第11話 おねーさんを救うために甘えること
「あー、起きちゃったー? も―っと寝ててもいーのに……ん、どーした? まだ寝ぼけてるかなー?」
よかった、無事だ……。
寝っ転がったままの先輩は寝起きの僕に優しく微笑んでくれるし、それがまた、罪悪感を肥大させる。
そして、こんな時に限ってトラブルは立て続けに起こるのだ。
「まだ辛いならー、おねーさんにー、もうちょっとぐらいは甘えてくれても――」
甘すぎる言葉は、廊下をバタバタと駆ける音に中断された。
物音が鳴った瞬間に、甘々な女の子はいなくなった。
会長は近くの棚からファイルを抜き出した後、それをカッコつけて開いて座りなおす。僕の頭をちゃっかり膝に置いて。この背筋と腰の伸び具合、凛とした目つき、それに一瞬で整えた服装は――獅子被りモードの姉村癒だ。って、これは膝枕⁉
「会計が来る。事他後輩、じっとして隠れていたまえ。大丈夫、膝枕が一番隠れられる」
ほ、本当だろうか。
ここで僕の存在が露見して、会長が赤面したらどうだろうか。可愛さと微笑ましさで霧も晴れるかもしれない。
ダメだ。混乱とドキドキのあまり、会長の名誉まで傷つけるような想定をしてしまう。
「し、し、失礼します」
ノックと声掛けの後、ドアをゆっくりと開けて入ってきたのは、我が校生徒会の男子会計さんだった。声の震えから否応なしに緊張が伝わってくる。
彼は確か、生徒会メンバーの中では一番の新人だったと思う――僕もあまり詳しくは知らないが。
唯一知っているのは、今知ったこと。
ここまで強張っているということは、彼は裏の姉村癒を見ていない。
それはとっても幸せで、不幸せだった。
僥倖を知らずに、彼は言う。
「お、俺は、忘れ物を取りに来たんですが、会長はまだ仕事が?」
「いや、ほぼ全て終わったさ。残っている案件と言えば、今朝の身だしなみ指導で預かっている持ち物を返すことぐらいだな」
「お、俺が返しに行きましょうか?」
「いや、これは女子のものだからな。私がやっておこう」
「わ、分かりました。では、失礼します」
「ああ、気を付けて帰れよ」
ドアがレールを滑る、ガラリという音でスイッチオン。
またまた姿勢がだらりと融けて、会長の甘えモードが起動する。
「行ったかなー。困るよねー、忘れ物なんてされちゃあ、おねーさんの休憩予定が崩れちゃうよー」
「会長職って、色んな仕事があるんですね……すみません、お忙しいのに誘った挙句、まぬけにも眠ってしまって……」
「いーって。寝ちゃおうって言ったのもおねーさんだから。どーせ授業中もカッコつけたままこっそり居眠りするんだし、変わんないよー。ここでも一緒。待ち人が来るまで、起きたふりして眠るつもりだったしねー」
「その没収した品物の持ち主が取りに来るまで、ここでずっと?」
「うん、そだね――いや、めーくんが来たならいいのか、めーくんにアレを返せば。ってあれあれ? ――おねーさん今どうして、めーくんに渡せばいいって思ったんだろ?」
「その歳で記憶があやしいって……」
「誰がボケた年寄りかなー? ほんとに責任とらすよー? ――ハラキリか婚姻で、だ」
突然の獅子被りで作られた一二〇パーセントの全力笑顔は、切り替えが早すぎて最早コホラーだ。すぐに可愛らしくだらけるのが、また恐ろしくもあった。女子って怖い。
「うーむ、女子から預かったのになー。おかしいなー。まさかめーくんの持ち物ってこともないだろうしー。かわいい趣味とか―、あったりしてー?」
「な、ないですよ!」
先輩は会長席に向かい、引き出しをガチャガチャと漁ると、
「あ、これだこれーって、なにこれ?」
「自問自答しないでください。危ない人みたいですよ」
机の上に放りだされたのは、白い手紙だった。
「ハートのシールで封……ベタだねー」
ラブレターとしては定番、むしろテンプレとして謗られかねないような、代物。
「会長、これも何か校則に引っかかるんですか?」
