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先生が言うには、私が先生に拾われてから十年ほどになるらしい。

その間に身体はずいぶん成長したし、基礎体力もついてきているはずなのに、授業が半ばを過ぎるころには毎回息が上がってしまう。

帰る時間は変わらないから、歩くペースを調整して負荷を上げてきているのだろう。

冒険譚によくあるような、気づかないうちに強くなるあれをやりたい気持ちはわかるけど、いつまでも辛さが変わらないというのはなかなかにしんどい。

定期的に成果を感じないとやる気をなくす人もいるのよ。

たとえば、私みたいに。


先生は小川の流れる岩場のてっぺんでようやく足を止めてくれた。

「はあ……はあ……もうだめ、限界……」

へなへなと座り込み、両手をついて肩で息をする私を振り返って、

「今日の目的地はここです。しばらく休憩を取りますから、身体を休めつつ自分の答えを整理してください」

「へーい……」

休憩というのは名ばかりで、お昼寝なんかしている暇は私たちには与えられない。

この時間を使って、歩きながら交わした問答をもとに自分なりの考えをまとめ、筋道立てて説明できるようにならねばならない。

酷使する場所が変わるだけで、授業の間苦行はずっと続いているのだ。

「…………炎、ねえ……」

それとなく高い空を見上げる。

遥か遠くの炎の星は空の真ん中をやや過ぎている。

水の流れる柔らかい音が耳の奥をくすぐって私のまぶたを重くする。

そのうちふっと力が抜けて……。

……いかんいかん。

朝から食べてないせいか、全く思考に集中できない。

水を生成し、温度を下げて自分に浴びせる。

冷たさに身体がぶるっと震え、ほんの一瞬目が覚める。

でも今度はその冷たさが気持ちいい。

けだるさはむしろ強くなって、だんだん意識がぼうっとしてきて……。

「痛っ!?」

頭を押さえて振り返ると、やっぱりあいつが立っていた。

リベルは呆れたように手を振りながら、

「あははっ、オーバーだなあ。居眠りの邪魔をされたぐらいでそんな顔すんなって……ほらよ、お寝坊さんは朝メシ抜きだろ?」

そう言って両手に載るぐらいの布の袋を私に差し出す。

紐を解くと中にはベージュ色の丸っこい実がたっぷりと詰まっていた。

「ゾヤボネの実?」

「そ。あっちのちょっと入ったところに結構できてたから」

「ほほぉ流石はお兄様、よーくわかっていらっしゃる」

ゾヤボネ。

暖かい原生林にまれに自生する植物で、その実はほのかに甘酸っぱく、そしてかなりのハイカロリーだ。

腹に溜まるので栄養補給に向いている。

さっき睨みつけたことも忘れて一心不乱にむさぼると、彼は腰に手を当ててふふっと笑った。

「お前も食うことになると素直なもんだな」

「人間、背に腹は代えられないのよ」


弱い北寄りの風が吹いてきたころ、先生は本を閉じて立ち上がり、眼鏡を外して日向に出てきた。

「……さて、時間ですのでそろそろ答えを聞きましょうか」

身体を起こして座り直す。

その日の問いに対する答えは個別に求められるから、こればっかりはリベルに頼るわけにもいかない。

先生が私と向かい合ってしゃがみ込む。

「ではソフィアさん、炎はどうして燃えるのでしょう?」

まとまってない部分もあるけど、とにかく考えたことを話すしかない。

「えっと……燃焼ってのは急激な酸化反応なんだよね?」

「はい」

「それで酸化は、腐食とか錆びとか老いとかの、避けようのない衰えや滅び、世の無常を象徴する現象に結びついてる」

これは以前、酸化がテーマだった日に私が出した考察だ。

先生は正しいとも間違ってるとも言わないから、これを前提としていいのかどうかはわからない。

「だから燃焼現象には、そういう無常をあらゆる存在に知らしめる戒めの意味があるんじゃないかって。急速な酸化は運命の縮図で、永遠を求める全ての者に対する警告なのかなって思った」

「なるほど」

「でもそれだけじゃなくて、無常であるからこそあらゆる物事に内在する力、言い換えるなら無常であるがゆえの世界の美しさをも示してる気がするんだよね。炎の熱はその瞬間にしがみつくように存在する万物の有する活力の、光はそういうものの放つ輝きのメタファーなのかも」

私たちの答えを聞くとき、先生はいつもメモを取らない。

それどころか、頷いたり、言葉足らずを補足したりもしない。

ただその赤い瞳をこちらに向けて、私の発する次の一音をじっと静かに待っている。

「神的なものや世界の真理の一端を炎に見出す人がいたのは、炎がヒトの繁栄の主要な推進力であったという以上に、全てに通底する根源的な恐れとエネルギーとを内に秘めているから……そう考えれば辻褄が合わない?」

そこまで話してふうっと息をつく。

「……それが、あなたの結論ですか?」

「ま、こんなところかしらね」

私が今日の成果を吐ききったことを確認すると、先生は目を閉じ立ち上がった。

その笑顔の底の方にどこか残念そうなかげりが見えた。

「いいでしょう。リベル君の答えを聞いてきますから、帰る準備をしててください」

やはりというか、そうだとも、違うとも言わない。

ここが特に素晴らしいとも、ここは直すべきだとも。

それは多分、この問いには答えが存在しないからだ。

気の遠くなるような時間をかけて、人間は数多くの現象を読み解いてきた。

天の恵みを重力に耐えかねた水滴に、大地の怒りをプレート同士の擦れ合いに、自らの愛を生存のためのモジュールに、探究心のおもむくままに分解してきた。

でも私たちが求めようとしているものは、人が「科学」と呼ぶその営みから一歩外れたところにある。

私が思うにたぶんそこにヒトは行けない、いや行けないようにできている。

同一直線上にはあるのかもしれないけど、そこには決して越えられない壁がある。

それを無理にこじ開けようと私たちがいくら考えても、浮かび上がるものはあまりにも多義的・多面的で、砂や霞を掴むがごとく、この手には何も残らない。

だから私の導くものはどれも正解であり、同時にどれも間違いなんだ。

わかってる。

それに挑むのが魔導師で、挑んだ結果が今の魔法だ。

だけど私には飲み込みきれない。

壁の向こうに飛び込んでいけない。

前触れもなく言葉が口からこぼれ出る。

「……バカみたい」

そのとき、じゃりっと音がした。

大きな陰が私を覆う。

恐る恐る振り返ると、リベルのところに向かったはずの先生が、炎を片手に立っていた。

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