第12話 帰り道と疑惑、寄り道とストーカー

「ほんと、すみません‼ 迷惑かけてしまって……それに、こんな時間まで……‼」

 土下座だった。通学路で。

「あはは、学校から締め出されちゃう時間まで眠ってたねー。赤ちゃんみたいに泣き疲れちゃったかなー?」

「っ~~~~~~‼」


 恥だ。どこかに消えたい。


「まったくもう、まったくもぅもぅ、真っ赤になってかわいいねー。めーくんが弟になったらいいのになー、ほんと」


 微かにオレンジ色が残る帰り道で、僕は謝り倒し、いじられ倒されていた。

 僕の頬を突く人差し指を、払いのけずに黙って、甘んじて受け入れる。甘えに甘えてしまった手前、今更このからかいを振り払えない。


「つ、通行人に見られたらどうするんですか」

「その時はめーくんのお顔がもおっと赤くなるだけだから、おねーさんにとっては得でしかないねー」


 ダメだ、今日は何をしても会長に勝てない。

 諦めておもちゃになろう。それでも今日の恩は、これっぽっちも返せないだろうけど。

 歩いて歩いて喋って歩いてイジられて。

 しばらくしたらお別れの時間がくる。これだけはどうしても避けられない。

 三叉路が僕らの行き先を分かつ。街灯に引き延ばされた影が、最後まで別れを惜しむ。


「最後まで送ってはくれないのー?」

「会長の家は、僕の家より学校に近いでしょう。確か、遅刻しそうになっても全力疾走すれば五分で着くんでしたよね?」

「よく知ってるねー、ひょっとしてストーカー?」

「前に、会長が言ったことです。それに、僕は詳しい場所まで知りませんし」


「あれー? そうだったかなー? 部屋の内装まで教えた気がしたけど」

「そうですよ。まったく、冗談でもやめてくださいね、誰かに聞かれでもしたら――」

「――別に、おねーさんはいいよー、聞かれても。むしろ聞かれた方がー、いいかもー」

「いや会長が良くても、僕がストーカー扱いされるのは困りますよ」


 才色兼備の会長にはファンが多い。ただでさえ愛好家には勘違いされやすいのに、本人が仄めかしてしまえば現実となってしまう。

 控えめに言って殺される。会長過激派は恐れねばならない。

 さわらぬ神に祟りなし、イエス会長ノータッチ、だ。本当は僕も過激にいきた――過激派になりたいけど、会長に触れすぎ罪でファンクラブは出禁になっていた。冤罪だ。


「ほんとに、行っちゃうの?」

「これ以上、甘えられませんから」

「まだまだ甘えてもいいのに……なんてねー。じゃね、またあしたー」

「はい、また明日」


 踵を返して自宅に向かう会長の、背中をじっと見る。数時間前に纏っていた黒い靄はとっくに薄れ、宵闇とアスファルトの色に紛れて目立たなかった。

 十二分に見送ったところで、身体の向きを変える。

 最後の最後――視界の端に会長が追いやられ、そのままフレームアウトする間際で彼女は振り返り、手を振った。それは僕の見送りを最大限引き延ばすための行動で、手を振り返してしまう僕も僕だった。


 卑怯と表裏一体の可愛さも、黒霧を目にした今となってはありがたいから――どうしたって憎めやしない。憎むのにふさわしい怪物は別にいることだし。


「やぁやぁ、難儀な局面を乗り越えたね。甘えたがりの手のかかるお姉さんキャラに、母性を付与するとは。《二回も眠るふり》をし、号泣までしてみせるという迫真の演技に、ワタシは感心しっぱなしだよ。演劇部に入ることをお勧めするよ、大嘘つき」


 会長と別れて数分。闇夜の中から湧いて出たのは、見た目だけなら完璧幼女の柊羽魔だった。わざわざ顔を出しに来たらしい。変な勘違いまでしているのが厄介だ。


「たまたまうまくいっただけだ。まだまだ油断なんてできない」


 僕は姉村癒の消滅を何とかして凌いだ。しかしそれは、猶予時間ができただけだ。問題を先延ばしにした、だけである。


「あの徴――黒霧を消し去るまでは、喜ぶなんて難しいよ。上手く笑えるかだって……」

「しかし上手に破顔できなければ、つまらなさが増してしまうぞ? であれば――」

「消えるんでしょ。分かってる」


 そんなこと、一々言われなくとも心の中で散々リフレインしている。この反復した意識ですらも覗かれていることを考慮すると、あまり良くはない。だが、常に意識しなければ表情が曇ることは確定だ。

 普段からそこまで笑う方じゃないのに……。


「さてさて、この方角はキミの家でないと、この怪物は薄々気づいているのだが、一体全体どこへ向かっているのかな?」

「書店」

「ふむふむ、何をしに?」

「勉強」

「今この時に? 仲の良い女の子が消えてしまうかもしれないのに?」

「だからこそ、だよ」

「ふぅん。どうなるか見物だな。ワタシのために、わざわざ盛り上がりを作ってくれるとは感心感心。褒美に頭でも撫でてあげようか?」


「そう提案されて、僕がはいと頷くとでも?」

「ツンデレだな。さすがの演技力だ。でもワタシは、キミの好意を知っているよ」


 これほど不快な笑顔を、僕は生まれてこの方見たことが無い。プラスの顔つきでマイナスの感情を喚起するのは、さすが化け物といったところか。


「怖い顔だなぁ、スマイルスマイル、ついでにピース。大事だぞ? 心の平穏ピースは意外と体の動きに影響するからな」

「怪物に言われても説得力が皆無だ。そういった経験もないでしょ」

「いやあ、あるよ。キミが想像するよりずっとね」

「……例えば?」

「写真撮影で無理くり笑って、形だけでもピースサインを決めれば、段々と気分は上向いてくる。喧嘩している相手でも笑顔でツーショットを撮れば、最後には絶対に笑いあえる。ワタシはそれを知ったのさ、随分と昔にね」


