だから、“FARAWAY FRIENDS”を歌いたくなかった。

津蔵坂あけび

だから、“FARAWAY FRIENDS”を歌いたくなかった。

 二〇二一年、二月十四日、午後三時。東京都秋葉原。

 二人組アイドルユニット、“はーとのパッケージ”(通称、はとパケ)のメンバー、千田ちだサヤカは開場の二時間前のこの時間に、ライブハウス秋葉原NESTの楽屋口を叩いた。

 ドアが中から開けられる。現れたの中年の男は、このライブハウスの支配人だ。


「よろしくお願いします」

「よろしく。無事にバレンタインライブ開催できて良かったね」

「本当に、ぎりぎりまで不安でした」


 マスクの内側で苦笑いを浮かべるサヤカ。

 “無事に”とはいうものの、昨年の二月から流行し始めた新型コロナウイルスの影響で、秋葉原NESTには、キャパの半分である百二十人までしか観客を入れることができない。一月七日に再度発令された緊急事態宣言の影響で、午後八時を超えての営業もできない。


 きっと、支配人もマスクの内側では苦い顔をしている。そう考えてしまわざるを得ない現状だ。

 楽屋に入ると、一足先に会場に着いていた吉田よしだルリが、毎年バレンタインに開催するワンマンライブで恒例のギフトチョコをラッピングしていた。観客一人につき一個を入場時に渡すため、チケットの枚数+予備の分、この日は百三十袋をラッピングする。昨年ラッピングした個数の約半分ほどだ。


「私も手伝うよ」

「半分ずつやる予定だったじゃん」


 からかい合うけれど、こうして二人で作業していると、思い出してしまうことがある。


「去年はエリナもここにいたんだよね」


 脳裏にふと過ぎる程度だったのが、ルリの一言で昨年の七月まで所属していた元メンバーの小山こやまエリナの面影が、楽屋に浮かぶまでになってしまう。ライブの前に感傷に浸るのは良くない。首を左右に振ったところで、ルリから思ってもみない提案を受ける。


「サヤカ、今日、あの曲・・・やらない?」


      ***


「私は、はーとのパッケージを卒業しようと思います」


 五月某日、運営の神代かみしろきよしから「大事な話がある」と呼び出されたオンライン会議。神妙な面持ちのエリナの口から出た言葉に、サヤカもルリも凍り付いてしまった。

 その数秒後、思いあたる節はいくつかある。と、サヤカは気づいてしまう。四月に発令された緊急事態宣言の影響で、事務所から活動制限が通達され、ライブやレッスンはおろか、メンバーが集まることすら叶わなくなってしまった。そんな中サヤカの発案で、互いの安否を確認して意識を高め合う目的で、数日ごとにビデオ通話で連絡を取ることにしていた。SNSを利用した連絡も、毎日のように行っていた。ここのところ、そのどちらにおいてもエリナの積極性が感じられなくなってしまっていたのだ。

 コロナ禍での活動制限の中、芸能活動を続けることに疑問を感じて引退を決意する。アイドルだけでなくシンガーソングライター、グラビアアイドルに舞台女優と幅広い交友関係のあるサヤカは、そういった例にいくつか触れてきた。けれど、いざ、それが自分が所属しているグループで起こってしまうことは想像ができなかった。

 

「三年前にアイドル活動がしたくて上京してきて、そのときから、母親は反対していたし。やっぱり、いつまでも続けられる仕事ではないから。今、コロナが流行って、言ってしまえば、自分が何をやっているのか分からなくなってきちゃって――」


 活動ができなくなって、収益が減ったこと。ちょうど大学生活最後の年になること。親が医療関係で仕事をしていること。いろいろなことが重なって決断に至ったという。

 自宅で小声で歌ったり、たどたどしい手つきでギターを弾いてみたりした企画を動画サイトにアップロードするなどのオンラインでできる活動はそれで楽しかった。リアルタイムでコメントを貰いながらトークをしたり、歌ったりもしたけれど、そのどれもが実際に観客を入れてライブをしたときの高揚感とは程遠いものだった。

 彼女が述べた自粛期間中に募らせてきた焦燥感には反論する言葉もない。


「私も本当は辞めたくないし、ライブはまだまだ全然し足りない。でも、こんなことになっちゃって。ファンの人とかと話したら、うつるわけじゃん。マスクで防げるかもしんないけど。それで観客から、コールとか、熱狂とか、そういうのがまた伝わってくるのに何年もかかるかもしれないし、自分たちもいつコロナになるか分からないし、サヤカやルリだとか、神代さんとか、レッスンの先生とかいろいろお世話になってる人に、うつすかもしれない。そう考えたときに、それ全部背負って、親からの目もあって、これ以上続けられるか考えて。――私、そこまでの覚悟・・、あるのかなって」


