第18話 妹と後輩と先輩を連れた通学路

「なあ、もう少し速く歩かないか? 私には少し遅くてだな……あ、歳だからせっかちとかではないぞ! 一歳差だからな!」

「いちいち言わなければ、年齢をイジられることはないのでは……? まあ自爆はともかくとして、センパイの歩行速度は適正です。いつもいつもこの速度であると、わたしの身体は覚えています。毎日一緒に通っていますから、この感覚は絶対確かです」

「うう、歩幅の違いがつらいよ……これが成長……芽兎も早く高校生に……!」


 塩峰後輩と妹の尽力で、朝はあれ以上荒らされずに済んだ。どのような手段を用いたのだろうか。少なくとも僕には、あの状態の会長を大人しくさせるのはできそうにない。

 一旦剥がれた仮面を、付け直させるなんて無理だ。


 制御手段を芽兎に尋ねてみても、おにーちゃんには無理と言われるばかり。一体全体なんというやりとりがあったのか、詳細はまるっきり闇の中。

 得るモノはないと知っていても、分からないコトにぼんやり思考を走らせてしまう。


 やあやあわいわいがやがやと、おしゃべりを楽しみながら通学路を往く彼女らが――僕にはひどく羨ましい。普段は塩峰と二人きりだった道も、四人で歩くとひどく窮屈に感じる。息苦しささえ抱いてしまうのは、どうしてだろうか。慣れている気さえするのに、苦しい。


