第3話 後輩との通学路とちょっとしたすれ違い
「で、ここでなにしてたの?」
「先ほども言ったではないですか、野良猫を見てました」
「ねこ……ねこか! ちょ、ちょっと僕も一目見たいな。どこ? どこにいるの?」
「もう行ってしまいました」
「それは残念……。この辺で一度も見たことなかったから」
「心の冷たい人に、動物さんは寄ってきませんからね。目の前の女の子を無視するような冷徹な人には、特に。猫さんを見たいのでしたら、今すぐ近くの誰かさんに優しくすべきかと」
隣を歩く少女のくせっ毛が、肩口のあたりで春風に遊んでいた。それが今は、機嫌の悪い猫の逆立った毛に見えてしょうがない。
心なしか言葉にも棘がある。
彼女――
「挨拶もせずに、ごめん。少し考え事をしてて」
「すぐそこを素通りされるわたしの気持ちを、これから考え続けて反省して一生寄り添って支えてください」
「一生……それは少し罪が重くない?」
「重いのは罪じゃなくて、わたしの全てです。体重以外の全部です。じゃなくて、寄り添いなんてものは気軽な更生プログラムですよ。重い悩み事なんて捨ててしまって、代わりに後輩の気持ちでも考えた方がいいと思います。二度呼びかけても反応なし、三度目でようやく……といった有様でしたから」
塩峰の足取りは重い。歩幅は小さく、足音は低く、足跡を刻むリズムはペースダウン。
出来るだけ歩調を合わせるほどに、ちんまりして愛らしいおみ足の動きは鈍っていく。
数十秒後には、道路で立ち止まる二人組の出来上がり。
秒速0キロになったところで、塩峰と目が合う。遅刻間際なのに。
大きくまんまるの瞳をじっと見ていると、意識が吸い込まれていく。
どうしてだか、ちっとも動けない。
お説教されている時の、肌に纏わりつくような圧力によって全身が縛られていた。
このジト目であれば鋼のメンタルをも穿つのは容易なはず。障子じみた僕のメンタルなぞ言わずもがな。
言葉などいらない。ただ目線だけで、人の意志は折れる。
「…………………………………………」
「……ほんとにごめん」
「謝って、ほしいわけではないのですが。言ってほしいことは、もっと別にあります。何も言わなくとも、ずっとそばにいてくれればベストです」
「でも」
「でもではなくてですね。スルーは悲しいのですよ」
会話は途切れて、再び沈黙状態へ突入。
打つ手がない。
眼前の少女が何を求めているのか、僕にはてんで分からない。
てっきり更なる謝罪を要求しているのかとも考えたけれど、がっつり外してしまった。
次にまた的外れなことを口に出せば、塩峰の気分を更に損ねてしまう。
幼稚だけれど、それは嫌だ。いい後輩に、嫌われたくはない。
「はぁ、センパイは何にでも悩むのですね。わたしとの会話も困り事ですか、そういうことですか。一生困らせて差し上げましょうか」
「いや、そんなこと――」
「是非はどうでもいいですね。どうですか、最初の悩み事、忘れられましたか? わたしという問題児のことで、頭がいっぱいになりましたか?」
「――忘れ、られたかも……」
今の会話の間は、塩峰のことだけ考えていられた。
「なら、良かったです」
一転微笑して、後輩は歩みを再開する。
ゆったりと、そしてしっかりと。
「わたしはですね、悩みはほどほどに打ち明けるのがいいと思います。親とか、友人とか――」
「頼れる後輩とか?」
「言いたいことを取らないでください。拗ねますよ。すぐ拗ねて泣きますよ」
珍しく恥ずかしそうに、塩峰はそっぽを向いてしまう。
「あとは、そうですね……可愛い彼女さんとか、どうでしょう?」
「……いたらいいんだけどね、残念ながら」
「ふーん、ふぅん」
やけに含みを持った相槌。こちらには一切顔を向けることなく、
「では、今朝お顔を真っ赤にしてダッシュで出ていかれた、ツインテールのあの方はどうでしょう? とっても可愛らしかったですけど。なんか、むかつくくらい」
「見てたのか……」
「さっきから言っているではないですか、猫さんを四十三分十五秒ほど見ていたと」
「あれ、三十二分十五秒じゃなかった?」
「……センパイって、ほんと妙なところで記憶力いいですよね……覚えてくれるのは嬉しいですけど。いやでも、それが他の人間にも発揮されるならムカつくかもです」
自爆である。むやみやたらに日常の設定を詰めないほうがいい。
一瞬の沈黙。静寂に気まずさが宿ると、
「……細かいことはいいのです。このお話の主軸ではありませんので、話を逸らさぬようにしましょう。通学時間も有限ですし。それでは回答を要求します。あの方はどちらさまですか?」
「『天賦つんで』って名前の――」
「このタイミングで名前はいいです。関係を、センパイとの関係を、教えてください」
「一言で言えば幼馴染……でいいのかな?」
「なぜ疑問符が付いているのですか。不思議です。詳しくお願いします。長くなっても構いませんから。一生かけてわたしにお喋りしてもよ――いえ、それはまずいですね」
時間には限りがあるはずでは? ぽんと浮かんだツッコミも、目の前を見れば自然と引っ込んだ。
塩峰の喰いつきが段違いなのである。猫っぽいと形容したこともあったが、これでは散歩を要求する犬のよう。
「別に長くなりそうもない話なんだけど、幼馴染っていう語のイメージ――保育園や幼稚園、遅くても小学校低学年からの付き合い――に比べて、僕とつんでの邂逅は少し遅かった気がするんだよね……。多分初めて会ったのは中学年の頃だった気がするし……」
「センパイ、気がしすぎじゃないですか? 初めて会った時期を、はっきりとは憶えてないんですか?」
「うん、なんか曖昧なんだ。いつのまにか出会って、遊んでた気がしてならなくて。五、六年前の記憶ってこんなものかな?」
「まあ、わたしもそこまで鮮明な記憶は持っていないですね。みんなそんなものかと」
愛すべき後輩はこくこくと頷いて、それでも渋い顔をした。
「それは結局『幼馴染』と呼んで差し支えないと、わたしは不本意ながら思います。本来の意味はともかくとして、その単語で関係性を表すには、昔も今も家に来るくらいに仲がいい――馴染みがあることが条件でしょうし」
「朝起こしてもらうぐらいには親同士も親密だし、『幼馴染』で構わないか」
何かがひどく引っかかるけれど、その正体は一向に分からないまま。悩んでいてもまるっきり意味の無いことだ。
「む、ちょっと待ってくださいセンパイ今何か聞き捨てならない言葉が。おこして――へ? 朝ごはん一緒に食べるとかじゃなく⁉ ちょっと、詳しく! 詳しく!」
「恥ずかしいことに、僕は朝がとても弱くて……起こしてもらったんだ。叩き起こされた。いや、叩かれてはいないんだけど、勢い的にそんな感じ」
未だに、間接的にとはいえ衝撃を受けた背には違和感がある。
というか、寝床を揺らすことや布団をぶつけて起こすことは、つんで的にどうしてセーフなのか。僕のためになるから?
おかげで遅刻を回避し、後輩と一緒に通学できているとはいえ起床の代償としては重たい。
「その人ってもしかして、仲の良い友達としてセンパイがときどき話題に出していた人ですか……⁉ 男じゃなくて、女子だったんですか……⁉ わたし、怒ってもいいですか⁉」
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