落ちがつかない話

 今、ドクターペッパー知的飲料を飲んでいる。書いている文章がお世辞に上手くないのでおそらく私が知的ではないのだろう。


 しかし、脳にグルコースを提供するという役目はきちんと果たしてくれているようで、文章を書く気にさせてくれたのは事実だ。


 文章が思い浮かぶかということは書く気があるかということはまた別なのだろう。


 エッセイを書き始めて、思っていたほど楽な文章ではないことに気がついた。


 皆が流れるようにエッセイを書いているのを見て羨ましく思って始めたこの文章だけれど残念だが実力不足なのは否めない。


 そして腹が立つことに、mozcはATOKほど賢くない。Linux縛りで書くなんてやるんじゃなかったと思っても後の祭りだ。


 有言実行のためにこれからもfcitx-mozcを使って文章を書いていこうと思うけど、細々したところまでおせっかいをしてくれるATOKに慣れるとやはり少々使いにくい。


 日本人利用者が圧倒的に少ないのだから日本語環境が貧弱でもしょうがないのだろう。


 Linuxの文化圏では『じゃあ自分で作れ』という話なのであるが私はそんなに頭が良くない、小学生の頃必死に本のあらすじを引用しまくって原稿用紙を埋めた読書感想文を提出したような人間に日本語環境を整えろと言われても困ってしまう。


 エナドリを飲んで必死にやる気を起こすのだけれどどうしても思いつかないこともあれば、一つの思いつきからスイスイ文章が進むこともある、私の指はずいぶんと気まぐれらしい。


 どうしても脈絡のない文章になってしまう、ヴォイニッチ手稿のごとく意味不明な文章として後世の人間を悩ませるのではないかと不安になってくる。あれも最近解読されて本当にどうでも言い分だったと判明していたような気もするが。


 カクヨムにもなろうにも天才的な文章を書く人が歩いていると石に当たるレベルでひしめいているので私のような底辺作者は大変に肩身の狭い思いをする。


 文章を書く練習をしているのだけれど、やはり上手くはならないものです。


 最近エナドリを飲むのにハマっています、好きなのはモンスターエナジーのカオス、ジュースのごとく飲めてそれなりに元気が出る、素晴らしいですね。


 エナドリを飲んで眠気を覚ますのに寝るときにはトリアゾラムハルシオンとフルニトラゼパムのカクテルを処方されているというのも少しおかしみを感じなくもないですね。


 日曜日の終わりというのは世界の終末のごとく絶望感があります、ずっと休みならいいのにと思う人も多いはず。世間には働かずに食う飯はうまいかという言葉がありますが、断言しましょう! めっちゃ美味しいです!


 そもそも生きるために仕方なく働いているのに働かなくてもいいならそりゃあ働きたくないですね。


 読者に媚びようかとも思ったのですが、そもそも媚びる読者がいないという悲しい事実に気がついてしまいました、悲しい。


 オチらしいオチをつけることは難しいですね、人生にオチなんてないようにエッセイにオチはなくてもいいという論調を上げたいところです。


 落ちがないのでOSのアップデートを落としたということを落ちにさせていただきましょう、ちなみに山形大学のサーバも落ちてました。

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