第21話 後輩のお弁当と先輩と

「やるべきこと?」


 僕の問いに対し、塩峰は一呼吸置いて、


「えっと、センパイを見守ることです。わたしのお弁当を食べるセンパイの姿を、しかと見届けることです。わたしが作ったものにはわたしに責任があるので」

「別に残したりしないって」

「センパイの苦手な食べ物は入っていないですから、その心配はしていません」


 少女は自信満々に、薄い胸を張って言い切った。


「味の方も、まあ大丈夫でしょう。きっと、センパイ好みであるはずなので」


 加えてドヤ顔までしている。

 どれ、自信のほどは。こんがり揚がった唐揚げに箸を伸ばすと、


「どきどき、どっきどき、ばくばく、あせあせ……」


 ご丁寧に効果音まで口で添えて、可愛らしい料理人さんは客の反応を観察している。

 先ほどまでの自信は何処に。

 ここまで食べる様子を観察されていると、口を開きにくい。


「迅速に召し上がって――いえ、一時間一口ペースで、ゆったりここで過ごすのもありです」

「そんなに間近で見られていると、なんというか――恥ずかしいんだ」

「センパイに羞恥の感情なんてあったのですか」

「ナチュラルに失礼だね」


 あれこれ言ってくる後輩のため、僕はさっと揚げ物を口に放り込んだ。

 さくっとした心地の良い衣の歯触りに、舌に伝わる濃厚な鳥の味。冷めること前提に作られた濃いめの漬けダレも相まって、おいしい。

 ていうか普通にめちゃくちゃ美味い。

 食べてからある程度沈黙してしまう程度には、クオリティ高めだ。まあ単に、モノを食べながら喋ると何を言っているか分からないから、口を閉じているのだけど。

 しかし、人は喋らなくては思っていることを伝えられないもので。

 黙りこくった僕の顔を、塩峰は心配を凝縮した瞳で覗き込む。


「――どう、ですか……?」

「――しい」

「惜しい⁉ あれだけの努力が……」


 耳がネガティブに染まっている。


「いや美味しいよ」

「紛らわしいです……目の前で食べられる、作り手の不安に配慮してコメントしてください」


 言葉の割には嬉しそうで、にまにましている後輩。


「ささ、他のおかずもどうぞ」

「じゃあ卵焼きでもいただこうかな」

「それ、自信あります。センパイは確か、甘めよりもお出汁の方がお好きでしたよね?」


 正解だ。もはや食の志向に関しては、塩峰に何から何まで把握されている気がする。一体どうやって知ったのだろう? 自分の好物を話したことなど、記憶にないというのに。

 嬉しさの裏でちらつく恐怖。それでも幸福感が勝ってしまうのは、兄バカならぬセンパイ馬鹿かもしれない。合併症だ。特効薬が待たれる。

 恐怖に対する対処療法はたった一つで、僕が問うことだった。


「合ってるけど……一体誰から聞いたの?」

「ひ・み・つです」

「怖いなぁ……家に盗聴器あるのかな」

「カワイイ後輩の気遣いを、ホラーにしないでください」

「そこで自分で可愛いって言うかな、普通」

「自分で言わないと、誰も言ってくれませんから」

「そんなことはないと思うけど」

「――えっ」


 綺麗に焼きあがっている卵焼きを口にして、また僕は沈黙せざるを得ない。

 本当に美味しいと人間は黙るしかないのだ、きっとそう。


「肝心な時に、まったくもぅ……センパイ、黙るのはずるいですよ」


 不満の感情をさらに伝えようとしたのか、塩峰は片頬をぷっくりと膨らませる。それはそれでなんだか間が抜けていて、不平よりも可愛らしさが強調されているような。

 僕も後輩を見習って、言葉なしで意思を伝えるのがいいかもしれない。


 ――食べながら喋るのはマナー違反だから。

 ――それにちゃんと味わって食べないと、作ってくれた人にも失礼でしょ?

