたいんでぇ! 女から男に思いを伝えんのは難しいもんなぁ! そのきっかけにチョコを渡すのかぁ! いいねぇいいねぇ、素敵じゃねぇかその発想は! そうと決まりゃぁ、さっそくインテラムナ・タイムズに公告載せて貰わねぇとな。今からだと……、来月の十日。じゃはえぇか……。十三、いや二十日にじゅうにちくらいにしとくか?」

「前世では十四日だったけど……」

「なんで先にそれを言わねぇ! お前らの前世と合わせれば、転生者たちも乗っかってくれるわなぁ! ちとスケジュールがキツイが、そこは踏ん張ってやらぁ! うおぉし! したら帰れ帰れ! ……いや、色々聞きたくなるかもしれねぇな。やっぱそこに座んな! ほら、今ホットチョコれてやっから!」

「はっ?! 勝手に決めないでよ。私夕方からお店あるし、早く帰んなきゃ」

「遠慮すんなって、ほら。まだ時間あんだろ? 帰りは馬出してやっから。チョコサービスすりゃ、奥さんも喜んでくれんだろ? ほら、チョコケーキも出してやっから。ゆっくりしてけって!」

「はぁ……」

 私は大人しく席に着く。まあ、テオのチョコはすごく美味しいし。タダで食べられるなら、悪い話じゃない。


 でも――。

 前世で毎年バレンタインデーの度に、大量の義理チョコを用意して配った、職場での苦い記憶がよみがえる……。

「はぁ……」

 もし、これで日本式バレンタインデーがこの世界にまで定着しちゃったら……。

 私はとんでもないことをしてしまったかもしれないと、頭を抱えたくなった。

 みんな、ごめんなさい。

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