第9話 おねーさんとサボること=人助け

 それからは怪物が現れて、幼馴染が消えて、妹が生まれて、一瞬で校舎が増えて、謎の幼女が舞い降りて――それだけだ。


 たった、それだけ。

 纏めてしまえばほんの二行で終わってしまうような、そんな出来事でしかない。

 驚きの気持ちが治まってきたのは、未だにこれを現実と認めていないから。無力な少年が夢だと信じて無駄な足掻きを続けている――から。

 叫べれば、泣ければ、どんなに楽になるだろうか。

 傍らの幼い悪魔は逡巡すらも嘲笑って、僕を挑発する。


「もっと面白い表情でもしておくれよ。そうでないと、ワタシがわざわざ出てきた甲斐がないだろう?」

「リアクションなんて、取れない。ヒトが、大切な人が一人消えて、家族が――そう家族が増えたんだ。――こんなこと、まるで授業中に見る妄想じゃないか! 眠気と退屈が作った、くだらない夢にしか思えないっ! ほんと、こんなの、悪夢だ……」

「ふむふむ、率直で荒い気持ちが出てきたね。その調子だ」

「――っ⁉」


 指摘されて初めて、自分のしでかしたことに気付く。漏れ出してしまった感嘆符を急ぎ抑え込んで、嚥下して、落ち着け落ち着けと内心で唱え続ける。


「しかし、更に感情が出てもいいはずだ。精神が崩壊しても不思議ではないのだが……ふむふむふむ。どうすれば、もっとキミに危機感を持ってもらえるかな?」


 見た目相応に可愛らしくありながら、背筋が凍るほど美しい笑顔で首を傾げる幼女。矛盾を両手いっぱいに抱え込んだこの存在も、今この時をかき乱している要因だ。


「夢だと思い込んでいるから、思い込もうとしているから、ショックが薄いのかな。であれば、定番はあれだ。自傷行為だ。どれ、やってみるといい」


 言われるがままに、頬をつねる。熱の無い肌をぐいっと引っ張ったところで、手の震えが邪魔してちっとも力が入らない。

 まるで、痛みを感じない。


「てんでだめだな。痛いのが怖いのかい? どれ、ワタシがやってあげよう」


 そう囁いて彼女は手を伸ばし、伸ばして、伸ばしきって――僕の頬に、そのちんまりした指先を届かせられなかった。

 シンプルに身長が足りないためであった。お笑いだ。やはり夢だ、これは。


「……何故かは分からないが、ほんっとうに理由が不明なのだが――気持ち僅かに心中が乱れたが故に――割と痛くするぞ。いや、泣くまで痛くしてやるからな」


 痛みが走る。

 顎先をちっちゃな爪で摘ままれたにしては、あまりにも痛すぎる。

 辛くて泣きそうだ。もうすでに涙目になっているかも。高校生にまでなって、これぐらいの痛みで泣きかけるなんて、情けない。

 情けなさで、涙が出そうになる。堪えなきゃ。


「ふふ――少し、ほんの少しばかりだが――ますますいい顔になったな?」

「……その年でSなんて、中々大変そうだね」

「怪物モドキに年齢の話をするなんて、無粋だぞ」


 ぎりぃ、とミニマムな指に力が込められると、悲鳴をあげてしまいたくなる。

 決壊寸前である心のダムを押さえつければ、幸いにも自然と喉の動きまで抑えられた。

 これはまずい。僕は存外脆いらしい。


「ほぅ、あと一歩というところかな?」


 人の悪い表情――人型でもヒトであるとは到底思えないが――をにやりと浮かべて、彼女は僕のことをじろじろと観察している。


「事他芽汰くん、キミはまだ、幼馴染の存在を信じるかい?」

「……もちろん」

「これが現実であると、認めないかい?」

「――当たり前だ」

「ひょっとして、どっきりの一種であるなんて夢想したりしているのかな?」

「……その通りだよ」

「ならば、見に行こう」


 演劇じみたステップと、演説のような手振りが非常に様になるし、腹が立つ。


「彼女――『天賦つんで』の、教室を訪れよう。このワタシ――柊羽魔しゅうまの引率でね」


***********************************************************************


「まあまあ、そんないい顔するなよ――そそられてしまうじゃないか。今にでも、キミを食べてしまいたくなる。まあ現状では、キミを食べることはできないがな。我が創造主は命を下していない」


