第10話 かわいい先輩を引き出すために
昼休みが終わるチャイムを聞きながら、生徒会室の前で気合を入れる。
ここからは切り替えが重要だ。柊羽魔が語るこの世界の観察者は、僕の内心さえ覗き見ている可能性がある。
さあ、今からは楽しくいこう。心中では明るく軽やかに、欲望には素直にやってみよう。通ったことはないけど、男子校みたいなノリもいいかもしれない。僕は変態じゃないからそういう風に振舞うのは難しいけれど、頑張るぞ。
「さて、だーれだー?」
気合いを入れてドアに手を掛けたところで、後ろから声をかけられる。当然会長の声だ。
と同時に、何やら締め技まで掛けられた⁉ く、くびがくるしい……‼
よくある手の平で相手の目を覆うやつではなく、腕まるごとで顔全体を締め上げられている。がっちりとロックされている。
あと肩甲骨周辺が熱い。会長の豊満な胸部との身体接触でシンプルに熱を感じているのか、こちらが勝手に緊張して錯覚しているのか、まるで区別できない。両方かもしれない。
頭部を抱え込まれているせいで、いつの間にか先輩のいい匂いに包囲されていた。逃げ場がない。甘くてとろけそうな芳香に理性を奪われる前に、どうにか突破しなければ。
「だ、誰だじゃないですよ会長! ギブです、ギブ!」
「おっ、あったりー! じゃあー、もう一問できたら解放してあげるよー。めーくんの首に当たってるコ・レ、何カップだー?」
接触面が飛躍的に増える。伴って、熱くて弾力のあるものがぎゅぅと押し付けられる。
「あ、外したらー、罰ゲームねー」
「えっ⁉」
突如追加されたルールと、包み込まれている女性の香り、上半身のあちこちで進行中の諸々に、首元の熱が追い討ちをかけてくる。
こんなに体温って高かったっけ⁉ どきどきのせいか、ふかふかで至高の感触は更なる熱量まで生み出すのか、ともかく人体ってすごい。というか、いくらなんでもこれは熱すぎて――。
火傷してしまいそうな温度から逃れようと必死に首をねじると、
「あっ、だめ、ずれ」
「ずれ?」
スペースがいきなり空いた。故に拘束も緩み、僕は会長の腕の中から逃れ出る。
振り返れば――胸元にカイロを四つも載せている会長の姿が。
未だたっぷりと纏ったままの黒煙も相まって、脳が絶賛混乱中だ。
「なに、してるんですか」
「いやあ、使ってから、そこそこ時間経ってるんだけどさー、意外と熱いよねー。めーくんが早めに見抜いてくれないばっかりに、火傷しそうになっちゃったよー」
「まったく、実際に怪我しちゃったらどうするんですか。危ないことやめてください。僕はまだいいですけど、会長がケガしたら――」
「せ・き・に・ん~、とってくれないのー? 傷物で余り物のおねーさんは要らないー?」
「会長なら多少傷ついたって奇麗だから大丈夫でしょう、むしろアンティーク的な――」
「『アンティーク』とかーっ、年上のおねーさんに向けて放っちゃいけない台詞第一位なんだけどっー⁉ そんな悪い子はー、生徒会室で矯正だーい」
背中に突撃され、室内に僕の身体が押し込まれ、ドアが乱暴にガチャンと閉ざされる。
当然のことながら、中には誰もいなかった。書記も会計も副会長も、誰も。
部屋中心に位置する長机の上に書類は一切なく、何故か綺麗にお茶菓子がセットされている。旅館で客室に準備されているお茶請けのように、整然と並べられていた。
おもてなしの準備はばっちりというか、なんというか……。
「なんでセッティングしてあるのかな~、不思議だな~って顔してるねー。きみのそういう顔が見たくて、おねーさんはここ毎日頑張ってるんだー。授業をサボってここでダラっとするため、生徒会の仕事は常に一か月先まで終わってるんだよー」
「なんという仕事の早さ……そして能力の無駄遣い……」
