第24話 演技と怪童女

 顔の右横に文字通り、か細い足が打ち込まれた結果だ。屋上の床はそこまで柔くないはずなのだが、砂場で遊ぶかのような気軽さ。

 死が近い。目を閉じたくなっても、そんな愚行は僕の心が許さない。


「二度とその話するなよ。怒るぞ。あとワタシが公園で戯れる想像はやめろ」


 幼さと美しさを兼ね備えたおみ足を引き抜いて、柊羽魔は僕に警告した。容姿からはとても想像できない、低く重い声での脅し。

 角度深めに穿たれた穴からは、小ぶりなつま先が引き抜かれて欠片が舞う。

 ビビるな、僕。動揺を見せるな。


「まったく、ほんとにまったく……キミ、本当に壊れたのか? 命知らずにもほどがあるぞ」

「そこまで無謀ではないよ。君があの怪物以外の手段で僕を傷つけるとは、到底思えないんだ。だから、こうやって冗談も言える」


 嘘だ。大嘘だ。指先の震えは握り込んで隠した。


「根拠は?」

「ないよ、勘だ。今までのやり取りを踏まえての、なんとなく」

「なんとなくに命を託すか……中々ワタシ好みにイかれてきたじゃあないか」

「そこまで化け物に言われるとは、心外だな」


 傷ついた振りをして顔を横に向けると、幼女モドキに鼻で笑われる。


「心外? そんなこと、わずかたりとも思ってないくせに」

「何も思ってないわけじゃないよ。どうやったら後輩や先輩を救えるか、考えるのに大忙しだから、他まで考えられないだけ」

「それも信じられないね。キミは嘘つきだから」

「別に、きみに信じてもらえなくたっていいよ」


 粗雑な拒絶の返事を口にすると、沈黙は簡単に生まれた。

 しかし黙りこくった代わりに、幼女の顔がぐいぐいと迫ってくる。口をつぐんだまま、興味深そうな表情をして、ただただ僕との距離を詰めることに専念している。


「そんなにじろじろと見て……なに?」

「いや、ちょっとした観察をね。そのまま愚かに振舞ってくれて構わないよ」

「どうして」

「キミがどういった心境でそうやって寝転んでいるのか、ワタシには気になって気になってしょうがないんだよ。キミの顔を見ていたいとか、そういうわけでは全然なくてね」

「あっそう」


 自分でも素っ気ない返しだなと、他人事のように思ってしまう。

 この化け物に対して、丁寧な言葉を使わない。強気にいく。乱雑に接して僕の命が無事だなんて保証、欠片もないけど。

 僕は遠回しに自殺を志願しているのだろうか? いや、死ぬ気なんてない。

 後輩や妹、先輩のことを想うと、死ぬのが怖いとさえ思う。

 この瞬間だって死なないように相手を観察し、手がかりを探ろうと必死だ。


「キミの方こそ、無礼にジロジロと眺めて……まったく、畏怖が足りないな」

「畏怖?」

「怖がってないように思える、前回もそうだが――今回は以前にも増してだ」

「その見た目が原因じゃないのかな?」

「子供だからかい? 大人より子供の方がはるかに怖いんだ、覚えておくといい」

「それもだけど、なんだろ……なんだか、その顔に見覚えがあるような……」


 いつかどこかで通りがかった子どもの顔か、幼稚園や小学校低学年の同級生の面影か。

 高校二年生のころには大体忘れているような、頼りない記憶。それを怪物に重ねて安心感を抱いているとは、僕は演技をしているうちに本当に壊れてしまったのかもしれない。


「見覚え……か。キミはワタシをいらつかせる天才なのか?」

「お褒めにあずかり光栄だね」

「殺してしまおうか」

「食べるんじゃなくて?」


 なぜか懐かしさすら覚えてしまう幼稚な脅し文句。


「殺せ、ないよね?」


 煽りを帯びた僕の問いには、


「ちっ……」


 尋常じゃない音量の舌打ちがお返事だった。


「ワタシはあくまで観測者の支配下――被造物とすら言っていい……故に主の意図にそぐわないことはできないが、裏を返せば観測者さえ望めば……」

「僕を消せると」

「そういうことだ」


 不承不承口を開く幼女モドキの表情からは悔しさがにじみ出ていて、僕としてはすこぶる気分がいい。

 もし僕が観測者だったら、この子にはずっとこの表情をさせるだろう。


「なんだその笑顔は。不愉快だ、不愉快に過ぎる……」

「なら消えれば?」

「その余裕もまた腹立たしい……」

「難しいね、バケモノってのも。人からちゃんと、怖がられなくちゃならないから」

「理解してくれるか? 脅かす相手の心が壊れていると、怪物側も大変なんだ」

「ごめんね。謝ることしか僕にはできない」


 恐怖を余裕に変換するのにも、段々と慣れてきた。感情が麻痺したのか、こうして適当なお喋りをいつまでもしていたいと願うほど。

 飽きや慣れといったものを憎んでいたけど、これは救いかもしれない。どうしようもない地獄でも、人が生きていくための救済。


「それにしてもキミ、いつまでそうしているつもりだい? ワタシとしては何かしてくれないと大変につまらないのだが」

