第6話 おねーさんの問答と幼なじみの本番
しばらく考えて、答えが出てこなかった。答え合わせはすぐに行われる。
「すごいって言葉からは、距離を感じちゃうんだよー。距離遠いと寂しいぞー。甘えられないぞー」
会長は僕の右腕を引っ張って抱き枕にし、指先をこねくり回し続けている。
「いつも甘えてるじゃないですか」
「足りないよー、ぜんぜんまったくこれっぽっちも十全じゃないよー。相談箱なんかも始めちゃって、おねーさんを頼る人増えてるんだよー。頼られる分頼らないと、人間って壊れちゃうんだよー?」
左腕まで彼女の支配下に置かれて、会長は僕の十指で手遊びをし始めた。
「じゃあ僕は、誰に頼ればいいんですか?」
「いるでしょー、たくさん。気の置けない友達とかー、可愛い後輩とかー、超かわいい彼女さんとか」
「彼女なんていませんよ」
「ほんとー? さっきおねーさん、天賦つんでっていう子を見たんだけど、あの子は違うのー? 君の名前だして、ずうっと文句言ってたんだよー。これだけお洒落したのに、全然気付いてもらえなかったって――」
「ち、違いますよ……つんではそう、ただの幼馴染です」
「へー。つんで、ねぇ……呼び捨て、かぁ……」
僕の指が、本来曲がる方向とは別のベクトルに曲げられようとしている。幸いなことにまったく痛くないが、会長の目は本気でやろうとしていた。
「おねーさん、さすがにあそこまでの違反は見逃せなくて、一旦家に帰しちゃったよー。きらっきらしてて、デートでも行くのかってぐらい気合入ってたんだー」
「――それは、悪いことしたな……」
「もぅ、おねーさんじゃなくて、本人に言ってねー。ほんと、言うべきことを言うべき時に言えないねー、めーくんは」
指が、僕の指がもう少しで壊れてしまう。本格的な負傷の可能性が頭を過って振りほどくと、豊かな胸にぶつかった。ま、まずい、突然のことで頭が真っ白だ。こういう時は、どう茶化すんだっけ?
「変な顔ー。えっちー。うわきものだねー」
「ま、まったくもう! からかわないでくださいよ」
「もっと派手に恥ずかしがってもいいんじゃないー? 体を張った甲斐がないよー」
「僕の顔を赤らめたいなら、ちょっとちゃんとしてください。ほら、シャキッとして」
「ねー、君はさー、最終的にどっちのワタシが好きなの? 表の私と裏のおねーさんの、どちらがさー?」
「どちらも好きですよ」
適当にあしらおうと口が滑って、恥ずかしい台詞になる。それでも、これくらいの羞恥じゃ会長は許してくれない。
ふっと、会長の体重が僕の身体から離れていく。綺麗で隙のない仮面が素顔を覆う。
「では、ここからは真面目な話をしよう。事他後輩、君はどちらが好きなんだい? 対外用の強く凛々しくかっこよい会長としての私と――」
かと思えば、心地のいい重みが胸元から腰に掛けて押し付けられる。
被っていた獅子の皮は粗雑に放られて、どこかへ消えた。
「初めて出会った時に見せた、弱くて情けなくて幼い、おねーさんとしてのワタシと」
「真面目に、ですか……」
間近に迫る女性を見て、考える。
思考を初めて数秒にして、これ以上考えても結論はでないと結論づけた。
「僕は、姉村癒っていう人間そのものを好ましく思います。両方、すきです」
「ふっ、問いから逃げたな? かわいいやつめ」
「逃げてません。かわいくもないです。だらけた方も、きっちりした方も、どっちも姉村癒じゃないですか。面白いなって感じなくちゃ、甘えがちなあなたに付き合えませんし、かっこいいなって尊敬できなくちゃ、きっちりしたあなたに付いていけませんし」
だから――と続けようとしたところで、僕の唇に人差し指が当てられる。
数秒遅れて、始業十分前のチャイムが鳴った。
「ふふ、無茶振りにそこまで応えられれば十二分だ――これだけはっきり言えるのなら、彼女の前でも逃げる心配はないな」
彼女とは誰だろう?
心中の問いを読んでか、会長は視線のみで答えた。
ちっぽけな僕なぞすべて見透かされていそうな瞳が、じっと見つめる先。
それを追えば、幼馴染の姿がある。
「さて、邪魔者はここらで退場だ。老害は馬に蹴られる前に、消えるとしよう」
そう言って会長はどこかに去ってしまう。残されたのは、僕とつんでの二人だけ。
僕からは口火を切ることが難しかった。なんとなく、気まずさが唇を縫い付けていた。
だから言葉を発したのは、あちらが先だ。
「お昼、屋上で待ってるから」
そのまま去っていく幼馴染を追うことも、声をかけることもできなかった。
彼女の目が、そうさせてくれなかった。覚悟が、決まり過ぎているのだ。
根拠がないのに、あれは死に向き合う者の瞳だと思った。
亡くなる前の親戚と会った時に、似た輝きを見たことがある。
なんだそれは。
自殺でもするというのか? ありえない、あいつに限ってそんなこと、ありえない。
遠くなっていく背中を中心に捉える視界が、黒くかすんでいく。現在進行形で視界を蝕む靄は、今朝目にした写真の汚れとよく似ていた。
鉛を背負ったみたいに重くなった体を引きずって、僕も教室に向かう。
やけに静かだと思えば、下駄箱前からはさっぱり人が消え失せていた。
チャイムが無慈悲に鳴り響く。
事他芽汰の遅刻は、今ここに確定した。
授業よりもっと大切なナニカにも、遅れた気が、した。
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