彼女のために三人が死んだ

本懐明石

事件後の一幕

 空気清浄機のモーター音が静かに鳴っている。

 部屋の隅に在るスロットマシーンが放つ、妖艶なネオンライトだけがホテルの一室を薄暗く照らしており、隣で仕切(しきり)は言う。

「死にたいな」

 死にたくなるほどに退屈な行為だった、という意味ではない。

 彼女一流の希死念慮は、時も場所も無関係に投げ出されるのだった。

「…………」

 無言で返しつつ、ベッドから体を起こす。

 ベッドの頭にある棚にはデジタル時計が置かれていて、時刻は夜中の二時を過ぎようとしていた。

「みんな、先に死んじゃったね」

 虚ろな目で天井を仰ぎながら、仕切は言う。

 僕たちの所属している、たったの五人で構成された小さなサークル。

 その内、僕と彼女を除く三人は、各々の方法で自死を死に方に選んだ。

「一矢(いちや)、二見(ふたみ)、三河(みかわ)…………。みんな良い人だったのにね」

 汗が渇いて冷えた体を温めるために、仕切は掛け布団に口元まで埋まる。

 五人の中で、最も顕著に希死念慮を強めていたのは仕切だった。

 大学に入学した不安感、息も詰まるような孤独感…………家庭環境の悪化、将来への絶望…………バイト先でのハラスメント、それに付随するストレス…………その他さまざまの要因のいずれか、もしくは全てが彼女の小さい背中に圧し掛かっていた。

 それを三人は、各々の方法で解消しようとした。

 仕切の希死念慮に対して、一矢は真摯に取り組み、二見は頭ごなし式に否定し、三河は仕切の精神状態が元に戻るまで絶縁することを宣言した。

 しかし、その三者ともが失敗に帰結した。

 一矢は持ち前の真摯さゆえに希死念慮の影響を一等強く受けて、真っ先に自殺した。

 二見は希死念慮を否定し切れず、逆説的に希死念慮を肯定してしまい二番目に自殺した。

 三河は仕切を見捨て切れず、最終的に仕切を構ってしまい、彼女の希死念慮に影響されて三番目に自殺した。

 それだけでもないのだと思う。

 二見は一矢の自死に影響され自殺し、三河は一矢と二見の自死に影響されて自殺をした……そういった側面も、少なからずあるだろうとは思う。

 いずれにせよ、三人は死んだ。

 僕と仕切だけが、彼らの死から三ヵ月を経てもなお生き永らえていた。

「私のせいだよね」

 仕切は僕とは反対側に寝返りをして、そう呟いた。

「そうだね」、と僕は言った。



 次の朝に目覚めると、仕切はバスルームで死んでいた。

 携帯していたカッターナイフで手首を深く突き刺し、それを湯の張ったバスタブに浸けたのだろう。全裸のままバスタブのすぐ隣でぐったりと座り、左手にはカッターナイフが死後硬直で固く握りしめられていて、右手の浸かったバスタブには水っぽい赤色のぬるま湯が並々と溜められていた。

 それを見た瞬間に僕は死のうと思ったのだが、そこから記憶が欠落している。

 どのように死のうとしたのか、まるで思い出せない。仕切に倣って手首を切ったのかも知れないし、ホテルの窓から飛び降りたのかも知れず、彼女のカバンから各種毒物を取り出してちゃんぽんにしたのかも知れない。

 いずれにせよ確かなのは、僕は死のうとしたが死に切れず、手術室に運び込まれていて何等かの治療を受けているということだった。

「…………」

 意味の無いことだ、と思う。

 僕自身が服用したのか、或いは患者の苦痛を軽減するために薬物が投与されたのか知らないが、僕は現実を見失うほどの幻覚作用に苛まれていた。

 看護師なのか医師なのか判然としない彼のことが時おり巨大なクラゲのように見え、天地が逆転したような気分がして上空に落ちそうになり、「太陽が自分の真横に存在する」という倒錯的観念が不意に浮かんで来る、その目まぐるしい思考・知覚が転換する中央で、僕は呆然と寝そべっている。

 ……どうにでもなってしまえ。

 こうなってしまえば死ぬ以外にない…………死に切れなかったのは完璧に僕の落ち度だが、ここまでされて生きようとは思わない…………きっとこの先僕が生き延びたとしても、何等かの後遺症があるに違いないのだから…………と、いよいよその気持ちが高まって来て、最後の力を振り絞りつつ舌を噛んで絶命しようとしていた時。

「死んじゃうの?」

 という声がして、僕はビックリして手術台から起き上がる。

 といっても、幽体離脱式の起き上がりである。

 僕の体は依然として手術台に横たわったまま、肉体的な不調から解放された霊体がガバッと起き上がり、手術台の上に立つ。

 いつの間にか、手術台の周囲は上下左右、四方八方の常闇。

 そして僕の目の前に、白装束の仕切が俯きつつ、簡素なパイプ椅子に座っていた。

「…………」

 この空間はいわゆる三途の川なのかも知れず、或いは幻覚作用のもたらす幻覚世界なのかも知れない。

 ただ、いずれにせよ変わらないのだろうな、とも思う。

 すなわち、現世で知覚される情報をことごとく排除し、全く別世界の空間に身を漂わす……という仕組み自体は同じなのだから、どちらであろうと大差ないのだ。

 そして、いずれにせよ彼女の手を取った時点で、僕は永久に死ぬことになるのだろう。

 仮にこれが幻覚作用なのだとしても、生を諦めた時点で僕は自動的に息絶える……という予感が、半ば直感式の具合にしていた。

「…………」

 この時、僕は自分が何者なのかが分からなくなっていた。

 男かも知れず、女かも知れない。大学生かも知れず、サラリーマンかも知れない。兄弟が居たような気がするし、姉妹が居たかも知れず、いずれも居なかったかも知れない。

 僕は僕かも知れないし、あるいは僕以外の全てかも知れない。

 そのように思っていると、僕の体は自然と動いていた。

 ある種、無我の境地。

 そのような精神状態になり、いよいよもって煩雑な思考回路から解放される……すなわち、僕自身が生きたいのか、それとも死にたいのかといった自問自答を、極めて明快な頭で考えると同時に結論して、手術台から降りたのである。

 そして仕切の前まで歩くと、彼女のつむじを見下ろして言う。

「死なないよ」

 すると、彼女は俯いたまま立ち上がり、「また後でね」と言い残して暗闇の中に溶け消えた。



 それから数日が経ち、僕は退院する。

 幸い後遺症みたようなものは無く、自殺未遂の以前から心身ともに変化は無かった。

「…………」

 結局僕は、仕切を受け容れることは出来なかった。

 真摯に向き合わず、かと言って否定もせず、別段逃げたりもせずに、しかし受け容れもしない。

 ただ横に居て、見ていただけだった。

 そうしていた僕だけが、のうのうと今日を生きてしまっている。

「…………」

 もう少しだけ、生きてみようか。

 そう思いながら僕は、手に持った柄杓でバケツから水を掬い、墓石の頭に掛けた。

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