「ほめてくれてありがとー。もっと褒めて褒めてー、おねーさんをねぎらってー」
会長は長机に沿って横一列に並ぶパイプ椅子をいくつかまとめて引き出して、端の一席に座るよう手で合図した。クッション部分をぽふぽふ叩く音に従って着席すると、僕の膝の上に会長は頭を乗せて寝っ転がる。
「うーん、やっぱりいいねー。期待通りだよ、めーくん」
上履きをぽいと脱ぎ捨てて、ソックスに包まれた足を余った椅子に委ねるセンパイ。
簡易ソファーの出来上がりだ。僕の両膝が枕代わりでなければ、そこそこに上等なものだと呼べただろうに。
「疲れが癒されるよぉ~」
ふにゃふにゃした声を思う存分に漏らして、サボり時間をこれでもかと満喫する先輩。仰向けのままこちらに手を伸ばして、気ままにリフレッシュを行っている。
上から俯瞰して見ている立場からだと、赤子のように見えてしまう。
それが微笑ましくもあり、可愛らしくもありつつも、なんだか良くない気持ちも同時に抱いてしまいそうで――あれ?
僕には、黒霧が微かに薄らいでいるように見える。もしかして、観察者はこういう趣味なのか? ほんのちょっとだけ、親近感が湧く。ならば少し試してみよう。
「会長、そ、そのポーズ可愛いですね」
「そーおー? なら、もっとやるけどー」
にへらと笑んで両腕を伸ばすと、霧がわずかに薄らいできた気がする。だがたった二分後には、穢れた大気は元に戻っていた。やはりこんなことではダメか。どうすれば……。
「……疲れたー。めーくん、いつまで続ければいいのー?」
「いや別に、無理に継続しなくてもいいんですよ。猫が伸びをする感じで、たまにで」
「でも、こっちの方が可愛いんでしょー? ならずっとやらないとー」
「会長の場合元々が良いですからね……追加できる魅力には、上限があるというか……」
口にして、再認識する。
会長である姉村癒にしろ、消えてしまった幼馴染の天賦つんでだって――相当に魅力的である。僕個人から見てというだけでない、クラスメイトの間でも『可愛い子』の代表格として会話の槍玉にあがる面々だ。
これ以上、何が出来ようか。僕なんかに、一体何が。
途端に不安が押し寄せてきて、もうすでにギリギリな心の防波堤を痛めつけに来る。会長の前だから泣かずに済んでいるが、これが一人なら決壊している。
「――くん、めーくん。怖い顔してー、どうしたのー?」
先輩が手を伸ばして、僕の頭をそっと撫でた。優しくて、優しすぎて、今の事他芽汰には毒でしかない、そんな手つき。
言葉が出ない。話そうとしても呼吸さえままならない。人一人の存在がかかっているとなると、吸う空気さえもどろりとして重たい。
「怖い顔してるより、目をつむったほうがいいよー。寝顔、みせて? おねーさんはね、きみの全部がみたいなー。目には見えない心以外、全部みたい」
「こんなので、よければ……」
勧めにしたがって、目を瞑る。そのまま首に手が回って引き倒され、狭苦しいイスの簡易ベッドに二人寝転ぶ形。
「ねよー、ねるのが、いちばん……」
優しい声がかけられ、撫でられ、そうして、そのまま、そのまま――ぼくは――
「――――っ⁉」
瞼を開くと、夕焼け色が瞳を刺す。身を起こして窓の外を見ると、同じ色がいっぱいに広がっている。
時計を見れば短針が嘘みたいに進んでいた。これは、これは……緊張に屈する形で、僕は完全に、寝ていたのか……?
こんなことしている場合ではない。早く先輩と話して、たくさん可愛らしいところ、かっこいいところを観察者に見せつけねばならないのに……!
とにかく、先輩が無事かを確認して――
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