 揚々と語る柊羽魔の言葉には、血の通った人の感情が籠っていた。人外であることを強く強く意識させる言動が続いた中でのコレは、一層気色悪い。

 シンプルに怖気が溢れる不気味さ。

 彼女の気分を損ねて僕が消えることがあってはならないから、あからさまに嫌悪感を顔に出すことはしないが――それがちゃんと実行できているか、自分では分からない。

 相手の目が節穴であることを祈るばかりだ。


「お、キミの目的地はここかな? あまり大きな店ではなさそうだけど、いいのかい?」

「ここが一番最適だと思う。小ささも繁盛の具合も、今の僕にはぴったりだよ」


 僕らの前にひっそりと佇むのは、住宅街の中心にある中型書店だ。

 ここの特徴はただ一つ。売れる本を置いているのだ。

 よく売れればなんでもありだ。だから、ここに置かれている本は過度に俗だったり、えっちだったりするけれど――今は関係ない。非常事態だ。後者を眺めて癒されようとか、全然まったく思ってないです。


「おい? なんか不純な気配がするんだが……この怪物が総毛だつほどの邪気が……」


 怪物の戯言はさておき、売れる本だけ集める特徴は特に、ライトノベルコーナーにおいて顕著だった。

 会長に纏わりつく霧があのやり取りで晴れた以上、この一角はきっと僕を助けてくれるはずだ。『観測者』の好みは、大体分かってきた。僕の性癖に似ているのであれば、絶対にやりようはある。


「ふむ、ふむ……うわ、うわぁ……。人気なキャラを効率よく学べる……というわけか。このワタシには、少しばかり過激なように思えなくもないが……これが好みか……」


 それほど広くないスペースにがっつり積まれている本を見ながら、怪物は複雑そうに語る。しかし程なくして、幼女はニタニタと笑みを作った。


「で、キミの読みでは、この世界はなしはライトであると判断したわけか。君たちの人生は、軽いと名付けられたグループに属すと考えたわけか。なるほどなるほど」


 口元を上品に抑えるも、下卑た笑いは隠し切れていない。


「なにがそこまで嬉しいの」

「いや、キミが少女たちに生き残ってもらおうと必死に考えた末がこれかと思うと――嗚呼、たまらない」


 嗜虐的な表情に際限なく腹が立つ。その手の好事家垂涎であっても、ノーマルな僕にはまるで刺さらない。変態ではないので、ちっとも良いとは思わない。

 こんなのは無視して、さっさと並んでいる本を確認しなければ。

 無数に存在する紙面上のキャラから、簡単に特徴を言語化していく。

 僕は前からラノベを読んでいたし、予備知識も相まってすんなりといけそうだった。

 誰かの命を救うためにこんな知識を使うだなんて、夢にも思わなかった。いや今が夢である可能性を、希望を捨てるにはまだ早いか?


 ちっぽけな願望を脳内の端に寄せつつ、片っ端から視覚情報を整理しよう。


 ヒロインの年齢層が下がっている――これは不利な情報か、いきなり皆をロリにするなんて無理だ。

 主人公が優位な状況で始まる物語が多いな――今には全然当てはまらない。

 異世界が溢れてるな――この世界も異世界と認識してほしいが、無茶かな。

 ヒロインが主人公を好いている方が良いか――主人公ってこの世界でだれだ?

 ヒロインはマイルドな性格の方が好感触か――ツンデレって、そういえば前ほど多くはなくなったな……。

 ここ数年で暴力系のヒロインが滅多に見られなくなったことや、キャラの母性を強調した作品にはロリバージョンもあること、タイトルよりもサブタイトルが長くなっていること――こうして注意深く眺めていると、僕の持っている本も視界に入ってくる。


 あの作品シリーズ、よく繰り返し読むから机の上に平積みしてたっけ。片付けしてなくて、誰かに怒られたような――母親じゃなくて、妹じゃなくて、幼馴染に――


「……っ‼」


 ――思考が、止まる。

 止めてはいけないのに、進めなくてはならないのに、どうしても。

 幼馴染との思い出が、次々と脳裏に蘇って――細部まではっきりと思い返せ――なかった。

 ぼんやりとしか浮かばない。まだ全てを忘却していないことが、より一層未練を膨張させ、

 恐怖を加速させる。

 忘れるな。忘れるな! 忘れるな‼

 手の打ちようはないのに、必死に幾度も心中で叫び続ける。肉体的な限界が無い分、意識の絶叫に終わりはない。唇を噛む。血の味がする。それがなんだ、まだ――


 トントン。

 肩を叩かれる。どうせ柊羽魔による煽りだろう。無視して――。

 トントントン。

 ほんっとに悪趣味だ。反応しても喜ばせてしまう。最善はスルーだが――。

 トントントントントントントントントントントントンッ‼


「ああもうっ、今それどころじゃ――っ‼」


 肩を叩く手を振り払い、一言文句でもぶちまけようと振り返って、血の気が引く。


「あんまり無視すると、可愛い後輩は泣きわめいて本屋の商品びしょびしょにしますけど――いいんですか?」


 永劫に継続するかと思われた地獄。

 思考の下方スパイラルは、思わぬ介入によって中断される。

 小悪魔系コウハイ塩峰空瑠による、新たな地獄の成立によって。

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