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まずい。
聞かれてしまった。
「ちっ、違うの!い、今のは、別に、そんな意味じゃなくて……」
後ずさりしながら必死に言い訳を考える。
忘れかけていた汚らしい孤児院と裏路地のゴミが頭をよぎる。
ところが先生は慌てる私を笑ってなだめた。
「大丈夫ですよ。なにもこの炎で燃やしてやろうってんじゃありませんから。ひとまず話を聞いてください」
先生はこちらに歩み寄って、手のひらの炎を私にかざした。
「これ、何が燃えてるんだと思います?」
「……え?」
「燃焼の三要素、今日習いましたよね。酸素と点火要因はともかく、可燃物はどこから来ているのでしょう?」
肩透かしをくらって思考が止まる。
とりあえず、すぐにでも破門になるわけではないらしい。
わけもわからぬまま、とにかく問いに答えようと先生の炎をじっと見つめる。
分厚く柔らかい手のひらから少しだけ浮いたところを根っこにふわっと炎が灯っている。
そこで何かが燃えているようには見えない。
「これは……ガス?空気中の水素とか、可燃性の気体を集めて燃やしてるの?」
「はい。それが現在最も有力な説ですね」
「説……ってことは、実際何なのかはわかってないの?」
「はい。さまざまな仮説はありますが、何かに引火させる場合を除いて、魔術による燃焼の際に何が燃えているのかは謎のまま。すなわち、この現象は自然科学では説明がつかないのです」
「へえ……」
先生は拳を握って火を消した。
「現象の理由はおろか、その基本的な仕組みさえまるで説明がつかない。それなのに私はご覧のとおり、何不自由なく使えています」
「……何が言いたいの?」
「この世界には『バカみたいな』ことが少なからず存在するということです。思想上の問題ではなく、正真正銘、実際的な現象として」
その手に促されて立ち上がる。
私を連れて先生がゆっくりと歩き出す。
「魔法の自然科学的解釈はこれまでも幾度となく試みられてきましたが、完全な理解には至っていません。これは私の直感ですが、おそらく未来永劫不可能でしょう」
意外だった。
何だって知っているんじゃないかとさえ思っていた先生の口から不可能の四文字が紡がれるなんて。
「しかし、どう
「それが、現代魔法学の二大流派?」
「その通り。理解できないものを理解できないままに、ヒトにとって便利な部分を抽出し利用しようとする者と、理解できないなりにそれぞれの感性でその核心に近づいてみようとする者に分かれたわけです。一般に前者は支流、後者は本流と呼ばれますが、あくまでもこれは魔法に対する態度の違いで、そこに本質的な優劣はありません。結果的に、扱える魔術の強さは変わりますが」
「……でも私、さっき、バカみたいだって」
「それがいいんですよ。気がつきませんか?支流でも本流でもない、もう一つの立場が考えられることに」
「どういうこと?」
「魔法を、いやこの世界そのものを完全に理解し尽くそうとするヒトたちです。何かの手段としてではなく、ただ純粋に、そして取り憑かれたように全てを知りたいと願う者が、いつの時代にも少数ながらいたようです」
先生は顎に手をやって考え込むような仕草をした。
「彼らが具体的に何を考え、どのような訓練を積んでいたのかは私もよく知りません。彼らは文献をほとんど残さなかったものですから。……しかし、彼らが最終的にどういう道を進んだのかは、彼らの周りにいた人々が伝えています」
「その人たちはどうなったの?」
「想いを遂げられなかった者は自ら命を絶ちました。それほどまでにわからないことが悔しかったのか、何か別の要因があるのか、真相は本人のみぞ知るところですが、少なくとも周囲の人間には気が狂った挙げ句自殺したように見えたそうです」
「そんな……」
「一方で、想いを遂げた者たちは、世界と一つになりました」
「世界と、一つに?」
「行方不明になったのです。二度と帰ってくることはなく、彼らの痕跡はおろか遺体も見つからなかったそうです」
先生は急に表情を緩めて私に笑いかけた。
「ところでソフィアさん、あなたはどうしてこのバカみたいな訓練を辛抱強く受けるのですか?」
「えっ?えーっと……」
それらしい答えを探す私を片手でさっと制して続ける。
「奴隷や娼婦になるのが嫌だから、魔導師になってもっと良い暮らしをしたいから……おおかたそんなところでしょう?」
「うぐっ……」
「それでいいんですよ。先程お話ししたように、魔法の世界に頭から飛び込むことには大きな危険が伴います。むしろあなたぐらいの心意気で臨んでくれるのがちょうどいい……。まあとにかく、バカみたいなことをやろうとしているんですから、そんなに気張らずがんばりましょうってことです。さあ、リベル君のところに戻りましょうか」
その背中から感情を汲むことはできない。
「……ねえ先生」
「なんでしょう?」
「じゃあ先生は、どうしてそんなバカみたいなことを私たちに教えてるの?」
私は今まで、先生は単に学術的な喜びやある種の使命感から魔法を教えているものと思っていた。
先生の魔術の腕前は誰もが欲しがるものだろうし、それこそ魔導師として就職すれば金に困ることはないだろう。
それなのに先生は自ら理解できないと言うものを研究し教え続けている。
いつか言っていた、教師ほど割に合わない仕事はないと。
じゃあどうして?
「……私も捻くれ者でしてね」
先生がにこっと笑って私の肩に手を添える。
「耐えられないんですよ、自分の力とは無関係に落ちぶれていく人間を見るのが。たとえ自分が裕福になっても、そういうのを見るたびに胸糞悪くなってるようでは人生楽しめませんよね?だから私は、私が幸運にも授かったこの力を使って、一人でも多くの子どもに人生ひっくり返してもらいたい、いやひっくり返すところを見せてほしいんです。もちろん、できることなら魔術を正しいことに使ってほしいとは思いますけどね」
「先生……」
「そんなしんみりしないでくださいよ。こんなの私の自己満足です。本当に孤児を助けたいなら孤児院か何かを開きます。素質の見えなかった子どもを切り捨てている時点で私は聖人ではありません。それどころか、もしあなたたちが魔術で何かをしでかしたら私はただの罪人です。私はただ、自分のやりたいことをやっているだけ」
先生の言うことはなんとなくわかる。
先生にもいろんな事情があるんだろう。
でもそれだけじゃない気がする。
先生が私たちを育てる理由は、きっと、それだけじゃなくて……。
よくわからない衝動に駆られて何か言おうとしたけれど、先生の言葉に遮られた。
「昔話は苦手なんです。この辺で勘弁してくれませんか?」
「う、うん……」
「それはよかった」
先生はいつもの笑顔のまま、後ろに回って私の背中を軽く叩いた。
「さあ、帰りましょう。リベル君がくたびれちゃいます」
気のせいだろうか、その言葉はいつもよりちょっと温かかった。
私にはそれが、ほんの少しだけ気がかりだった。
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