「いやー、特に問題ないと思うよー。一見するにただの紙だしねー」
「じゃあ、なんで預かっているんです?」
「それが分からないから、こうして困っているのだよー」
背もたれに全体重を預けて、力なく天井を見上げるセンパイ。
「誰から貰ったとかも――」
「覚えてないー。どうしてだろ、ばっちり獅子モードで受け取ったし、メモもちゃんとしたはずなのになー。おねーさんの手帳にも、なんにも書かれてないしー」
「性別とか、髪型とか、あとは――学年とか、どうですか? 校章の色で判断は僕もよくしますし」
「女子生徒だったのは覚えてるんだよねー。髪はおねーさんほどではないにしろ長めでー」
「特徴とか」
「特徴、特徴ねぇ……あっそうだ、名前が変わってたような……? 名前を聞いた時、食べ物を連想した気がする――」
会長が机上の手紙に目を落とす。
「やっぱり、めーくんに渡さなきゃいけない気がするんだよねー。理屈じゃなくて、魂がそう言ってるよー。というわけでー、はい。あげるー」
「と言われましても」
「丁寧に開けて内容確認してー、もし関係なければ閉じ直せばいいよー」
「それでいいんですかね……勝手に開けたりして――」
「何かあってもおねーさんの責任にするから! ほら早く早くー!」
急かされて、僕はゆっくりと手紙のシールを剥がす。
中に入っているのは、一枚だけ。
これでもかとハートで装飾された、ピンク色のかわいらしいメモ。
今朝見た、用紙だった。天賦つんでが落とした、紙だった。前と違って、そこには何も記入されていない。可愛らしい丸文字は一字だってないのだ。
幼馴染に言いたかったことがたくさん溢れてくる。だけど全部上手く吐き出せなくて、たった三文字の言葉にしかならない。
「――つん、で……?」
そんな、はずはない。
この空白が、彼女の存在を否定している。彼女が書いたことは消えていて、存在も一緒に。
手紙が手の内から滑り落ちた――しゅるりと音を立てて。
「あ、あ、ああ、あぁ…………っ‼」
泣くまいと堪えた。必死で自分の喉を掴んだ。歯を食いしばって、空っぽの拳を握りしめた。でも、この身体はどうしようもないポンコツで、たったそれだけの要望にすら、満足に応えてはくれない。
感情が溢れ出て止まらない。手元にある手紙を濡らしたくなくて、必死に掌で覆い隠す。それでも指と指の隙間をすり抜けた涙が、大きく紙上に水玉を描く。情けない。
首元に、ゆっくりと重みがかかる。会長の両腕が後ろに回っていると気付くのに、それほど時間はかからなかった。
不思議と僕の身体は倒されて、いつのまにか視界は傾いて。
髪を撫でる優しい手つきに、感情がどうしようもなく融けていく。
彼女の両膝から僕の頭部へと伝播する体温が、悲しみをいっぺんにとかしていく。
「あ、えっと……よしよし、いいんだよ。何があったのかは分からないけど、好きなだけ、泣けばいいよ」
「っ――ぁ、――ぃ……」
感謝の言葉さえ、嗚咽に阻まれ紡げない。
「話して楽になるなら話しなよ。黙って落ち着くならそれでいい。好きなようにしていいんだよ、事他芽汰くん」
なんて――情けない。
救おうとした相手に、救われている。
「あり……とぅ、――ぃます……」
お礼の言葉すらまともに言えないようでは、最悪だ。
「どういたしまして。めーくんには普段から甘えているからねー。たまには甘えさせてあげないと、おねーさんだって不安になるんだよー。いい機会だし、おねーさんの――私の膝でゆっくり過ごすといい。――うん、うん、それがいい……たまには、これでいい……ずっとずっと……」
ぽんぽんと心地よく刻まれるリズムに、意識が沈んでいく。
背を叩いてくれる優しい手つきを、僕はよく知っている気がした。
溢れる涙で満たされた視界が、段々と閉じていく。
最後に見えたのは、未来を閉ざす黒煙が確かに晴れていく景色だった。
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