「きみがつまらないと感じてくれるだけで、僕は十分満足だよ」

「自分一人の満足のために、あの二人を犠牲にするのかい?」

「犠牲にするなんて、ありえない!」


 脊髄反射で大きな声が出た。やめろ、挑発に乗るな。相手の誘いに乗ってはいけない。

 自分は落ち着きの塊だと信じて仕切り直す。


「どうせこの時間には何もできないんだから、こうして自由な状況で考えるのが一番いい。もう一回授業をサボっても、きっと『観測者』とやらも興ざめだろうし」

「ふむ、とにかくがむしゃらに動くかと予想したんだが」

「僕はそこまでバカな人間じゃないよ」

「そうかい、ほんっと退屈だ……まあでも、それも悪くないか……」


 日差しの中で寝るのにも飽きがきて、僕はゆっくりと身を起こした。首を回して周囲を見渡すと、ふよふよ浮かぶ怪物の他に目を引くモノが一つ。

 ある教室の中が濃く深い黒煙に満たされて、窓の隙間から黒々とした細い線が波打ちながら伸びている。あの方角は僕が所属する二年生がいるわけでもなく、カワイイ後輩がいるはずもなく――我らが生徒会長の所属するクラス。

 怪物は異変に気付き、遊園地を目の当たりにした子供のように声をあげる。


「ん? ――あは、真っ黒だな! あれはひどい! 昨日よりも悪化してるんじゃないか? ワタシも『母性』の付与は上手くいったと思ったんだが、そうでもないらしい! 全く、これだから面白いな!」

「…………」

「要因は何か――後処理に失敗したのか。属性同士の競合が発生したか、安易な属性の追加に観測者が怒ったのか。それとも――人が増長したのか」

「ぞう、ちょう……」

「そう、増長だ」


 テンプレ極まりないドヤ顔を僕に見せつけてから、


「人は力を持つと増長する。自分だけが銃を持てば脅し、権力を有せば横柄に、魅力を備えれば自信過剰になる」


 そして出る杭はなんとやらだ――と、化け物はダメ押しした。


「今時押しが強すぎる人間は嫌われる傾向にある。キミは昨日、本屋でリサーチしたはずだが……見落としたかい?」


 ああ実に楽しそうな幼女だ。遊園地にでもいるのがお似合いなほどに。


「あの、体の部位が無駄に育った少女……キミたちは会長と呼んでいたか。まあワタシの腸が煮えくり返るほどの発育具合だ、調子に乗るのも分かるがね。天罰だ、天罰」


 黒の粒子が氾濫する空間から、柊羽魔は僕の方へ向き直る。


「どれ、キミが一生懸命サボりながら考えた、次の作戦を聞こうじゃないか」

「…………」

「おや。おやおやおや、ないのかい? 皆無なのかい? おお、それはそれは! 全く残念極まりないな。悲しいよ。悲しさを紛らわすため、ワタシの笑い声で明るくしてやろう!」


 微塵も残念でなさそうな口ぶりで、ふるふると幼女は首を振る。


「あんなに悪化してしまえば、表面的な改善では間に合わないぞ。早く動かなくては手遅れになる――いつかのように」

「僕だって、髪型とか服装とか口調とかで、どうにかできるとは思ってないよ」

「だからこそ、何も思い浮かんでいないのかな?」

「……そうだ」 


 手をこまねいているうちにも、黒霧はじわじわ大気を侵食していく。どうする。


「何か劇的な切っ掛けが必要だと、このバケモノは思うね。安直かつゲーム的に言えば、イベントか」

「イベント、ね……」

「直近に行事はないのかい? 人間関係が鮮烈に変化し、心躍るような催しは」


 やけに親切な問いだが、その答えがノーであることをこの化け物は分かっている。既知でありながら問うている。


「ないよ。ないから――作るしかないね。何かを起こすしか――」

「そう、その意気だ。キミはそうやってコトを動きだすしかない」


 紡ぐ言葉の端々に、溢れ出る満足感が表れている。浮遊して両足を空にさまよわせながら、柊羽魔は首をことりと傾けた。

 それは疑問を示す動作ではなく、不気味さを強調するためだけのモーションだ。


「人間関係を大きく変化させれば、一発逆転の手段となり得る。もちろんそれが良い方向にだけ働くはずもなく、リターンに見合ったリスクもあるだろう。しかしキミはやるしかない。塩峰空留と姉村癒をワタシたちから守り抜くために。そうだろう?」

「ああ、そうだ。やるしか。僕がやるしか」

「キミの口からその言葉を聞けて良かったよ。目的を果たせなかった時、キミ自身の被る絶望が増大するからな。抱く希望と責任が肥大するほど、跳ね返る絶望は莫大になるものだ」


 不気味なまでの喜色から目を背けて、僕は一所を見つめていた。

 五時限目の終了を告げるチャイムが鳴り響くころには、案とも呼べないような一つの案が僕の脳内にはあった。


 すぐそこでは、化け物がただ笑んでいる。

 言葉なしに、彼女は噛み殺した笑いで悪意を示す。


 くつくつくつくつと刻まれ続ける嘲笑は、鐘の音では消し去れない。

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