第2話 幼馴染との朝ごはん、あともう一人
「もう、早く降りてきてって言ったのに……」
一階のリビングに向かうと、つんでが頬を膨らませていた。かわいい。じゃなくて、
「掃除してくれてありがと」
「もう、ちゃっかり気付いてる……。大体元からそんな汚れてなかったし――って、そんなことはいいの。ほら、ここ座る」
つんでに促されて大人しく席に着く。テーブル上には豪勢な朝食が用意されていた。彼女はもう食べ終えたのか、並べられているのは一人分だ、多分。自信がないのは品数が多いから。
一体何時に起きて準備したのだろうかと心配したくなるくらいに、手間がかかっている。
こんがり焼けたトーストを中心に、ふわっふわのオムレツ、かりかりベーコンに滑らかなマッシュポテト、豊かな香りを立ち昇らせるマッシュルームソテー、自家製ドレッシングのサラダ、具だくさんのクラムチャウダー。ポットに入った紅茶付き。
これを全て手作り……? まあつんでなら、おかしくないのかも……。
「すごい……」
「そんな大層なものじゃないわよ。あたしが美味しいものを食べたくて、そのついでにあんたの分も用意してるだけ。予算はおばさんから受け取ってるし」
「そっか……いやいや、これはすごいよ」
うっかりすんなり受け入れてしまいそうになった僕は、彼女にかなり常識を歪められているのかもしれない。
天賦つんでは相当料理が出来るし、それ以上に好んでいるのだ。
気分が乗ればお弁当を重箱で作ってきてしまったり、バレンタインにはフォンダンショコラを販売可能なクオリティで焼き上げたり、挙句の果てにはクリスマスパーティーでコースを振る舞ったことさえあった。
当人は僕のことを実験台と呼んでいたが、これまで失敗は皆無。単にいつもご馳走になっている状態である。
「いただきます」
崩すのも勿体ないほどふわふわなオムレツを口に運ぶと、とろける食感が幸せを運ぶ。
「………………どう?」
「とっても美味しいよ」
「そ、そう! ……とりあえずぜんぶ一口ずつ食べて。それで感想言って」
「う、うん分かった……」
朝からいきなり食レポが始まった。シェフにじっと見られているという緊張もあって、自分でも何を口走ったか覚えられない。喋った先から忘れていく。
全部「美味しい」では単調かなと余計な気を回して、焼き加減が好みとか、塩加減がいいとか――加減ばかりだ。語彙力がない。今度勉強しよう。
「うん、うん……! ありがと! よかった!」
食レポの出来はともかく、感想を聞いた料理人の表情は笑顔だった。笑っているのであればよいはずだ。
満面の笑みを浮かべたまま、つんでは僕に背を向ける。
「それじゃ、今日は早く学校行かなきゃいけないからもう行くね! それじゃ!」
「え、ちょ――」
僕が立ち上がって制止しようとした時には、もう玄関のドアが閉まっていた。
全力移動の余波で何か落下しているし――って、なんだろうかこれは。見たところ、メモのようだ。
紙片はピンク一色かつ、そこら中がハートの模様に彩られていて、追い打ちに紙の形までハートだ。ここまで過剰だと、可愛さよりいかがわしさの方が勝る――こんな印象を受けるのは、秘蔵の書物を想起するからだろうか。
そんなファンシーだかセクシーだか不明な紙を、普段の言動にまるでそぐわない丸文字が埋めている。文面は、僕が寝坊したとき用のメッセージだった。
本当、何から何までカバーしてある。面倒見がいいを通り越して最早母親だ。
これがバブみというやつだろうか。つんでは同級生だから、この言葉は当てはまらないのかもしれない――なんて考えているうちに、朝食を食べ終えてしまった。
僕は朝に多く食べられないという宗派だったが、どうやら改宗しなければならないらしい。
結局美味であれば、時間に関わらずたくさん食べれてしまうのが真理である。
完食してみれば、残された朝の時間は身支度と通学に丁度良いくらい。起床時間に食事時間まで計算されているとは、恐るべき幼馴染だ。
ずっと毎朝我が家に来てほしい……というのは、僕なんかには過ぎた贅沢か。
満腹という幸福に満たされながら、既にきっちり用意されていたシャツに袖を通す。歴戦の幼馴染だけあって、僕の服がどこにあるかは完璧に把握されていたようだ。
ちなみに逆はない。僕がつんでの衣服の場所や種類を知っているなど、断じてない。というか、把握していたら限りなく犯罪に近い。知れたらいいのになんて思いません。
――こうやって思考を埋めるのは、逃避だ。
制服を着ている最中も、忘れ物の確認をしている間も、靴を履く時も、ドアを開ける瞬間も――ずっと脳内を思考で埋めているのは、単にあの奇妙な写真から逃れるため。
この手法は現実逃避を試みるならすごく有効だけれど、デメリットも勿論存在する。
「――ぱい」
例えばそう。
今この時。
ぼーっとしたまま鍵を閉めて、ぼんやりと数歩歩いて、上の空で道路に出た瞬間とか。
「――い、センパイ。……え、無視ですか?」
我が家の前にいた可愛い後輩の前を素通りしかけるのは――欠点だった。
「たまたまここでかわいい野良猫を三十二分十五秒ほど見ていたがために、ばったり偶然センパイに遭遇してしまったかわいいわたしを――無視ですか?」
声がして、首が自然と動く。
東風に揺れる色素の薄いふわふわの髪に、うっすらと青のかかった宝石みたいな双眸。人形のような顔立ちは、ぷっくり膨れた頬で台無しだ。それどころか、僕の一つ下とは思えない小さな体躯から、とんでもない量の感情が投射されている。
この形の制服は、刺々しいオーラでも発するように出来ているのか?
生まれ出た仮説を検証する暇もなく、極小の足音が近づいてきた。
「ようやく、ですか。さっきまで視力失ってましたか? ならわたしが、センパイの目になって差し上げましょう」
機嫌を損ねた猫系後輩女子は、扱いがだるい。
でも可愛いから、たちが悪い。
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