 天賦つんでのクラスを僕らは訪れた。この化け物は皆に見えないらしく、この小さい姿を認めたものは誰一人としていない。

 そして僕にだけ見えているモノは、この幼女の他にもう一つ。辺りをぼんやりと揺蕩う、薄い黒色の靄だ。薄暗いナニカが常に視野を覆っている。気体の様子はさっき目にした黒霧と通ずるところがあり、あれを何百倍に希釈したかのような濃度だった。

 異変の原因は十中八九傍にいる化け物だろうが、問いただすのは後だ。


 それよりも先に、解決しなければならない疑問がある。

 ――ここは、彼女が所属していたクラスなのか? 本当に?

 この教室の生徒につんでのことを訊ねても、


「天賦つんで、ですか・……そんな人知らない、ですけど……」


 と言うだけ。クラスを間違えたのではないかと、一旦廊下に出る。

 〈2―B〉と表記されたプレートを見る。念のためもう一度、見る。

 間違いはない。いや、この目がおかしい可能性だって――


「その行動が何度目か、ワタシから指摘した方がいいか? 見ろ、周りの有象無象が不審に思っているぞ。何の変哲もない教室に、他クラスの変な奴が来た――ってね。くすくす」


 あからさまな嘲りに憤る暇はない。探さなければいけないのだ。

 幼馴染がノートを広げていた机を。

 親友が座っていた椅子を。彼女が今朝持っていた鞄を。

 天賦つんでが残した痕跡を、決して、絶対に、何が何でも見落としてはならない‼

 探して探して探して―――――――――。


「諦めろ。ないよ。怪しむを通り越して他の生徒たちは怯えている。ここらが引き時だ。気が触れたと思われて、先生まで呼ばれているぞ。ま、大人に捕まって時間を無駄に消費することが、キミの望むところであればいいのだが。ふふ」

「――っ」


 拳を握る。歯を食いしばる。強く強く力を込めて、心の箍にひびが入る。

 確かに、こいつの言う通りだ。近寄ってきて離れない幼女――柊羽魔と言ったか――に従って、廊下へ。十数分前に過ぎたルートを遡って、再度屋上へ向かう。


「今度はなにをするのかな? この消失が手の込んだマジックか何かで、幼馴染がひょっこり屋上に現れる可能性に期待するかい?」

「飛び降りる」

「はい?」

「飛び降りるんだ、付いてくる?」

「な、何を言って――」

「夢の終わりはいつだって、高いところからの落下だから。さっさと落っこちて、気持ちよく朝を迎えたいんだ。つんでが、また起こしてくれる朝が待ってるはず」 


 こんなにも悪い夢、今すぐに終わらせてしまおう。


「本気か?」

「僕は本気だよ」


 落下防止用の柵に手を掛ける。夢だけあって、都合よく乗り越えられるギリギリの高さに作られていた。まったく、都合がいいな。


「本当に夢だという保証が、どこにある?」

「――っ」


 戯言だ。惑わされない。


「キミの小さな頭はもう忘却しているようだから、再び教えてあげよう。『創造主に飽きられると消え、別の人物に作りかえられる』というルールは、別にあの子に限ったことじゃない。君にも適用されうる」

