第23話 昼休みには怪物がつきもの

「あの、センパ――」


 りーん、ごーん。

 いつかどこかで何度も聞いた、終わりの合図。

 生徒にとって絶大な価値を持つ震えによって、粘ついた雰囲気なぞ簡単に吹き飛ばされていく。

 校庭で球技に興じていた生徒たちが散っていくのと同じように、僕を拘束していた魔法に似た力が、音でかき消されていく。


 古ぼけたスピーカーが放つのは、ひどくざらついた鐘の音。目の粗い紙やすりで撫でられたみたいに、僕の精神は削られていた。


「もう――時間ですね。そうですよね、センパイ」

「ねぇ――五時間目、さぼらない? めーくん」


 偶然か意図したものか、二人は同時に僕へと言葉を投げた。

 重なって聞き取れないはずの言葉は、どうしてか理解できてしまう。

 聞き取れなければ、難聴であれば、どんなに良かったことだろう。

 二つの目線、四つの眼球から注がれる意識の線と、僕の視線が絡み合う。僕の眼球の泳ぎを捕らえたのは、塩峰の双眸だった。


 一方、姉村先輩は僕の袖に手を伸ばそうとして、昨日のお返しのように僕を誘って――間に入った塩峰に阻まれる。

 真面目な後輩は僕の手から、食べかけのお弁当を回収して、


「行きましょう、授業に遅れてしまいます。センパイの次の教科は――確か情報、それも移動教室でしたね」

「そうだけど……なんで知ってるの?」

「――わたしは、出来るコウハイですから」


 ばっちりぱっちり目を見開いての断言。振り向いて笑顔までキメて、まるでアニメ映画のワンシーン。


「ねー、おねーさんはめーくんと一緒にさーぼーりーたー」

「ダメです。わたしの目の黒いうちは、そんなことさせません」


 再び僕の方へ伸びた会長の手を掴んで、


「行きますよ、会長さん。みんなの手本がそれではいけませんから」

「えっ、うわっ、まってぇ~。めーくん、次はこうはいかないからねー! 次会うときは覚悟しといてね~‼」


 芽兎にすら敗北する腕力で、塩峰に勝てるはずもなく。

 先輩はコウハイに引きずられて、この屋上を去っていった。徐々に遠ざかっていく声は、何度か呼吸する間に聞こえなくなっていく。


 体を重力に任せて寝転ぶと、視界を青が占領する。こうしていれば嫌なモノを見ることなんてない。

 いくら飽き飽きしている空の青でも、地面にこびりつく黒を見るよりは遥かにましだった。仰向けから僅かに左へと身をよじると、黒い跡が目に付く。

 屋上の出入り口に消えていく残滓はタイヤのブレーキ痕に似ていて、不吉極まりない。

 災厄が訪れるならば、これ以上ない絶好のタイミング。

 噂をすればなんとやら、僕の頭上に黒霧が収束して――小さな人型となる。


 顕現と同時に強風が吹くも、それは陳腐な登場の演出にしかならない。整いつつあるカタチには、なんの影響も見られない。

 むしろ昨日よりも大量の黒い粒子を集めて、豪奢な衣装まで形成し始めている。


「やあ、また会ったね。まだ観測者に飽きられていないようで、ワタシとしては何よりだよ」


 風に翻るゴスロリスカート。大気からの影響を大いに受けそうな膨らんだ形状は、案の定、ぶわっと捲れあがって光景は一面の黒で満ちる。

 怖い。相手は人を消し去り、作り変える化け物だ。そういう認識が脳裏に浮かぶと、恐怖がこみあげてくる。

 でもこの感情だって殺さなくちゃいけない。マイナスの感情を観測者とやらに見られて消されちゃいけない。

 恐れるな。怪物だって茶化して煽って笑え。楽しそうに振舞え。


「おやおや、黙りこくってどうしたんだい? いよいよ消えるとでも思って、覚悟を決めたのかい? それとも感動の再会に言葉がでないのかい?」

「いや、パンツ丸見えだったか――」


 頭部に衝撃が走る。

 刹那、視界はブラックアウトした。

 

***************************


「――かしから、キミはほんと、ほんっとそうだ……何度、同じ過ちを繰り返すのか」


 意識の断絶から復帰すると、視界には眉を顰めた幼女の姿。幼子に擬態した、どす黒い化け物が浮遊している。あちこちが夕陽の橙に染まっていて、時間経過を伝えてくれる。

 姿を見るだけで、ぞっとする。だけど、この恐怖も抑え込まなくちゃいけない。


「よ、ようやくお目覚めかい?」


 気取った風を装って、柊羽魔は僕に声をかける。どうせなら大仰な身振り手振りでも付ければよいのに、何故かスカートは両手でばっちり抑えられていた。

 化け物なのに、非常にダサい。姿は幼女だ。怖がることはない。


「キ、キミぃ……失礼なことを考えてるな? し、下着のこと考えてるだろ」

「……いやいやまったく」

「嘘くさいな。まあいい、頭の中ぐらい自由にさせてやろう。この状況下で、思考が歪むのも致し方ないことだ。ストレスで頭のねじが壊れ始めたのなら、歓迎すべきことだ」


 ニマニマと粘性のある笑みを顔面に張り付けて、化け物は仕切りなおす。何事もなかったかのように。


「いやあ、キミも大変だな。せっかく黒霧が晴れたっていうのに、また復活するとはね。このワタシもまったく予想外だ」


 へたくそな芝居が僕の目の前で上演されている。この大根役者は、物語を回すには不向きすぎた。僕の方がまだ演技に向いている。


「なんだ、無反応かい。つまらないな」

「僕にはやることがあるから」

「授業をサボって、何にもない空を見上げることかい?」

「パンツも見るけ――」


 ガズッ‼ 空間を裂き乱す風が吹き抜けた。

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