第4話 後輩による追求と、先輩と書いておねーさんと読む人

「な、なんで。そ、そりゃつんでは女子だけど、なにか……?」

「なにかじゃないです! 大問題です! だってだって、以前に話されていた『物を取る時に手と手がぶつかりそうになって、相手が急いで手を引っ込め、勢い余って本棚にチョップし棚を破壊+骨折事件』だって――」

「つんでのこと、だね」

「じゃあ、『隣に座っていた友人が眠りこけてセンパイの肩にもたれかかりそうになり、目覚めていきなり頭を真逆の方向に振った結果、壁紙に頭突きを叩きこんだ事件』も――」

「……つんでのことだね」

「『お見舞いにきた知り合いが無理やり林檎を食べさせようとして、何故だかフォークが口内にちょっと刺さった事件』も」

「――つんでの、ことだね」


 最後の件は本当にひどい。フォークが口に刺さるなんて。接触を嫌うつんでが珍しく、食べさせることに拘ったのが原因だった。

 まあ正直、あの時は痛みよりもむしろ、腹でも切るんじゃないかという勢いで謝罪していた彼女の方が記憶に残っているのだが。


 あの事件は、ほんっとうに大変だった……。

 思い出の中でまで僕が疲労していると、後輩が同情してくれる。

 彼女は深く深く、どこぞの渓谷よりも深くため息を吐いて、


「わたし、全部男友達のことだと思ってたんですけど……てっきり、力加減が下手なだけの、微笑ましいふざけ合いだなぁと思ってたんですけど」


 大事なことが全部全部抜けているではないですか、と塩峰は僕の制服をぎゅいぎゅい引っ張っている。


「まあ? 他の話も鑑みるに? 天賦さんは単に面倒見のいい幼馴染ですね、きっと。きっとそうです。そうに決まってます。加減が下手で、今朝も普通に起こしただけかと」

「あれで普通は……困るかな」


 身が持たない。世話をされると同時に破壊されてしまっている。

 とんだマッチポンプだ。


「にしても、天賦さんはすごいですね……本当に、すごい……」


 彼女は空を眺めて、しみじみと、実にしみじみと零した。


「ずうっとセンパイの傍にいるなんて、中々出来ることではありませんよ。わたしなら――発狂してしまうかも」

「言い過ぎじゃない?」

「言いすぎじゃないですよ、むしろ、言葉が足りないまでありますね」


 塩峰は何かを確かめるように三度頷き、


「よしっ!」


 と両頬を両手でぱちりと軽く叩いて、何故だか気合を入れ直した。 

 不思議そうに見つめる僕に向けられた表情は、微かな笑みではない。

 もちろん大笑でもない、そんなコウハイらしい笑顔。


「もしかして、機嫌直った?」

「センパイは、ほんとに人の気持ちを考えるのが不得意ですね。直ってはいませんよ。今でもわたしの心はざわついています。でも、やる気がでました」


 いつのまにか塩峰は、僕の少し先を歩いていた。


「センパイはダメな人だなぁって、でもこんなにダメな人を、頑張って支えてる人がいるんだっていうことを知ると、わたしも頑張れる気がして」

「ひどいなぁ」

「こんなわたしを怒りますか?」

「怒らないよ。僕なんかの不甲斐なさで元気になってくれるなら、それはそれでいいかな。人の――少なくとも塩峰の役に立ってるってことでしょ?」

「ほんとに、センパイはダメですね。人をダメにする悪い人です」


 糾弾しつつも、塩峰空瑠の足取りは軽い。女子の小さな歩幅であっても数を重ねることで、男子の一歩先を歩んでいた。

 学校に到着する頃合いに、後輩は振り返って僕に問うた。


「センパイ、他に話してないことは無いですか? 大事なこと、抜けてませんか? 特に周辺の女性とか知り合いの女の人とかまわりの女子とか」

「どうしてそんな偏ってるの……。そうだな……姉村先輩の話はしたっけ?」

「ほんの少しだけ、聞いたことがあります。うちの生徒会長さんでしたよね。これまたキレイな方だったように記憶しています」

「綺麗なだけでなく、中々変わった人でね――」


 噂をすればなんとやら。 

 校内と校外の境界線を跨いだところで、影が差す暇すらなくあの人は忍び寄ってきた。

 いきなりの襲来に、コウハイが子猫の如く僕の背に隠れる。それも、相当素早くさりげなく。


「はよー、めーくん」  

「っ、おはようございます、会長。びっくりさせないでくださいよ」

「悪いねー、つい出来心で。驚いてるめーくん見るの、好きなんだよね。ずっと見てたい」


 心臓に悪い。

 そして嫌な予感がする。こうやって無駄にびっくりさせて来るときは、先輩が何かを企んでいる兆候だ。

 時には迷惑でありながら、どこか憎めない手のかかる姉。


 姉村癒あねむらいやしという名が体を若干表さないのが、この先輩の特徴である。

 彼女が僕の前にパッと飛び出すと、隠れていた塩峰の身体がびくりとはねた。


 特徴的な超ロングヘア―、お姫様のように艶やかな黒の御髪を躍らせて、端正な顔立ちを無駄遣いして、締めにキメ顔。頬の横に添えられたピースサインにさえどこか気品があり、ふざけているはずなのに何故か格好よくキマっている。

 ここは校門だというのに、お構いなしだ。遅刻すれすれな時間の関係か、幸いにも人はほとんどいないが――僕と塩峰は当然ここにいるわけで。


 先輩には秘密があるはずなのに、大丈夫なのか?

 ささやかで健気な後輩の心配は伝わるはずもなく、無駄に華麗な奇行が繰り広げられる。

 先輩の健康的な足が躍動して僕に迫り、ステップを踏んで踵を返して、両の腕を軽く拡げての通せんぼ。


「さあさあ止まってもらおうかー。今日は抜き打ち身だしなみ検査日でね――え、そんなの今まで無かっただろってー? 当たり前だよー。なんてったって、おねーさんが今日から始めた、出来立てほやほやイベントだからね。切っかけは今朝見た夢だよー!」


 滅茶苦茶だった。そして、塩峰コウハイが死ぬほど嫌そうに唸っていた。

 微かな鳴き声だけで的確に、どうにかしてパスしたいですお願いしますなんとかしてください、と訴えている。この捨て猫を拾わないやつはいない。


 対照的に会長の目は、悦楽と期待に輝いていた。

 こうなってしまえば、もう誰にも止められない。

 姉村癒は一度決めたら、そのままどこまでも進み続けるのだ。


「逃げられるなんて、思わないことー‼ おねーさんを侮っちゃだめだよ、めーくん!」

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