告白した幼馴染が妹になって同棲するラブコメ
はこ
第1話 好きすぎて触れない幼馴染
「――しだけなら、触っ――手を握るく――ゆびを――ダ――まんしな――」
眠る時にみる、夢のことはいつも好きだった。将来の夢のことは嫌いだけど。
夢は現実と違って退屈じゃなく、既視感もなくて終わりがある。それに、アニメや漫画のような異能バトルだってラブコメだって、欲望に塗れた光景だって見放題とくれば最高だ。世界の主は自分で、なんでもかんでも思うがまま――。
「ちょっと、ねぇ、起きてよ、起きてってば! はぁ、まったくもう、気持ちよさそうにかわいい寝顔見せつけて……。ずるいわよ……」
夢の中に、現実が徐々に介入してくる感覚。
これが本当に嫌いで、目覚めるときにはこのまま死なせてくれとさえ思う。けれど、聴覚を先駆けとして五感は覚醒し始めていた。
もう少しだけ、もう少しだけ……といった欲求がむくむくと膨らんで、とうとう起床という平日の義務を押し潰す。
いつもの癖で枕元の時計を手で探ると、ぱたりと倒してしまった。
はぁ、と呆れたような溜め息が上方で漏れて、
「そんなに無防備だと、あたし、なにするか分からないけど」
「襲って、くれる?」
「ばか、ほんとばか。ほんとに襲われるわよバカ。絶対他の人にそういうこと言っちゃダメだかんね」
「言うわけないよ」
「ったく、あんたって、ほんと、ほんと――」
警告の声は届いていたけれど、まともに聞いてはいなかった。意識は眠気にぼかされてしまい、脳内アラームは機能しない。目覚ましの意味でも、警戒の意味でも。
失念していたのだ。
彼女は――天賦つんでは漫画やアニメのように、実際にやるやつなのだと。
「~~っ、いい、加減、ほんと、起きてっ‼」
「――っ‼」
心地の良いまどろみは、唐突にやってきた衝撃によって妨害された。
サボっていた瞼が半強制的に開いて、情報が洪水として流れ込んでくる。
目を覚まそうとするのはベッドを揺らす振動だけでなく、視界に入ってくる赤みがかった茶髪だ。ふりふりと揺れている二つの長い房に自然と目を奪われていると、迫りくる顔が一つ。
頬が真っ赤だった。それに、少女の視線が痛い。
長い睫毛に装飾されておきながら、上がり目で意志の籠りすぎている瞳が憎らしい。目鼻立ちもはっきりしていて、美人の一種ではあるけど、美しさより険しさが際立つタイプ。
細身の身体にまとっているベーシックなセーラー服にも、本人の属性が乗り移ってまるで水兵の軍曹みたい。
朝くらい、もうちょっとにこやかだったらな……。
いつもいつも、僕は切に思うのだ。
「ああ、優しい妹が欲しい……きつめのツンデレ幼馴染なんて、もう時代遅れ……」
「うるさい! 変なこと言ってないでさっさと起きる! あとあたしは、ツンデレ幼馴染じゃないわよ。結構、その、あんたに配慮してるし……? 優しく、したいし……って、何言わせてるのよ! ああもう、はずい、消えちゃいたい……」
照れ隠しの一環として、僕の布団が失われていく。
つんでは容赦なく全てをはぎ取って、怠け者をまだ肌寒い春に晒す。
「……直接揺すって起こしてくれてもいいんじゃない? ぼくは、そうしてほしいけど」
「……絶対ヤダ。死んでもヤダ」
「どーして?」
「……へー、またそんなこと言うんだ。あたしの言ったこと、もう忘れちゃったんだ。……ふんっ」
そっぽを向かれた。まずい。地雷を踏んだ。
――僕の幼馴染の天賦つんでには、強いこだわりがある。
彼女は僕に一切触れようとしないのだ。
ここ数年に渡り、彼女はその自分ルールを固く貫いている。
何でも手渡しすることはなく、すれ違いで身体が接触しそうになれば十数歩引き、同じものに手を伸ばしかければ超高速でその手を引っ込める。
面倒極まりない手間も、無理な回避によって怪我する可能性も、日常生活で擦り減らす精神も、目的に比べれば些細なこと。つんでの中ではそうなっているらしい。
そこまで気にするなら、僕に関わらなければいいのに――なんてことをごくたまに思ってしまうが、それを口に出すなんて選択肢はない。
過去に一度、思っていたことを言葉にして伝えたことがあるが、
『そんなこと言うなんて、ほんとあんた信じらんないっ! あたしはあたしのやりたいようにやるのっ‼ 絶対曲げないんだからっ!』
なんて風に、とんでもない剣幕でめちゃくちゃに怒られてしまった。あの時は、本当に殴られるかと覚悟した。実際のところ、つんでは僕に殴打するどころか、一秒も触れようとしなかったのだけど。
今もなお、謎は多い。
幼馴染とはいえ、どうしてこうまで僕と一緒にいるのか。そして何故――異常なまでに、僕へ触れないよう気を遣うのか。
前者の理屈を問うては怒られた。ならばと、後者の理由を訊いてみたが、
『だってそういうの、今は好きじゃないじゃん! 昔はよくても今はダメなの! ってあんたの本棚が語ってた!』
という謎の答えが返ってくるばかり。真相は今でも闇の中だ。
閑話休題。
――こうして思い返すまでの時間、ぼくは幼馴染を宥めることに費やしていた。
「ごめん、ほんとごめん……寝ぼけてて、変なこと言った。同じように怒られた時のこと、ちゃんと思い出したから」
「いつの話か、ほんとに思い出した?」
「ええと……」
正確な日時は怪しかった。それでも絞り出し、
「つんでが、白のリボンつけてた時。かわいい系のやつ」
「…………よし、許す。あたしのこだわりはその、色々あると、覚えておくように」
記憶を掘り出して伝えると、許された。ようやくつんでがこっちを向く。
念のため、確認。赤くなった顔を除けば、いつもの天賦つんでだ。
関係を修復できたと判断して、そろそろ口を動かそう。
「で、どうしてこんな朝から、つんでが僕の部屋にいるの? まさか、ふほ――」
「そのまさかじゃないし、おばさんにちゃんと許可はもらってるわよ。むしろ託されたわ。バカ息子はぜんっぜん起きないだろうから、何をしてでも起こせって」
「あそっか、今日は二人とも朝早いんだっけ……まだ寝ぼけてるみたいだ」
見事に忘れていた。自分はとうに目覚めたものと思っていたが、まだまだ眠気で頭が働いていないらしい。このポンコツぶりからすると、回復には大幅に時間を要しそうだ。
「あんた、ほんっとうに熟睡してたからね。疲れてたの? この部屋に入ってからもう三十分以上経ってるけど、ついさっきまで目覚める気配が微塵もなかったわ」
「いつもこんなものだよ。っていうか、そんなに僕の部屋にいて……一体なにを?」
「………………なにもしてないわよ」
絶対に何かをしていた目を更にそらして、つんでは口を噤んだ。ツインテの片方がいたずらバレした犬の尻尾みたいに垂れていて、なんだか面白い。
というか、本当に何を……?
