第17話 幼馴染もとい妹との日常

 あれから何の進展も無い。

 妹はおやすみと一言残してから、あっさりと自室へ戻っていった。何も見なかったと言わんばかりのリアクションの薄さだった。


 あの時妹が発した、柊羽という言葉の意味を考えて枕に顔を埋める。その音で連想するのは一つの姿だけ。

 一人の幼女だけ。怪物のことしか思い浮かばない。

 ぐだぐだとシーツの上で悩み続けるも、あの怪物は姿を現さない。

 あいつは多分、こういう風に悩み苦しむ人間が好きなはず。


 しかし――朝になるまで不気味な美幼女が語りかけてくることすらなかった。

 瞼を閉じて考え込んでいたら、知らないうちに窓から光が差し込んでいる。


「朝、か……」


 寝起きの悪さが祟って昔から朝日は憎らしかったが、今となっては一層嫌いだ。時間の進みをわざわざ伝えに来るなんて、太陽には悪意がある。

 眠気は意識に纏わりついていても、心配と焦燥が追いかけてきて二度寝が出来ないコンディション。ごろりと横に転がりながら、不愉快な微睡に抗っていると、


「おにいちゃーん、おきてるーっ?」


 カチャ、と小さく鳴るドアの音に遅れて、妹の囁き声が聞き取れた。寝ぼけている上に、小さすぎて正確にリスニングできたか不安なくらいだ。

 ドッキリを仕掛けるみたいにこちらへ近寄ってくる妹。

 足の踏み場を間違えて、思いっきり床が鳴っているのはご愛嬌。


「おきてないよねー、よし」


 覚醒しているかどうかの確認を終えると、僕の身体にブランケットが掛け直される。乱れていたのを整えてくれたらしい。


「目覚まし時計はー、わ、セットされてない、よし」


 よしじゃない。大問題だ。

 そう言えば昨日は起床時間の設定を忘れていた。これに関しては僕も迂闊であるが、芽兎は一体何をするつもりなのか。


「あ、カーテン開けっ放し……閉めなきゃ」


 よりにもよって、僕を起床に導こうとしていた日光まで遮断された。目を閉じていても感じられた温もりが無くなって、一気に意識が沈んでいく。


「学校行くのに歩いて二〇分……朝ご飯はゆっくり食べてほしいから二〇分……身支度はわたしが全部手伝えば五分で終わるし……起こすのは七時五四分でいいよね……」


 ちなみに家を出なきゃいけない時間は八時三〇分だから、六分オーバーだ。計算を間違えている。


「これでよし……あと三時間は大丈夫かな……」


 やけに眠いと思ったら、今は五時前らしい。僕の妹は早起きだった。大変よろしいことである。僕にとって、純粋に喜ばしいかはさておいて。


「よいしょっと……ベッドギシギシ言わせるの、ちょっと興奮する……」


 ベッドがほのかに軋む。妹の軽い体重にスプリングが反発し、少し寝心地が悪くなる。

 起きているから分かるが、熟睡していたら完璧に気付かないような差異だった。


「ふふ……おにーちゃん、寝顔可愛いな……写真撮って額にいれちゃおうかな」


 息遣いが感じられる距離に、妹は陣取ったらしい。

 高い体温すらもじんわりと肌に伝わってきて、寝苦しいが寝返りも打てず。身じろぎするだけで身体的接触が起きそうな気がひしひしと、びしびしと。

 そうして状況が膠着して、しばらく。


 しばらくとしか言いようがない。正確な時間を把握する手段も無い。二度寝に入ることもできないまま、このよく分からない状況を余儀なくされた。

 何か一つでも変化があるとすれば、


「はぁ、はぁ、はぁ~、お兄ちゃん、あったかい……ふみゅ、んんっ……」


 妹の吐息がやけに荒くなっているくらい。近くで寝ているから、暑いのも当然だ。

 別段変わった状況でもなかった。恐らくないはずだ。ないと思いたい。ないよね?