「なあ、事他こ――」

「もしかして、芽兎のことですか? 生徒会長さん、芽兎になにか――」

「分かりにくかったな、失礼。事他芽汰くん、聞いているか?」

「ん……あ、ええ、はい……なんですか?」

「もうちょっと速く歩かないか、って――その返事、絶対に聞いていないだろ」


 左隣の会長が、僕の腕を前へぐいぐい引っ張っている。痛みはなくとも、重みが拘束具じみた働きを果たしていた。


「…………ゆっくりでいいのです。いつまでもいつまでも続けばいいのです」


 対して右方では、塩峰後輩が僕の右手を肩にかけて引っ張っている。荷物を運搬するような作業感満載の動作だが、そこに粗雑さは感じない。

 片や通学時間を短縮しようとする会長に、片や僕を後ろへ引っ張り出す後輩。

 この世の何よりも分かりやすい対立を打ち壊すのは――両手の空いた我が妹。


「お二人とも何してるんですか、そんなことしたらおにーちゃん壊れちゃいます。兄を壊していいのは――妹だけなんですよ。世界の常識ですからね」

「いや妹も兄を壊しちゃだめだよ⁉」


 無茶苦茶な言葉を放ちながらも、芽兎はきっちり僕から二人を引きはがしにかかる。


「お二人とも、ダメです……! おにーちゃんから、離れて、ください……」

「へ、は⁉ えっ、やっ、うそ、力つよ……っ! 私負けるのか⁉ 妹さんはお兄さんのことになるとすごいんだなぁ⁉」


 どちらが年下だか分からない声を出して、JSの力に負けてしまうJKがいた。抵抗空しくぽいと扱われて、会長は年甲斐も無く頬を膨らませている。

 屈服させた相手に目もくれず、妹は次なる目標に目を向けていた。


「今のを見ても、塩峰さんは――おにーちゃんから、手を離さないんですね」

「ええ、まあ。問題だったのは、センパイを左右から引っ張ることでしたし」

「まあそーなんですけどー、でも芽兎にとって大事なのは……」


 そっと視線で鍔迫り合いをしてから、後輩と妹の戦いが始まった。直視するのも躊躇われる激しい争いだ。朝の道路で女子小学生と女子高生が繰り広げていいマッチじゃない。

 塩峰が芽兎の仕掛けを華麗に躱す度に、僕の身体が意志に関係なく振り回される。妹は幾度も彼女を捕まえようとするも、後輩は肉の盾で上手く捌いていった。


「とぉりゃ!」

「甘いですね。そして焼き菓子のように脆い動きです」


 塩峰は何かの舞踏を行うかのようにステップを踏み、そして僕は年下の少女に踊らされた結果――ある種の武器として使用されることとなる。

 度重なる接近へのカウンター。

 迫りくる小学生の鼻先に――実際に鼻の頭が触れる距離に、僕は突き出された。


「――――――――っっっ‼ おにーちゃ、すき……」


 芽兎の頬は旬の林檎よりも色付いて、金縛りにあったみたいにフリーズ。

 その表情を見てから、


「ふっ……」


 塩峰はたった一瞥で勝利宣言。それでもなお固まり続けている童女に対して、


「おやおや、じっとしていて大丈夫なんですか? 小学校は確か、高校よりも始業時間が早かったですよね?」

「えっ、あっ、もうそんな時間⁉ でも、おにーちゃんが、おにーちゃんの顔が近くに……」

「チャイム、鳴りますよ?」

「う、うぅ~~リベンジ、リベンジします! あっ、おにーちゃん、お別れのハ――」

「遅れちゃいますよ? 遅刻しちゃう妹は、きっとお兄さんも嫌いなはずです」

「うぅ~~この借りは絶対返しますよ~‼」


 かませキャラじみた捨て台詞を残して、去っていく我が妹。

 その小さな後姿に、余裕だけで塗り固められた笑顔を返す我が後輩。トッピングにゆらゆらと振る手さえも添えて、絶対的な年上のアドバンテージを主張している。


 塩峰はこういうところで容赦がない。人と人との関係性や、序列を争う時には特に。

 まだ芽兎相手は手加減している方で、僕相手には本当に容赦がないのだ。

 これまで幾度からかわれ、面白おかしく弄ばれたのだろうか。きっと無限にある。

 思い出を掘り起こしながら塩峰の表情を眺めていると、


「どうしましたか?」


 僕を見上げながら問うてくる。


「もしかして、怒りましたか?」

「いや全然。あのままだと、芽兎は遅刻してでも僕に付いてきそうだったし。ありがと」

「お礼を言われるようなことではありませんよ。センパイが言うことはもっと別の、愛の囁きです。それに、わたしもほんのちょっとだけ、私情を込めてしまいました。おねーさんにあるまじき行動です」

「おねーさん、か……」


 芽兎と塩峰の間にある、年齢の開きは五歳。五年という数字は僕らにとって相当な差であるはずなのに、なぜかそこまでの違いが感じられない。

 この疑問を深く探ろうとして、じーと後輩を見ていると、似たような視線が返事として返ってきた。あちらの瞳は少し細められていて、かなり非難と疑いの意志が込められている。じっとりという言葉の方が即していた。


「すごく良からぬことを考えていそうですね」

「……いや、全然?」

「ついさっき発した言葉でも、込められた意味が全く違うと感じます。センパイが分かりやすいだけなのでしょうか。それとも、わたしがセンパイのことを熟知した――知りに知り尽くした結果、手に取るように考えてることが分かるのでしょうか」

「それはやだなぁ」

「何故嫌なのか、教えて下さると助かります。ちなみに、わたしの予想としては、『年齢差の割に空瑠は妹と生育の差がないなぁ』だと思うのですが」

「惜しい。僕は心の中ではコウハイのことは塩峰って呼んで――げふっ」


 反応のタイミングすらも見逃してしまうほどの高速肘入れ。塩峰の背が低いせいで、細い腕が僕の脇腹に見事にヒット。


 ――――――。しばらく脳が空白で埋まる。まさか思考が止まるとは、微塵も思いはしなかった……。


「ひどいよ……」

「ひどいのはセンパイですよ。いつもいつも、最低なことばっかりします」


 人のことをまったく気遣っていません――と付け足して、塩峰は僕にそっぽを向いた。


「大体、身体よりも心の成長の方が大事なのですよ。センパイは見てくれに重点を置きすぎです。そんなことでは、本当に大切なモノを、重要なところを――見失いますよ」


 僕に膨らんだ頬を見せつける、愛らしい後輩の視線の先を追う。

 その先には、まるで存在感を失った人がいた。

 薄く、薄っぺらく微笑していた姉村癒。


 会長にしては珍しく、僕らの間に割り込んでこないですね――なんてことを言おうとして、言えなかった。僕の唇はただ役割を放棄して、無能であることを示している。


「あは、すごいなー。いやー、おねーさんも歳かなー? 若い子のやりとりにはちょっと、割り込めないかなー、弱いとこにつけこむだけじゃだめだなー、なんて……」


 坂を転がり落ちるように小さくなる声に、言葉は何一つだって重ねることができない。

 少なくとも僕と、そのすぐ側にいる塩峰空瑠には不可能だった。


「私も、あたしもいやおねーさんも、頑張らなくちゃな―、よし! よしっ‼」


 大事に大事にしていた仮面がいつのまにか、落ちていた。

 コロコロ転がっていく一人称に、背をじんわりと撫でる寒気を感じた。両の頬を二つの手でばちんと叩く音が、痛々しくて仕方がない。


「あ、もうこんな時間だねー! 遅れちゃうから、そろそろ行こっかー‼」


 良い意味で気の抜けた、聞き慣れたはずの語尾に違和感を抱いてしまうのは僕だけだろうか? 不安に溺れてしまいそうで、瞳で救いの手を伸ばす。しかしその指先は、地面に注がれた塩峰の視線にそっと払われた。


 静かに会長が寄ってきて、僕の腕と彼女の柔らかな腕とが触れる。

 そしてひびの入ったガラスを抱えるみたいにして、ゆっくりと僕の片腕を取った。無理に引っ張ることも引き留めることも無く、姉村先輩は歩き始める。


 そしてもう片方に、期待していた感触はなかった。

 塩峰は僕の側にいながらも、触れはせずにただじっとそこにいるだけ。存在は認識できても温度までは感じ取れない距離を、歩きながら保ち続けていた。

 機械的に足を動かしながら、他愛無い会話を交わす。そうしていると、いつのまにか校門とアスファルトの境界線を越えていることに気付いた。


 おかしいな……つい数分前のことなのに、どのような話をしていたか覚えていない。

 印象に残っていることはただ一つだけ。


 校内に足を踏み入れた時、最初に目にしたもの――始業時間の二十分前を指し示す、黒霧で汚れた大時計、だけだった。

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