 語りが進むにつれ、エリナの声はかすれていき、ついには彼女の頬を、たらり、と涙が伝った。彼女とて生半可な気持ちで卒業を決意したわけではない。それが分かって、ついにサヤカは、彼女を引き留める言葉を見失ってしまった。「感染者が減って、また必ずライブができるようになる」としか考えていなかった自分を恥ずかしく思ったぐらいだった。

 

「すぐに卒業するわけじゃないよ。それは流石にファンの人にも失礼だし。何か月か期間を置いて、その間にオンラインの公演にはなるだろうけど、ちゃんと卒業ライブもやってからお別れしたい」


 感染者が減って緊急事態宣言が解除されれば、スタジオやライブハウスを使用して収録・配信ができる。そうしてオンラインでの活動を何回かやった後に正式にグループを卒業する計画だそう。

 

 あと二ヶ月と経たないうちに、エリナがいなくなってしまうことが決まった。

 それからのエリナの進化は凄まじいもので。オンライン企画にも積極的に参加するようになり、韓流男性アイドルグループのダンスを数日で完璧にマスターした動画が送ってきたこともあった。画面を通して輝きを振りまくエリナのことは、素直に喜ばしい。けれど、「活動に迷いがなくなったのは、卒業が決まったからだ」とも思えて、サヤカは複雑な心境だった。


 そうしているうちに、二ヶ月なんてあっという間に過ぎていく。ついに、卒業記念公演である無観客配信ライブ当日になってしまった。この日のエリナのパフォーマンスは、段違いだった。ずば抜けた身のこなしと、一切ブレない歌唱、それを両立させるだけでも相当な力量が必要だ。それに加えて、事あるごとにカメラに目線を送り、配信を見ている人に向けてのアピールを欠かさない余裕も感じられた。

 エリナ最後の晴れ舞台に、配信サイトのコメント欄も、大いに盛り上がった。“はーとのパッケージ”の持ち曲、全二十三曲を披露し終え、後は、オンライン特典会のみとおもわれたところで、サヤカとルリによる、エリナに捧げるシークレットステージが始まった。


 そこであの曲・・・、“FARAWAY FRIENDS”が披露された。


     ***


「あの・・・って、あれから一回も披露してないじゃん」

「ごめん、びっくりさせて。ほら、今日、チケットを取りたくても取れなくて、仕方なく配信ライブのチケットを買った人もいっぱいいるみたいで。そういう人に響く曲だと思うから」


 嫌いな曲ではない。けれど、歌いたくはなかった。

 ルリと一緒に初めて作詞に挑戦した曲だから、愛着がないわけではない。必ずお菓子を連想させる言葉を入れるという、それまでのルールも無視している上に、サウンドの雰囲気も異質。振り付けも入っていない。さまざまな理由で、エリナの卒業公演最終部のシークレットステージで披露されてからは、封印状態にある曲だ。それをまた歌うなんて、思ってもみなかったことで、少し怖くもあった。

 神代が音響スタッフとして会場にいるので、セットリストに融通が効くとはいえ、直前のタイミングで申し出たところで受け入れてもらえるのか。ルリからの提案が却下されれば、歌わずに済むかもしれない。とも思いかけたところで、神代から快諾された。


 そして、いよいよ、ワンマンライブが開演となった。SEが会場に流れるとともに、フロアにクラップが響き始める。感染者を出さないため声に出せずに心の中に秘めた歓声が、伝わってくるようだ。去年と比べると、観客の入りは疎らではある。それでも熱量は変わらない。


「皆さん今日は、本当に来ていただいてありがとうございます。私たち、“はーとのパッケージ”は、毎年バレンタインに、ここ、秋葉原NESTでワンマンライブを行ってきました。去年は最大キャパの二百三十人も少し上回って、本当にみっちりでライブをやりました。今年はそれが叶わなくて、残念な気持ちもあるんですけど、さっき配信の視聴人数を見ていたら、百八十六人も見てくれていました。今ここにいる人数と足したら、過去最大の規模です。――これほど嬉しいことは、ありません。

 だから、今、ここにはいないファンの方々に向けても感謝を届けるために、ルリと一緒に初めて作詞した歌を歌います」


 曲紹介で楽曲を察した観衆が、一瞬どよめいた後に、気まずそうに声を抑える。


「FARAWAY FRIENDS」

 

“遠く遠くに離れていても

 たとえその笑顔 見えない場所でも

 いつもいつでも祈っているよ

 君が笑える世界になるように


 初めて一緒に笑ったこと

 初めて一緒に泣いたこと

 傍にいればそれだけでほら

 物語みたいに綺麗に思えたね


 ずっとずっと同じ時間とき

 重ねていけると思っていた

 人それぞれに人生みちがあるよ

 そんな当たり前忘れてしまってた

 

