ep.02 石橋の上にも三年 そして叩き割る性分

 カクヨムの機能は、大変に便利だ。

 予め、オンライン上で直入力できるプラットホームが備わっており、クリック一つで下書きから保存、加えて、公開日時指定までが可能ときた。


 ルビ設定や強調のための傍点付加にも対応し、段落頭の一字下げも、ボタン一発という懇切丁寧さ。これをユーザーに無償提供しているのだから、本当に驚く。


 ワールドワイドな公開をするのに、もはや、html や CSS、FTP の知識など不要で、書きたい読みたい同志が簡単に集うことができる。なんて素晴らしいんだと、しみじみ思う。

 せっせとwebページを作成して、フリーサーバーにアップロードして、創作系webリングなどをネットサーフして、ちまちま登録していた時代の苦労は、何だったんだろう……と思う次第だ。


 ブログという手段もあったが、として使うには、シンプルさを追求しても、全体の印象がごちゃごちゃとしていて、少々勝手が悪かったと記憶している。


 二十世紀末、学習指導要領として導入された情報リテラシーが持てはやされ、キーボードは「ブラインドタッチが出来てナンボ」、「ソフトウェアは使いこなせて当たり前」という風潮が、余計なプレッシャーを与えた必修科目世代の私にとって、もはや、当時の苦労は懐かしい過去の遺物となった。まあ、それはそれで楽しかったけれども。


 それでも、当時は、まだワードプロセッサーも現役だったなあと回顧する(一応、液晶画面ではあった。今とは比べ物にもならない、モノクロで荒い画素だったけれど)。

 それが、マイクロソフト社のパーソナルコンピューター、ウィンドウズ’95の登場で大きく様変わりし、その後は、しれっとインターフェースがパソコンに移り、大学で文芸部に所属する頃には、マイクロソフトオフィスシリーズのワードが、文書作成の主力になっていた。


 初期の記録媒体は、フロッピーディスク——FD だ。当時の私は、外側ガワのカラフルなFDを集めることに凝っていた(黒歴史)。


 そして、ペラッペラの記録媒体が、突然、不機嫌になり保存を放棄してデータがぶっ飛ぶという悲劇にも、何度も見舞われたことすら、今や懐かしい思い出だ。さすがに、提出期限二日前で、課題の保存データが飛んだ時は、その年次、終わったと思った。


 話が長くなった。


 家庭用パソコンの普及とともに、手書きする機会が激減し、日常の文書入力をパソコンに頼るようになってから、誤字脱字に見舞われる機会が増えた。


 あやまたず、それは、私自身の学識の甘さに所以するのだが、そこは自覚しているため、これだけ、カクヨムが便利な機能を提供しているにもかかわらず、私は直入力という方法を決して


 当然だ。ボタン一発で簡単にweb 公開できてしまう便利機能と、見落とした誤字脱字を世間様の目に晒すリスクは、常に一体だからだ。


 そんなわけで、私は基本、全ての公開作品(未公開も当然含む)は、ローカル保存に徹している。その上で、何度も、作品を読み返しては書き直すという作業を延々、繰り返している。その日書いた作品を、その日に公開することは、まずない。

 書き上げた直後は「よしっ!」と納得しても、翌日に読み返すと、色々とあらが散見される。書き直して、さらに翌日、またしても細々こまごまと前後のつながりが不可解な文章、展開の修正を余儀なくされる。


 直した箇所を、また間違えている、なんてこともザラだ。

 こればかりは本当に、どうしようもないなと自嘲するしかない。


 そうすると、自然とが長くなる。そういう意味において、私の作品には、良し悪しはともかく、フレッシュさというものが足りていないように思う。

 例えば、三千文字未満の掌編作品を公開するにも、早くても三、四日は、かかる。仕上げるのに三、四日ではない。、三、四日は、かかる。執筆日数は含んでいない。

 執筆開始から公開するまでの間、当然、毎日のように文章に目を通して推敲を繰り返すのだが、それでも、まだ見落とすのだ。


 そう。それでも、まだ見落とすのだ、私はっ!

 もう。散々目を通してるのに、何でだよ!

 どこに目を付けてるんだ、己は! 後頭部か、おいっ!


 誤字脱字の発見及び文章の加筆修正をするたびに、そう自責する……。念には念を入れて、再三、確認した上で、ようやく重い腰を上げて公開したあと、公開ページで誤字脱字や展開の脱落箇所に気付いた時には、この愚か者がとそしり、ノートルダムに鳴り響く鐘のごとく、脳内で『ヘルファイア』の大合唱が聞こえてくる(気がしている)。

 余談だが、法の正義と恋愛を拗らせて市街と聖堂さえ焼くことを厭わない系判事(何それ)の拗らせたまま死んでいく様は、嫌いじゃなかった。あんな悪役、書いてみたい。


 話が脱線した。


 掌編でこれなのだから、中編、長編になると、熟成期間がさらに長くなるのは致し方ないことではある。熟成記録を更新中のもので、ゆうに十年を超えるもローカルフォルダに、とっ散らかっているのだ。

 たまにファイル整理をしていると「私はアホなのか」と自問してしまう。自答はしない。アホだと自覚しているからだ。


 そんなわけで、創作の熱意と更新頻度が、著しく釣り合わないというジレンマに陥っている。どうしてこうなった。それが分かれば、苦労はしない。


 これだけ、一発ボタンでお膳立てしてもらっている発表場所に流れ着きながら、石橋を叩いて、叩いて、叩きまくって亀裂を入れていくスタイルは、いやはや、どうして変わらないものか。

 我ながら、七面倒くさい性格をしていると思う。

 このままのペースだと、書きたいものを書き尽くす前に、ババアになって死んでしまう。

 とりあえず、脳みそをあと三つと、腕が八本くらいあったら、あるいは、何とかなるかもしれない。あ、忘れていた。目玉も三対ほど追加したい。


 妖怪か。

 妖怪だな、それは。

 妖怪になれば、何とかなるか。

 よし、どうやったら妖怪になれるんだ。まずは、そこから調べるべきだな。そうだ、妖怪ネタといえば……(以下略)


 こんな感じで、私のノートPCのローカルフォルダは長い年月をかけて、とっ散らかり続け、そして今、一本一本サルベージしながら、手直しと再構成を続けている。そして、続けるそばから、また、とっ散らかっていくのである。


 そんな私の脳内では、今日も、エンドレスな『ヘルファイア』が鳴り響いている……。あの無駄に壮大で、独りよがりな歌詞(原曲は特に顕著)、嫌いじゃない。あんな悪役、書いてみたい。

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