第20話 コウハイの脳内のセンパイ
狂ったおねーさんの襲来があって授業に身が入るはずもなく、あっという間に昼休み。
鞄の中から妹謹製のお弁当を取り出して、おしゃべりに沸く教室を抜け出す。誰も彼もがあれだけ喋っているのに、僕に話しかける人は一人もいなかった。いつものことだ。普段と同じ扱いなのに、今まで寂しさを覚えなかったのは――どうしてだろう?
考え事で埋めたまま逃げ出すことしばし、学校内で最も高い場所にたどり着いた。一番見晴らしが良くて、自分のちっぽけさを再確認できるところ。
そして――彼女がどこかに行った場所。
重たいドアを開けて、数歩を踏み出し座り込む。鉄扉を開けたままにしておけば、ちょうどその陰になる右側位置だ。この重い扉は一度開けられたら大抵そのままで、よく問題になっていた。新たな来訪者が来ても、その視界に映り込むことなんてきっとない。
――はずだったのに。
静かに愛妹特製弁当と敷物を広げていると、近づいてくる誰かの足音。音で存在を気取られまいと静止したところ、
「誰か、来訪済みですか……? 姿は……ない……」
とても聞き覚えのある声。
ふわふわしていながら、一定の調子で落ち着く声色は――僕の知る限り一人だけだ。
塩峰空留は屋上に足を踏み入れると、
「んっ、しょ……」
可愛らしい音を出し始めた。それはまるで、力仕事をこなす時の声で――。
気づいた時にはもう遅かった。
じわりじわりと重厚なドアは動き出していて、完全に閉じるまでの数秒間で隠れきれる場所など、僕には残されていない。
塩峰は閉じ切った扉を背に座り込んだ。彼女の背中と鉄扉はぴったり密着していて、体重は完全に預けられている。
これでは新たに人が入ってくることができない。他人の侵入を拒むように少女は出入り口と寄り添って、ボクのいない方向に向かって愚痴を零す。
「くっ、はぁ、はぁっ……ほんとおもい、ですよ、これ……まあ、わたしの愛よりは重くないですけどね、センパイ」
ほんとに普段から、空想上のボクと会話しているらしい。もう驚きすぎて怖さはない。怖くなくても逃げ場もなくて、コウハイと目が合ってしまう
「あれ、今日のセンパイ、なんだか空想にしてはリアルですね。匂いも質感もばっちりです。とうとうわたしの妄想力も極まったということですか。めでたいことです。どこまでいけたのか、触って確かめてみますか。
「って、――あれ、本物の、センパ……い?」
「あ、うん、そう……だね」
後輩のちっちゃな手に触れられ、バレた。
と思えば、塩峰コウハイは慌てて立ち上がり、まるで遭遇してはいけない動物に遭ってしまったみたいな顔をして――重い重いドアハンドルに手を伸ばして――。
「待って!」
僕の手は、彼女の指先を握っていた。躊躇も葛藤も、この身体はすぐに抜き去った。
化け物に飲まれていく幼馴染の姿が、記憶の中で燃えている。
脳内にフラッシュバックする悪夢が、直に僕の体へと命令を下していたのだ。
ここで、この場所で、この屋上で、身近な人を去らせる訳には――いかない。
「ひゃっ⁉」
重厚なドアは塩峰の逃走を阻み、危うささえ帯びる細腕は僕の手に掴まれた。
「何故、捕まえるんですか。わたし、変な女ですよ。空想のセンパイと会話して、寂しさを紛らわしていた女ですよ」
「逆に、なんで逃げ出すの。そんなに一生懸命に、どうして」
塩峰は体を揺すって拘束から逃れようとしているけれど、その行動には力強さがまったくもって感じられなかった。
「今、センパイに会ってはいけないからです」
「どうして僕に遭遇したらいけないの?」
「この時間は、わたしの時間ではないからです。ですから、空想で代用しているんです」
正面切ってきっぱりと、塩峰後輩は言い切った。水晶に見紛うほどの澄んだ瞳で、僕の両目を見つめながら。
「この時間は、誰の……」
「少なくとも、わたしの時間でないことは確かです。ですから、今わたしがセンパイに会うのは、ルール違反。みんなを裏切るわたしなんて、ここからいなくなった方が――!」
語気を強めると同時に、塩峰は繋がれた手を大きく振った。
「みんなじゃない」
普段の彼女からは想像も出来ないような力に、僕の重心は崩れていく。
「僕はここで、コウハイに会えて救われてる。裏切られてなんかない。助け、られてる!」
「せん、ぱい……!」
それでも、塩峰の手を放すことだけはしなかった。
その結果、僕は案の定バランスを崩して、広げられたお弁当を敷物ごとひっくり返す。
「「あっ」」
重なった声の後、からんからんと音を立てる空の箱。
食堂や購買という選択肢を失った昼休み中盤で、もっとも聞いてはいけない空虚な音。
今ここに、事他芽汰の昼食は失われた。
男子高校生にとってのマストアイテムを失った僕に、傍らの少女が声をかける。
「あっ、あ、あの、センパイ――もしわたしが『二つ分のお弁当を持っている』と言ったら――どうします、か?」
「――」
突然の申し出に驚き終えるより早く、彼女の言葉が次々に氾濫していく。
「いやまあこれは偶然今日のお昼の分を作りすぎてしまったがためになんとなく持ってきてしまっただけであって」
塩峰は最小限の息継ぎをして、
「晩御飯にしても良かったのですが二食連続同じメニューというのもどうかなと思いましてならクラスメイトにでも食べてもらおうと思ったのですが」
後輩はほんの少しのお茶で喉を潤してから、
「まったく予想外の形で役立ってよかったです備えあれば憂いなしと言いますか別に今日も妹さんがセンパイの鞄にお弁当を入れ忘れる可能性なんて全然これっぽっちも頭になかったので予言ですかね天啓ですかね」
「あ、ありがとう、本当に助かるよ」
「ほんと――よかったです」
飛散してしまったお弁当を片付け終えて、僕らは屋上で昼食タイム。塩峰お手製のお弁当を手に、二人並んで座っている。
僕を見るや否や逃げ出すような、先ほどの様子と正反対。
「僕から逃げるのは、もういいの?」
「今この時、わたしにはやるべきことができたましたから」
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