 どんなに心の中で訴えて、目線や表情を作ってみても――塩峰は間抜けのふくれ顔を続行中。終には我慢の限界だったのか、


「目線だけでは、何一つ発信出来ていませんよ」


 やっぱりアイコンタクトだけでの意思疎通なんて、どれだけ仲が良くても不可能で、どうしても人は言葉にしなくてはいけない。

 いくら理解していても、きちんと話すという大切な行為を省いてしまうのは、一体どうしてだろうか。

 どうやら僕は無意識で、以心伝心の関係に憧れているのかもしれない。


「まあセンパイのことでしょうから、『食べながら喋るのは行儀が悪い』とか、『きちんと食べないと作ってくれた人に悪い』とか思って黙ってるんでしょうけど」

「――よく分かったね」


 驚きも一緒に飲み込み終えてから、僕がそう言うと、


「簡単に分かりますよ。わたしにとって、センパイは分かりやすさの塊で出来ているようなものですから」

「本当にそうなのかな?」

「ほんとですよ。わたしが証人です」 


 本当に考えていることが、外部から簡単に読み取れるのなら――もっと物事は簡単に終わっている気がする。

 それこそ会長とのやりとりの齟齬なんて、生まれるはずもなくて――。


「……塩峰が特別なんじゃないかな」

「へ――え、ふぇっ⁉」


 思いつくままに、つい口を突いてしまった言葉。


「塩峰は気配りができるから、人の感情をある程度察することができるのかも。もちろん僕だけに限らず、芽兎とか会長とかね」 

「……何故でしょうか、その言葉は疑いようもない誉め言葉なのに、いまいち喜べない自分がいます……」


 今度は頬を膨らませずに、仏頂面に変化する後輩。僕からはガチへこみに見える。


「たかが僕なんかに言われても、大して嬉しくないのは分かるよ。だって比較対象がこんなやつだから」


 気遣いができず、人の感情が読めないポンコツが基準、ひいてはメモリである。そんな物差しじゃ、まるで役立たないのは明らかで。


「そういうわけではありません。単に妹さんとか、そう、会長さんの名前がセンパイの口から出て――それが物凄く嫌なのです」

「ああ、今朝のこともあったしね……あれはほんとにごめん」

「ああいうの、わたしは嫌いです。きちんと領域および時間配分は守っていただかねばなりません。何よりも、近隣の方に迷惑ですし」


 これ以上ない正論だった。

 まともにぶつけてしまっては対象が壊れかねないような、頑強な正しさ。


「好き勝手は何も生みません。いえ――負を生みますか。なんにせよ、良くないことは確かです。誰にとっても――センパイにとっても、妹さんにとっても、わたし自身にとっても、姉村会長に、とっても」


 最後だけやけに意味深で、含みを持った言い方。

 数時間前に話した、姉村癒のことが脳裏に浮かぶ。

 平静を失って、熱を浮かべたあの瞳が、記憶に焼き付いて離れない。剥がせない。


「わたしだって、ただ傍観するだけじゃありません。あんなことはできるだけ避けられるよう、色々と頑張ってみます。妹さんも案を練るでしょう。他の人も、きっと」


 ですからセンパイも。

 続く念押しの言葉に、僕は無言で頷いた。


「今のままが、センパイもいいでしょう? わたしも同じ思いです。壊さず、絶たず、捻じ曲げず――そのままでいきましょう。誰にとっても公平公正均等なままで、ずっと、ずっと、いつまでも」


 ずうっと欲しかった言葉。聞きたくてしかたなかった音の羅列。 

 そんな些細な幸せ、日常にある幸福でこそ――トラブルは舞い降りてくるもので。

 完全に急いている足音が、勢いよく迫ってくる。まるで、高速で移動する救急車のサイレンだ。聞き手に否が応でも不安を思い起こさせるそれは、僕らの判断力を確実に奪い取った。


 ああ、重い重い古びた鉄扉に寄りかかって、すぐに出入り口を封鎖できれば。

 そんなことを十数秒後に繰り返し考えることになるとは、つゆも知らず。

 僕と後輩は不意の来客を出迎えた。

 それと同時に、黒霧が現れて薄く広がっていく。


「やあやあ、めーくん。こんなところで出会うなんて、大した偶然だね」

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