第7話 幼馴染+屋上=?

「遅い」

「ごめん」


 そよ風に赤みがかった髪を揺らして、天賦つんでは振り返った。屋上へと繋がる、重たいドアを僕が押し退けた瞬間のことだった。その眼光の強さに衰えはなく、むしろ輝きと重みは増している。

 今この時まで――昼休みまでつんでとは接触できなかったが、幼馴染の姿はいつもと変わりなく健在だ。飽きるほどの既視感がある。普段通り、一見すると可愛らしくて少し怖い。艶のある唇から放たれる詰問も、外見と同様だった。


「ね、朝起こしてあげたとき、ちゃんと目開いてた?」

「あの時は、本当にすみませんでした。手元に気づけず――」


 心から噴出した言葉だった。渾身のおしゃれをスルーしてしまった失態への申し訳なさは、授業時間全部、四時間じっくり費やして醸成されている。


「謝罪はいいから、イエスかノーで」

「の、ノーです」


 少しだけ、嘘の混じった答えを吐いた。

 自分的には覚醒していたし、瞼も開けていたつもりだった。が、彼女の変化に気付かなかった以上、あの状態は目を瞑っていたのとまるっきり変わらない。


「どうして」

「眠くて……」

「その眠そうな顔、誰かに見せた? あの後輩とか、会長とか」

「いいや、朝ごはん全部食べたら眠気は覚めたから……」

「そ、そう。なら……いいわ。不問にしたげる」


 理由は不明だけど、お許しをいただけた。心の中でガッツポーズ。ひとつ安心して呼吸が楽になる。


「そういえば、ご飯全部食べれた?」

「もちろん。美味しかったから、すぐに食べ終えちゃったよ」

「あっそう」


 今度はさらりと受け止められて、背を向けられてしまう。これ以上の褒めが欲しかったのか、はてさて更なるクオリティアップの為にダメ出しが欲しかったのか……どちらが正解だったのか、僕にはまだ精進が必要だった。


「ま、また‼」


 おっきな声。反射で体が跳ねる。

 二、三メートルくらいは離れているにも関わらず、驚愕が避けられないほどの声量だ。

 腕力だけじゃなく、声まで調整が出来ないとは。ほんとに、つんでは不器用だ。


「あ、ごめん、またびっくりさせちゃって。あのさ、また、作る機会が、ほら、おばさんたちの都合であるかもしれないとしたら――ほんとに、万が一、億が一、兆が一の話なんだけど――何がいいとか、あったりする?」

「今回は洋食だったし、和食が、いい、かも?」


 なんだかこのやりとりは照れくさくて、途切れ途切れになってしまう。

 きまりの悪さに負けて、自然に真正面から目をそらしてしまう。僕がそっぽを向いている間、あちらからの視線も同様に向けられてはいないみたいだ。見ていなくても、感覚でなんとなく分かる。

 僕らの気分は上がったり下がったりで、まるでジェットコースター。

 それはめまぐるしく、変化に富んでいて退屈からは程遠いけれど、乗り過ぎれば気分を悪くしてしまう両刃の剣。


「今日、あたしさ、一回家に帰されちゃって」

「会長から聞いたよ。タイミング、悪かったね」

「それで二度目の登校中、あんたと後輩のこと見たんだけど」


 彼女の言葉が墜落していく。あれだけ大きな声も出せるのに、今の音はひどく頼りない。喉を振るわせるのにさえ、躊躇っているかのよう。

 幾度か声にならない声を詰まらせてから、


「――すっごく楽しそうにしてたけど、つ、付き合ってたりとか、する、の……?」

「しないよ。かなり可愛くてこっちもあたふたさせられるけど、そういう関係じゃない」

「ふ、ふーん。でもちゃっかり可愛いとは思ってるんだ……」


 一度落ちた気分が再び弾むイメージ。相手のことを良く見ずとも、声だけで分かる。分かってしまう。


「あの、会長さんとはどうなの? すっっごく、とっっっても、密着してたけど」

「会長は甘える人には誰でもああなんだ。裏を知っている人――僕とか副会長とか、書記の一人なんかにはいっつもそう。後は、僕とつんでをからかって遊ぶ目的もあったんじゃないかな。あの人はやけに視界が広いし、悪戯好きだから」

「そう、なんだ」


 音が無くなる。そわそわして、きまずい。


「ねぇ」


 静寂を害さないように配慮された、つんでの小さな呼びかけがあった。


「芽汰はさ、このままでいいの? 変わらない今のままがいいの?」

「続け、たいよ」


 僕は、嘘をついた。

 本当は、変化のない日常に飽いていた。なんとなく、何かが変わればいいのにと考えない日はない。だけど、つんでや後輩、先輩と過ごす日々が楽しいわけじゃなくて、変えようという勇気が出なかった。

 だけど、彼女は違う。


「あたしはね、なんていうんだろ、えっと、その――あはは、いざとなったら喋れなくなっちゃった」


 耳にしていると、責められているような気分。


「――今が、嫌」


 なにも言えなかった。その原因は、僕の甘えだから。


「このままも好きだけど、でも、もっと、もっっっと先に進みたい」


 実際に一歩踏み出して、幼馴染はこちらへ踏み込んでくる。


「あんたは、どう? 心から、今のままがいい?」

「……………………」


 言葉はない。

 今のままでは、誰もが若干の不満を抱えっぱなしになる。誰もが誰もの欲を完全には満たせず、ちゅうぶらりんで微笑みあうしかない。


 それでも――平等だ。

 均衡は、崩れない。皆が不幸だけれど、それをみんなで分け合える。

 一人が幸せになってしまえば、二人だけで不幸せを背負うことになる。


「僕は今が楽しいよ。つんでと揉めて、塩峰にジト目で詰られて、会長にからかわれて――今思い返してもそんなにイイ目にあってないけど、それでもいつも楽しいよ」


 返事はない。これは宣告で、勧告であり、乱暴に言えば威嚇射撃。

 それ以上先に進めば、どうなるかは分からないから。


「そっか。そうよね。あたし以外とのやり取りも楽しい、よね。でもさ」


 諦観で出来た相槌。しかし言葉の端々に宿っている彼女の期待は、僕の望みと反する。

 止まってほしい。

 そんな無責任な言葉を、僕は軽々しく発するわけにはいかなかった。

 ぬるま湯に浸かったまま、更なる甘えを口にしてはいけないと――そう、思った。

 出来ることは言葉を待つこと。紡がれた言の葉を受け止めること。


「あたしはね、天賦つんでは、事他芽汰の事が好き」

「僕も、好きだよ」

「言うと思った。それは、どういう意味で?」

「言うまでも無く。幼馴染だったら、分かるよね」


 もういっそ応えてしまおうかという選択は、やけに遭遇する後輩と、むやみに甘えてくる先輩との思い出に阻まれた。

 ずるくてダサい。こんな自分の舌をちぎって捨ててやりたい。でも――痛みが、血が怖くてそれすらできない。


 つんでが、一歩二歩と踏み出して、僕の方へと近づいてくる。

 そして、彼女にとっての禁忌を犯そうとする。細い右腕が、こちらに向かって伸びる。


「あたしはね、芽汰の好きと反対」


 ここで目が覚めればいいのにという、どうしようもない願い。

 この出来事が夢であってほしいという渇望は、ある意味叶えられることとなる。


 ただし、夢は夢でも悪夢として。


 黒い霧が屋上を満たした。

 この世のものとは思えない、真っ黒な球体が空より出でて、浮遊する。それは本当に、悪い夢に出てくる不思議なナニカだった。


 日常の終わりを告げるチャイムは――鳴らない。

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