 乱れている熱い息が耳たぶにかかると、ぞわりと体が微振動する。意識があることを悟られるのではという懸念は、相も変わらず続いている呼吸音に払拭された。


「ふふっ、ま~だ~、いっちじかん~、あっと~、さんじかんもある~」


 慎ましやかな鼻歌に続いて紡がれる、ささやかでちゃらんぽらんな歌詞。

 引き算が出来ていないのもチャームポイント。まだ小学生だし、きっとそう。

 ――それにしても、未だ一時間しか経過していないというのは、かなり絶望的である。


 寝つけるかはさておき、残り二時間も惰眠を貪れると、ポジティブシンキングに切り替えた。スイッチした、にもかかわらず厄介事は向こうからやってくる。

 ポーンと平坦に鳴ったチャイムの音。

 誰もいない一階を通り抜けた電子音に、反応する者は二階にもいなかった。

 訪問者はもう一度チャレンジしたらしく、二度目のインターホンが鳴る。芽兎のアクションもなし。僕の行動は、


「うぅ……」


 動いてはいけない以上、少々呻くぐらいが限度だった。


「もぅ、朝から何……おきちゃうじゃん……寝るのがおにーちゃんの仕事なのに」


 おやすみ中の赤子を見守る、母御みたいなことをぼやく我が妹。

 三度響くのはまったく同一の呼び出し音。そしてそれは、開戦を合図する法螺貝でもあるのだと――僕らは一秒も満たずに知ることになる。


 ピポピポピポピピピピピピピピピピ――――‼

 不快で無機質な高音の連打。引く。ダメ押しに、


「めーくんー、いないのー? 寝てるの―?」


 良く知る声が大音声で投げかけられた。

 ドアに閉ざされた玄関の外から、二階の奥まった僕の部屋に届くボリュームだ。

 時間を考えてほしい。決して朝六時に住宅街で発してよい音ではない。


「めーえーくーん――むぐっ!」

「静かにしてください、センパイはまだ寝ています! あと一時間は起きてこないので、出待ちなら静粛にっ‼ たとえ年上であろうとも、出待ちの新入りは常連に従うべきです‼」

「むぐー、むー、んーっ! んーっ!」


 何やら誰かが注意してくれたようだ。指摘する声も大きいのだけれど、人は得てして自分自身の客観視が苦手だから仕方ない。


「もうっ、わたしの大切な時間を邪魔しないでよぉ!」


 おかんむりな妹も、ダッシュで部屋を飛び出して階段を駆け下りていく。

 数秒して、


「ふったりとも、なにやってるんですかぁ‼‼」


 ためにため込んだ感情を爆発させるに相応しい、雷が落ちた。一連の流れで一番の、爆音が炸裂するという形で。

 これでとうとう、近所へのお詫び行脚は確定だ……。

 お詫びの菓子折りは何がよいかと考えながら、僕ものろりと起床して下に降りていく。


 勇気を出して玄関を開ければ、そこは地獄絵図だった。

 本来であれば天上楽土と呼ぶにふさわしいはずが、僕の頭には今、頭痛の種が植えつけられまくっている。

 美少女三人――小動物系後輩に、裏表が裏返っていた生徒会長、ツインテ妹が勢ぞろいできゃあきゃあと忙しなかった。


「やーだぁ――じゃなく、私はめーく、事他後輩に会いに来ただけだ‼」

「今さら取り繕って妹さんにカッコつけても遅いでしょう! この時間はご家族の――ではなく、別人の時間ですよ! ついでに言わせていただくと、登下校はわ・た・しの! 時でもあります!」

「私の分がなくなってはいないか⁉ 予約済みなんだが⁉」

「あなたの分は放課後ですよ! 生徒会室という密室を普段から存分に利用して、お楽しみなさってますよね⁉ なんて羨ましい! 不健全な状況を許されているというのに、それ以上を求めるのですか⁉」

「欲するに決まっているだろう。君は欲しくないのか⁉」

「いやまあ譲っていただけるのなら、迷うことなく受け取りますけど!」

「ほらみろ!」


 驚いたことに、会長の仮面は剥がれ落ちてから付け直されていた。窮屈な首輪から逃れる快楽に打ち勝ち、理性とプライドで出来た枷を嵌めなおしたらしい。


「お兄ちゃん、戻ってて」

「え、でも――」

「話、めんどくさくなるから」


 芽兎にぐいぐいと押し込まれ、大した抵抗も出来ずに僕は家の中へ。ガチャンと閉まるドアの音を境に、賑やかな声は途絶えた。

 二階にまで届いていたはずなのに、今や言葉の一欠片すら届かない。

 もう一度ドアを開ければ良いだけ。考えには浮かんでいても、僕はそうする気にはなれなかった。取っ手まで手を伸ばしても、見えない力場に弾かれるような気がする。


 彼女たちと僕との世界は隔絶しているのだ。この隔たりはどうすることもできない。

 今まで通り、そしてこれからも。何度も何度も、同じように。

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