「僕がきっちり自殺する前に、怪物に喰われて消える可能性もあるってこと?」

「ああ」

「どうでもいいな」

「本当にかい? キミはそんな人間ではないと、ワタシは知っているよ」


 お前に何が分かる。今の僕にとっては、なんだってどうでもよくて――


「想像してみろ。キミを慕ってくれる後輩も、消えうる」

「――――っ」

「キミに甘えたがる先輩も、いなくなるかも」

「――――くっ」

「キミが生きていれば――諦めなければ、救えるやもしれない」

「どう、やって?」

「簡単な事さ。この世界を観察している輩に、飽きさせなければいいのさ」

「輩って、誰?」


「ワタシもシステムの一部だからな、詳しくは知らないが――この世界で楽しんでいるやつのことだ」

「そんな、いるかもわからないやつに――」

「では、信じぬまま死ぬといい。怪物に食われて、誰かと同じようにな」


 黒霧が立ち込める。黒く深く、誘うように。


「この気体はワタシたちとほとんど同じモノだ。やがてはワタシたちになり、飽きられた人を『消費』して『再生産』する存在。濃度が濃い程に『消費』は近く、キミをすぐに別の面白い存在へと変えるはずだ」


 幼女が最悪の笑みを浮かべる。望みが叶ったと、眼が、口が歪んで笑う。ひねくれきって澱んだ黒目が向く先は、僕の方向から逸れていた。

 違和感だった。

 危険と怪しさが凝集した視線は、ここ第二校舎の屋上から向かいの建物へと注がれている。


 第一校舎、三階の一角。あそこは、主に三年生の教室が配置されていた場所だったはず。

 そんな一画が――なぜ、何故、この場と同じ黒煙で満たされている⁉


「おや、キミも気づいてしまったかい?」

「あれは、あの煙は――」


 火事を想起させる規模の黒煙が、ぞわりと蠢いた。教室内を満たしていた流体が、ある一人に随伴する。室内から廊下へと。内から外へと。

 煙幕の揺らぎと乱れの末、中心部に見えたのは――


「姉村、先輩……っ⁉」

「はっ、とんでもないな、あの黒霧は。廊下が真っ黒になっているじゃないか――辛うじて個人を判別できるのは奇跡だな」


 柵から手を離し、僕は走り出す。


「おい、どこへいく」

「会長のとこ! とにかく行かなくちゃ!」

「はん、元気なことだ。どうあがくか、楽しみにしているよ……」


 視界の片隅で消えていく幼女のことは、一歩一歩踏み出すたびに薄れていく。

 とにかく走って、走って、走って、走って走って――


「おお、その足音は事他後輩か。そんなに焦ってどうした?」

「え、えっと、話があって、なんていうんでしょう、その、いや――」


 三年教室棟の廊下。急に通路の角から会長と相対して、唐突に舌が動かなくなる。


「落ち着こう。それで、用件は?」


 用件。何を言おうか。何ができるか。とにかく今この時は一つだけ伝える。


「あの、その、とにかく会長と話したくて、話さなきゃって」

「……その言葉は、大変うれしく、ずるいとも思うな……だが、もうすぐ昼休みは終わってしまうぞ?」

「そ、そうですよね。でも今会いたくて喋りたくて……」


 喋りたいと言っても、何を? 先輩をより魅力的にする話? 僕が何もせずとも魅力がある人ではあるから、観察者とやらに先輩のプレゼンをすればよいのか? 

 迷っている時間はない。とにかく、伝えたいことを伝える。恥や見栄を捨てて、やりたいことをやる。


「あの、先輩が可愛らしいと、カッコイイと、今すぐ会って伝えなくちゃって! だから、来てくれませんか。一緒に、授業サボりましょう」


 誘い文句と共に、先輩の手をとった。熱い。はずい。どうにかなりそうだ。


「……めー、くん……」


 あ、ダメだこれ。こんなの引かれるに決まってい―― 


「――ふふ、ふふふ。よし! では、今から不良になるとしよう!」


 会長は近くの同級生に声をかけ、


「カヤさん、ちょっといいか? 私は保健室でちょっと休むから、次の授業の先生に言っておいてくれないか? 大丈夫、保健室の先生とは仲がいいし、あとで話も通しておくから」


 何やらテキパキと話が進み、会長は僕の方へ向き直った。


「それでは、生徒会室まで連行してくれ。そこでたっぷりと君の褒めを聞くとしよう」


 それから間を空けて、彼女はいたずらする子供のように笑った。


「手を離さず、わたしを攫うようにしてほしい――こういうの、おねーさんの夢だったんだ」

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