「一応言っておくけど、この部屋にお金はない。僕の貯金はゼロなんだ。あと変な本もない。僕の煩悩もゼロなんだから」
「人を窃盗常習犯みたいに言わないで。あと分かりやすいウソもつかないで。別に、あたしは何にもしてないわよ」
「本当に? 神に誓って?」
「う、嘘じゃないわよ、何もせずにここにいたわ」
「何もしないで三十分も人の部屋にいるのって、それはそれで怖い――というか変質者?」
「う、うるさいっ」
つんでは掛け布団をバサッと下からめくり上げ、そのまま僕に覆い被せた。
前が見えない。
視界が完全に阻害される前、見えたのは更に赤らんだ幼馴染だった。
「あー、あもうこんな時間! あたしもう一階に行くから! 朝ごはんと着替えは全部リビングに用意しておくから、早くあんたも降りてきなさい!」
被せられた布団を剥がした時には、部屋を飛び出していく背中しか見えなかった。
この部屋に存在する時計は伏せられて見えないにも関わらず、スマホも使わず体内時計のみで現在時刻を把握したらしい。
およそ他人の家で立ててはいけないだろう足音を響かせながら、つんでは階段を慌ただしく降りていく。
「にしても、至れり尽くせりだな……」
朝ごはんはおろか着替えまで準備してくれているのは、正直ありがたい。これで度々繰り出される、不思議なコミュニケーションがなければ完璧なのだが、他人がそうも自分にとって都合よく動くはずもなく。
鈍った体を起こして、寝ぼけ眼をこすりながら部屋を見渡す。自室は普段からそこまで散らかっている訳では無いけれど、就寝前とは見違えるようにきれいだった。
ほこりひとつすら存在しない。冗談でなく。
見落としがちな(というか普段は掃除しない)窓枠のふちに指を触れてみても、ちりは一切付着していなかった。
「掃除してくれてたのか……なら、そう言ってくれればいいのに」
何もしていないという言葉は嘘だと確信していたが、ここまで手の込んだ清掃をしているとは微塵も思わなかった。
正直、本棚を漁られたとばかり思っていた。大事な書物をたくさん収めた棚だから、見られなかったのはありがたい。他人の裏の裏をかき、ベッドの裏ではなく表の家具に潜ませた甲斐があった。
にしても、掃除してもらったのは完全な誤算だ。すぐにお礼を言わなきゃいけないな……。
「ほんと、すごい……ん?」
感嘆が漏れるほどに素晴らしい我が部屋の状態を眺めていると、違和感が一つ。
角にある学習机の一画――幼小中と続くアルバムの数々をひとまとめにした場所が、ほんの少し気になった。アルバムなんて普段は見ない。常日頃は部屋の装飾、いずれ無くしてしまう思い出を物質化しただけの一冊が、数ミリ飛び出ていた。
つんでが読んだのだろうか? 別に面白くも無いだろうに。
普段なら、こんな些細なことは気にしない。でもここまで完璧に部屋を整えておいて、一点だけ不完全なのは謎だ。
手に取り、開く。すると、はらりと裏返しで舞い落ちる一枚の写真。めくると、そこに映し出されているのは異常だった。
まず目に飛び込んでくるのは、黒。
墨汁を水の中にぶちまけたかのような、黒い靄が写真全体にかかっている。画面の所々で濃淡があり、その模様からは明白な意図が感じ取れた。小学生時代の僕の隣に寄り添う人の顔――恐らく友達だろう――が、判別不可能なほどに濃密な黒に塗りつぶされている。
印刷ミスのレベルではない。しかし、正常であった写真を油性ペンで塗りつぶしたなんていう、お粗末さでも断じてない。
一瞥するだけで、気分を害する気味の悪さだった。画面の暗さに反して、そして隣人の不明瞭さに対して、すぐそばで満面の笑みを浮かべている過去の自分が嫌だ。
よし、見なかったことにしよう。
アルバムに写真を入れ直そうと動いた手が、止まる。
なにか、大切なことを忘れているような気がして、その紙から目が離せない。
「そう、見なかった、ことに」
再び声に出さなければ、断ち切れないと思ったほど。
強く目を閉じなければ、囚われてしまうと考えたほど。
元の位置にアルバムを戻すと、僕は逃げるように部屋を飛び出した。
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