 遠く遠くに離れていても

 たとえその笑顔 見えない場所でも

 いつもいつでも祈っているよ

 君が笑える世界になりるように


 いつかまたね 分かれ道が

 一瞬交わる交差点

 もし会えたなら手を振り叫ぼう

 だって君のこと忘れはしないから”


 間奏のギターソロが入ったところでサヤカは、泣きそうになった。目が潤んでいるのが見えてしまっていたかもしれない。歌唱だけは、涙声にならないようにしたかったけど、続くルリの落ちサビで、ついに堪えきれなくなってしまった。


 終演後の物販では、何とか元気に笑えるようになった。ファンの人からも「もう聞けないと思っていた曲が聞けて、嬉しかった」と温かい言葉を貰った。

 それでも、曲中に一滴だけ涙を流してしまったことは、悔しかった。あのときの歌は、「エリカがいなくて寂しい」だとか、そんな気持ちで歌ったものではないのに。


「サヤカ、どうしたの?」


 楽屋のソファで俯いていたところで、ルリに声をかけられた。


「いや、泣くつもりじゃなかったのにって」

「サヤカは真面目だね」

「真面目で何が悪いの」

「悪くないけど。気負わなくていいって言ってるの」


 俯いたままのサヤカの眼前に、ルリのスマートフォンが突き出された。画面には、SNSでライブの感想を検索した結果が映し出されていた。所謂、エゴサーチ、略してエゴサというものだ。

 どれも称賛の声だった。その中に、見覚えのある顔を発見してしまう。最初は思い違いだと思った。ファンが、メンバーの写真を拝借してアカウント画像にするなんてよくある話だから。でも文面を見て、思い違いではないと確信する。


“今日、はとパケのライブを見た。なんか上から目線だけど、二人ともすっごく成長していた。もう私は、あんなに歌って踊ったりはできないな。フリ忘れたしw

 またFARAWAY FRIENDSをやってくれるとは思わなかった。最初聞いたときも思ったけど、本当にいい曲。むしろステージから降りたときの方が、響いたかもしれない。ちょっと、もらい泣きしちゃった。やっぱりいいライブするわ、はとパケ。

 落ち着いたら、また生でライブが見たいなあ。もちろんメンバーには内緒だけど。はぁー、資格の勉強頑張ろ٩( ᐛ )و”


 何か反応を残そうか、とも思ったが、そっと心の中に留めておくことにした。


「ほら、もらい泣きしたって」

「ルリ、エリナのアカウント知ってたの?」

「こっそりリストに入れてる。サヤカ、自分からは教えてとか絶対言わなそうだし」


 ルリの言い分は腑に落ちるものだった。伊達に三年以上に一緒に活動しているわけではない。事実、グループを離れてからのエリナを知ることは、怖かった。考えに考えて卒業を決意した彼女とは違って、自分はそこまで深く考えて活動を続けているわけではないから。


「私ね。エリカが言っていた覚悟・・が、自分の中にあるのか分からなくて、エリカのこと思い出すのが怖かったの。ちゃんと、エリカがいなくても、グループとして前進できているのかとか、自分の中で答えが出せなくて。そんなことエリナに知られたら、冷ややかな目で見られるかもって――」


 だから、“FARAWAY FRIENDS”を歌いたくなかった。


 自分で言っていて、バカみたいだった。まるで、エリカのことを信用していないみたいな言い草だから。そんな浅はかな恐怖心を抱いていた相手が、ライブを褒めてくれた。良いグループだと言ってくれた。

 それはサヤカの中で、確かな自信に繋がった。何度も考えていた、エリカが言っていた覚悟・・というものが、自分にはあるのか。ようやく答えが見つけられた気がして。

 エリカが母親から聞かされていたとおり、感染者が減っていた時期は束の間でしかなかった。緊急事態宣言も再発令された。そんな風当たりが強い中で活動を続けることは、苦しい。自分も辞めた方が良いんじゃないか。そう思ったこともある。けれど、その度に衝動的に湧き上がる「諦めたくない」という気持ちで、今日まで走り続けている。それに結果も伴うようになってきた。たとえば、今日のライブを配信の分も合計して、三百人以上もの人に届けられたことだとか。だから、これからもステージに立って、絶やさずに繋いでいかなくてはいけない。それが自分の覚悟だ。

 サヤカは心の中に浮かんだ答えを、強く噛みしめて頷いた。やがて、悪戯っぽい笑みを浮かべて――


「今度、振り付けも入れてみよっか」

「いいね。それ」


 ルリと笑い合った。次に披露するときは、もっと多くの人たちをびっくりさせるんだ。そう胸に誓いながら。

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