第31話 ずるくて正しいコウハイ

「本当だよ。放課後になってから、僕も随分と会長を探したんだけど――まるで見つからなくて。いつも生徒会室にいるはずなんだけど……」

「教室には?」

「いなかった」

「職員室で先生と話してたりとかは?」

「してなかった」

「会長さんは、部活にも入ってないんだっけ?」

「帰宅部だね。生徒会長職だけで手一杯だから」

「ふーん、へー、ふむ……」 


 冷めた目で僕を一瞥して、芽兎の目線はもう一度塩峰の方へ。


「どうですか妹さん、納得していただけましたか」

「さりげなく妹と呼ばないでください。芽汰は事他芽汰の――おにーちゃんの妹であって、塩峰さんの妹じゃないので」

「これは失礼しました。まだこの呼び方は早かったですね」


 塩峰は涼しい顔で、ほとんど難癖に近い芽兎の言葉を受け流す。


「で、芽兎さん、わたしのことを信じていただけましたか?」

「い、一応? おにーちゃんからのしょーげんも取れたし?」

「それは良かったです」

「……っ、ほんとずる……」


 柔らかな笑顔で対応する塩峰と、何故か頬を膨らませている妹。前者は正座であり、後者は腕を組んで仁王立ちという、本当に奇妙な光景だった。


「にしても――本当に会長さんは来ていらっしゃらないんですか、センパイ?」

「うん、来てないね」

「実は前日からセンパイの部屋に泊まりに来ていて、現在進行形で隠しているなんて展開、ありませんよね?」

「そんなことしないよ」

「わたしならやりかねないですが。むぅ、信用しきれませんね……」

「なら何で訊いたのさ……? そして発言の前半部分は何?」


 僕の抗議はほどほどに聞き流して、塩峰の意識は不機嫌気味の少女の方に向けられる。


「前日から我が家に宿泊して、今もお兄ちゃんの部屋に潜伏しているなんて――そんなことありませんよ。というか、あたしが見逃すとでも? 匂いで分かります」

「いもう――芽兎さんがそこまで言うなら、もう何も疑うことはありませんね」

「え、ふぇ⁉ あの、今のわたしことなんて呼――」

「さて、これで疑問などきれいさっぱり解消されました。本当に良かったです。めでたしめでたしハッピーエンドですね」

「あの――」

「ん、何ですか、芽・兎・さ・ん?」

「……………………」


 塩峰空留による、一〇〇点満点の笑顔が生み出す圧力。

 世の中に完璧なモノなど滅多に存在しないからこそ、見る者が感じてしまう多大なプレッシャー。

 端的に言えば、スマイルが怖い。一ミリもブレない表情というのは、それが喜怒哀楽の何を表したところで違和感の塊だった。 


「ああもう、やりにくいよ……」


 顔をしかめて眉をひそめて奥歯を噛んで、マイナスの感情を露出させる事他芽兎。

 対照的に目尻を下げて口角を上げて、プラスのオーラを身にまとう塩峰空留。

 見ているだけで面白くて、まばたきすらも忘れてしまいそう。


「ん、どうしましたかセンパイ?」

「いや、何も」


 何でもない。何もおかしなことはない。最後に幸せな光景を見れて、嬉しかっただけだ。


「ともかく、本当に何もなくて良かったよ……それじゃあ家に戻ろっか、おにーちゃん」

「そうだね、塩峰もウチに――」


 僕がそう切り出した途端、どこからかため息が聞こえる。


「いえ、わたしはいつも通り、ここで待っていますから。いつものように、センパイの家の前で、センパイと一緒に学校に向かうために、センパイのことを待っていますから」


 僕が少し目を離した隙に、不法侵入していたはずの後輩は定位置に立っていた。

 『事他家』と彫られた表札の目の前。腕一本と人差し指を動かすだけで、インターホンを押せる位置。少し声を張れば、リビングや二階にある僕の部屋まで声が届く場所。


 そんな近くてちょっと遠い場所に、少女は移動した。

 気づけば僕は塩峰の方へと踏み出していて、右手も同じ方向に伸びている。

 その光景を見ただろう誰かさんが、またまた深くため息をついた。

 それから、


「まったくもう、ほんとにほんっとうにずるいなぁ。そんなことされたら、芽兎は反対できないよ。頑張る人は眩しくて憎いけど、嫌いにはなれないよ……」


 なんて風に言葉を零した。

 僕は首だけを動かして、一度芽兎の方に振り向く。


『す・き・に・し・て』


 すると、やけくそな口パクがいとも簡単に読み取れた。 

 家族のお墨付きも頂いたことだし、気兼ねなく言うことにしよう。

 毎朝毎朝言おうと思っても、逃げ隠れされてしまうばっかりだったから。


「ねえ塩峰。よかったら、家の中で待たない?」

「お邪魔じゃ、ありませんか……?」

「全然、そんなことないよ」

「ならば――喜んで!」


 一〇〇パーセントを超えた一五〇パーセントの笑みで、後輩は応えた。

 差し出された手を取って、塩峰は僕と一緒に玄関に入る。

 玄関のドアが閉められて、ガチャリと音が鳴る――その一瞬の間。


「ふん。これじゃあ、バグかチートみたいなものだ」


 くぐもった誰かの声が、聞こえた気がした。

 起きてからというもの、黒霧はまだ見えていない。

 不都合が、いないから。


 ずっと見えなければいいのにと、僕はまだ祈っていた。

 覚悟は、ギリギリまで決まらない。

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